ジョン・ケリー

16/07/30

 26日から始まっていたアメリカ民主党大会はジョン・ケリー上院議員を大統領候補に、ジョン・エドワーズ上院議員を副大統領候補に正式指名し、昨日まずジョン・エドワーズが副大統領候補指名受諾演説を行った。これは今朝の朝刊に載っている。これからいよいよジョン・ケリーが登場して大統領候補指名受諾演説を行い、「ケリー政権のビジョン」を内外に明らかにする予定となっている。詳細は今日の夕刊か明日の朝刊に載る筈であるから、是非注目して貰いたい。

 これに先だって民主党は27日、政権を奪還した際の施政方針となる党綱領を採択した。「強く世界で尊敬されるアメリカ」と題したこの綱領は半分以上を外交・安保問題に割き、国際協調路線を前面に打ち出している。 個別に見てみると、ブッシュ政権の外交・安保政策について「米外交の100年以上の伝統を逸脱し、国際社会を軽視するという危険なまでに非効果的な新路線に移行した」と厳しく総括。その上で焦点のイラクの治安回復について、北大西洋条約機構(NATO)の貢献やイスラム諸国を含む国際部隊の参加を求めていく必要性を強調。一方で綱領は「自国の安全がかかった状況では外国の了解を待つことは決してしない」として、ブッシュ政権が打ち出した先制攻撃の権利は保持することを確認。また、米軍の4万人増員も盛り込むなど「強いアメリカ」の実現に取り組む姿勢も示している。つまりブッシュ政権の「一極主義」を批判しているが、外交・安保問題の基本はブッシュ政権とそう大した違いはないのである。それより気になるのは対日政策である。民主党は伝統的に「中国重視・日本軽視」だが、党綱領の中で日本に触れた部分は1500行程の中で僅か1行半で、しかも対中政策の後に追記されただけだった。ケリー政権誕生となれば通商・安保で日本に逆風が吹くこと間違いないであろう。

 さて注目の大統領選挙の行方だが、民主党大会を前にした最新の世論調査によると、ブッシュ大統領支持が49%、民主党のケリー支持が48%となり、1カ月前までリードしていたケリーが逆転されている。特に税金政策・経済対策など民主党の得意分野でケリーが4−10ポイントの支持を失っているのが注目される。今後の行方について、尊敬する先輩の宮崎正弘氏は「日本のマスコミはいつものように民主党有利と書き殴っていますが、アメリカではまだまだブッシュ支持が多いうえ、民主党選挙対策本部が四分五裂の様相を呈して来ました。9月あたりからブッシュの逆転ムードとなり、そのまま逃げ切れる、というのがあくまでも『現時点』ですが小生の判断です」とコメントしている。これも参考にして貰いたい。

 ジョン・ケリーの氏素性については挑戦者ということもあって日本では馴染みが薄かったが、段々と明らかになって来た。今日は二つ紹介しておきたい。一つは「ユダヤ人出自」である。ケリーの父方の祖父はフリッツ・コーンというチェコ生まれのユダヤ人で、当時吹き荒れていた反ユダヤ主義を避けるためアメリカに移住しこの時カトリックに改宗したという。ジョン・ケリーの弟はキャメロン・ケリーという法律家だが、これがケリー家のユダヤ人出自を知らずにユダヤ女性と結婚し自分もユダヤ教に改宗しているという。それからもう一つは「金持ち伝説」である。ジョン・ケリーの母親は、日本でも有名な雑誌『フォーブス』を出版するフォーブス財閥の娘で、この結婚でケリー家はユダヤ人出自でありながら一躍裕福な上流階級入りする。それからジョン・ケリーの妻テレサ夫人はアフリカ南部モザンビーク出身の移民一世で、最初ケチャップで有名なハインツ財閥の後継者で共和党の上院議員と結婚していた。この夫が航空機事故で死亡し、その時約5億ドルの遺産を相続したと言われる。こうして現在ケリー夫妻の持つ総資産は885億円に達すると言われる。



パルテノン神殿

16/07/29

 アテネ・オリンピックまであと2週間ほどだが、開催地アテネからのニュースが相次いでいる。開会式では中央に巨大な「海」の様なものが作られ、これに彗星の様なものが衝突、その時出来る5つの輪が炎となって燃え上がるという凝った演出がなされるというのがあった。27日夜にはアテネ市中心部の古代遺跡アゴラで、五輪停戦を訴える演劇が披露され約1000人の市民が会場に詰めかけたというのもあった。それから古代ギリシャの遺跡で世界文化遺産ともなっているアクロポリスが計700個以上の電球でライトアップされ、白亜のパルテノン神殿が夜空の下に黄金の輝きを放っているというニュースもあった。

 古代アテネの象徴と言えばやはりアクロポリスの丘に聳え立つパルテノン神殿であろう。その中央部に膨らみを持つ美しい円柱エンタシスは学校で習った様に法隆寺の円柱にも取り入れられている。実物は勿論見たことはないが、日光・鬼怒川にある「東武スクエア」でミニチュアを見たことがある。ここにあるのは全部本物の25分の1のサイズで、色々な世界史的遺産の大きさを比較出来て大変参考になる。アクロポリスの丘は確かエジプトのピラミッドの裏手にあったと思うが、ピラミッドに引けを取らないその大きさに驚いたことがある。パルテノン神殿自体の実際の大きさは幅31m、奥行き70m、高さ14mという。アテナ女神を祀っている。ギリシア神話によると、主神ゼウスは妻メティスから生まれる男子によって王座を奪われるという予言を聞いたので,メティスを呑み込む。月が満ちて部下に自分の頭を割らせたところ,アテナが武装して生まれたという。ここからアテナは知恵と戦いの神となる。パルテノン神殿に安置されていた元々の女神像は台座を加えて約15mあり,顔面・腕・足は象牙製で衣服と冑は黄金で覆われていたという。

 これは周知の様にペルシア戦争勝利を記念して創られた。ペルシア戦争はご存じの通り古代地中海世界の覇権を賭けて争った戦争である。その世界史的意義は授業で習った通り東西世界が初めて激突し、オリエントの専制政治に対するヨーロッパの自由・民主精神の優位が確立し、後にギリシャを中心としたヨーロッパ文化の基礎が形成された点にある。ペルシア戦争の経緯はこうである。マケドニア方面から漸次南下して地中海への植民活動を活発化したギリシャの諸都市はオリエントを統一し更に領土を地中海へ拡張しようとするペルシアと対立する。戦いは三度に亘って繰り広げられた。有名なのが二回目のマラトンの戦いで、この時伝令が42キロを駆け抜けて戦勝をギリシャへ伝えた故事がマラソンの由来となった。三回目のサラミスの海戦も有名で、ペルシアの大艦隊を狭いサラミス湾に巧みに誘い込んで全滅させる。このペルシア戦争を境に地中海の覇権はフェニキア人からギリシャ人に移り、ギリシャのポリスは全盛期を迎える。

 このペルシア戦争に際して、ギリシャ諸都市の中核アテネ市民は守護神アテナに必死に戦勝を祈願する。戦勝は当然アテナ女神の加護と考えられ、アテネ全市民は丸で熱病に取り憑かれたかの様に工事に励んだと言われる。こうして前432年、15年の歳月をかけてパルテノン神殿は完成する。この大工事を指揮したのが有名なペリクレスであった。ペリクレスはペルシアの再来に備えたギリシャ諸都市の同盟「デロス同盟」の盟主としてアテネの黄金期を現出するのだが、実はこのパルテノン神殿の建設はデロス同盟の軍事資金を流用して建設されたと言われている。



エデンの園

16/07/28

 日本がイラク復興信託基金に拠出した資金が、かつて「エデンの園」があったとも言われるイラク南東部のメソポタミア湿地帯の再生に使われることになったという。国連環境計画(UNEP)が発表したもので、日本が同基金に拠出した金額のうち約12億円を使って野生生物保護のために湿地の回復を図り、併せて湿地の水を飲料用などに使う周辺住民約8万5000人向けに水道や衛生設備を整備するという。イラク南東部のメソポタミア湿地帯は多くのダム建設に加え、フセインが湾岸戦争の際地元住民が反フセイン武装闘争に決起した報復として川の流れを変えたため干上がり、2001年には湿地帯の90%が消失。このままでは湿地帯自体の消失が懸念されていたという。

 エデンの園の話は日本人もご存じだと思う。旧約聖書「創世記」で出て来る話で、天地創造に当たり神は土の塵を捏ねて人形を作り、その鼻に命の息を吹き入む。人類の祖アダムである。そして神は東の方のエデンに一つの園を設けて,アダムをそこに住まわせる。そこは木々はたわわな実を付け花々は咲き乱れ、多くの動物達が戯れ遊ぶまさに「地上の楽園」であった。アダムは何の不自由もなかったが、幸せではなかった。伴侶がいなかったのである。そこで神は寝ているアダムの肋骨を一つ取り出し、それで一人の女を作る。イブである。そして神は二人に厳命する。エデンの園のどの木からでも好きなように実を取って食べて良い。但し善悪を知る木からは決して実を取って食べてはならない・・・その後の話はご存じの通りである。

 このエデンの園には1つの川が流れ込み、園を潤したあと4つの川に分かれて流れ出ていたという。この4つの川のうちの一つを「ユフラテ」といい、これが名前から古来ユーフラテス川に比定され、もう一つがアッシリアの東を流れていたとあることからティグリス川を指すものと考えられ来た。この2つの川に挟まれ来た地域は古来メソポタミアと言われてきた。メソポタミアというのは「二つの川の間」という意味で、ここは周知の様に人類文明発祥の地である。約4,5千年前である。一方旧約聖書はこれも周知の様にユダヤ人の物語である。紀元前12世紀頃から前2世紀頃までの約千年に亘るユダヤ人の記録である。したがって時代的に遙かに遅れて歴史に登場し、文明的にも遙かにメソポタミア文明に遅れしかも砂漠の辺地に住んでいた古代ユダヤ人が、緑なす豊穣の大地メソポタミアを「楽園」と考え人類発祥の地と考えたとしても少しも可笑しくはないのである。

 イラク戦の賛否はさておき、日本はイラク復興のために巨額が資金を提供している。昨年10月スペインのマドリッドで開かれたイラク復興支援国際会議において、我が国は当面の支援として総額15億ドルの無償資金の供与を表明した。これは電力、教育、水・衛生、保健、雇用及び治安の改善等に使われることになっている。また中期的な復興需要に対する支援として円借款で最大35億ドルまでの支援をも表明、合計50億ドルの支援を実施することになっている。「イラク復興信託基金」もその一つで、総額10億ドルのうち4億5,000万ドルを日本が単独で負担し、今年2月アブダビで開かれた会合では議長国に選出されてもいる。こういう使い方なら勿論異存があろう筈がない。



海上に鹿を追う

16/07/27

 今日の産経新聞は一面トップで中国の異様な反日現象を報じている。「噴き出した異様な”ブーイング”」という副見出しが付いたこの記事によると、今中国・重慶市などで開かれているサッカー・アジア杯で中国人観客の多くが日本の相手国の声援に回り、日本選手に対して露骨なブーイングを投げ付けているという。一部の観客は反日スローガンを叫んで日本人観客席をめがけて物を投げつけ、試合が終わった後は日本選手の乗るバスを取り囲んで嫌がらせを繰り返しているという。これについて産経の特派員は、江沢民政権以来の行き過ぎた「愛国主義」の強調が尊大な大国意識を育て、従来の対日コンプレックスが今度はいびつな「反日」感情となって爆発していると解説している。これについてはこの前の「殷鑑遠からず」の稿で書いたばかりである。

 その産経が同じく今日の外報面で、「海洋強国へ海軍強化」という記事を載せている。新華社系の時事雑誌「瞭望」最新号が「海上に鹿を追う」と題し、東シナ海の資源獲得以外にシーレーンとして台湾海峡、南シナ海、マラッカ海峡など5つの水域を中国の「生命線」と位置付け、その権益を守るための強大な海軍の建設の必要性を強調しているという。「海上に鹿を追う」というのは言わずもがな「中原に鹿を追う」という有名な中国の諺のもじりであろう。「中原」は黄河中流域の古代中国の中心地、「鹿」は帝位を意味し、つまり天下に覇を唱えること。このもじりで中国は海上に覇権を確立しなければならないというのである。

 尖閣諸島や沖ノ鳥島、東シナ海のガス田開発などに於ける中国の主権侵害については何度もこれまで書いてきた。東シナ海でのガス田開発では日中中間線を無視してごっそり資源をさらおうとしており、西太平洋の沖ノ鳥島周辺では日本の排他的経済水域内で中国艦船が違法な活動を繰り返し、今年になって確認された回数だけで計25回と既に昨年の3倍超に達している。そして今中国は台湾海峡を挟んで陸海空3軍を動員して大演習を展開している。その規模は過去最大の10万人で、ミサイル部隊や戦車部隊、海軍陸戦隊、潜水艦の他中国軍が保有するほぼ全ての最新鋭兵器を投入し、台湾侵攻を想定した攻撃的シナリオで行われている。これに対抗して台湾も厳戒態勢に入り、軍事演習「漢光20号」を展開しているのは周知の通りである。

 中国の海洋戦略に「第一列島線」「第二列島線」というのがある。「第一列島線」は北からアリューシャン列島、日本列島、台湾、フィリピン群島、マレーシアのボルネオ島を結ぶ線、「第二列島線」は北から我が国の千島列島、小笠原諸島、硫黄島、マリアナ諸島(サイパン、グァム島)を結ぶ線をいう。中国海軍は従来この「第一列島線」内側の黄海、東シナ海、南シナ海を海上防衛線として来た。がここ数年中国はこの「第一列島線」を越えて、「第二列島線」の内側での活動を活発化して来ているのである。「海上に鹿を追う」ためである。問題の沖ノ鳥島は「第一列島線」と「第二列島線」のちょうど間、グアム島から台湾やバシー海峡に抜ける海上の要衝に位置している。中国がここを重視するのは台湾侵攻の際、横須賀から出撃するアメリカの空母機動部隊とグアム島から出撃するアメリカの原子力潜水艦をここで阻止するためである。そのためアメリカは対抗して、グアム島の原潜部隊を3隻から9隻に増やし、横須賀を母港とする空母「キティホーク」以外に更にもう1隻の空母をグアムかハワイなどに展開させる戦略を取ったばかりである。自国の領土を巡って米中が火花を散らしているのに、肝腎の日本は何の海洋戦略を持とうとしていない。能天気という他ない。



分離壁

16/07/26

 国連総会は20日、イスラエルがヨルダン川西岸に建設中の分離壁の撤去を求める決議案を賛成150、反対6、棄権10の圧倒的賛成多数で採択した。決議案は、(1)分離壁の建設を国際法違反と認定して壁の撤去を求めた国際司法裁判所の勧告にイスラエルが従う(2)アナン国連事務総長が分離壁建設による被害を把握する(3)イスラエル、パレスチナ双方が和平実現に向けたロードマップ(行程表)を履行する−などを内容としていた。日本も分離壁建設の継続に遺憾の意を表明した。イスラエルに対する国際社会の批判がより明確になったと言える。だが、安保理決議と違って総会決議に拘束力はない。イスラエルを支持する米国は反対に回り、イスラエルも決議に従う見通しもない。今回の決議案採択が直ちに今後の中東和平の進展に直接結び付くとは考えにくいのである。

 実は国連総会は昨年10月にも分離壁が「国際法の規定に違反する」とし、占領地における壁建設を中止するよう求める決議を圧倒的多数で採択していた。更に念を入れて12月には壁の合法性について国際司法裁判所の意見を求める決議も採択。これを受けて国際司法裁判所は今年2月から審理を続けて、今月9日に「占領地での分離壁建設は違法であり中止・撤去すべき」との勧告的意見を言い渡した。今度の総会決議はこれを受けてのものである。この勧告的意見はまず、「市民を守る手段は国際法に合致しなければならない」とし、「テロからの自衛権」を主張するイスラエル側の言い分を退け、壁建設によりパレスチナ住民の通行が妨げられ家屋の破壊も起きているとして、「東エルサレムを含む占領地域内での壁の建設は国際法違反」と判断した。その上でパレスチナ住民の人権を回復するために分離壁の建設中止と撤去を求めた他、イスラエルは破壊、没収された財産・土地の返還や損失補償を行う義務があるという画期的判断を下していた。15人の裁判官のうち米国人1人を除く14人全員の一致した判断でもあった。まさにイスラエル側の「全面敗訴」といえる内容であったのである。だがこちらも法的拘束力はなく、イスラエル政府は勧告を拒否する姿勢を示していた。

 分離壁は2年前の6月から建設が始まり、既に200キロ以上が出来たと言われる。完成予定は来年夏で総延長は約700キロになる。建設ルートは、第3次中東戦争(67年)でイスラエルがヨルダン川西岸を占領する以前の軍事境界線にほぼ沿っている。その約9割は監視カメラや電子センサー、塹壕などを伴う金網型のフェンスで、パレスチナ人居住地に接近した場所などでは高さ8メートルほどのコンクリート製の壁になっている。イスラエルはテロリストの侵入を阻止するための「自衛権の発動」としているが、将来パレスチナ国家が建設された場合の領土となる地域に大きく食い込んでおり占領地の「囲い込み」であることは明白である。パレスチナ側はこれを「アパルトヘイト・ウォール」と呼び、その違法性を国際社会に強く訴えて来た。

 さて昨年鳴り物入りで打ち上げられた「中東和平ロードマップ」だが、イラク情勢の不安定化ですっかり雲散霧消し、来年末までのパレスチナ国家建設はすっかり夢のまた夢と化した。そのためかブッシュは先月末訪問先のイスタンブールで新たに「中東民主化構想」を打ち上げ、イラクの次はイランを標的にすることを鮮明にした。併せてシリア、サウジの民主化をも打ち出した。「反テロ戦」に基づく「拡大中東和平構想」だが、横車を押し続けるイスラエルを押さえられないで到底成功するとは思えない。今後中東情勢はユダヤ・キリスト教VSイスラム教の「文明の衝突」の様相を一層呈して行くこと必至と言えるのである。



大連立

16/07/23

 アーミテージ米国務副長官の発言が波紋を広げている。訪米中の中川秀直・自民党国会対策委員長らとの会談で、日本の国連安全保障理事会常任理事国入りを支持するとの米政府の立場を改めて示したうえで、個人的見解として「常任理事国は国際社会の利益のために軍事力を展開しなければならないこともある。それができないと常任理事国入りは難しい」と言ったというのである。またこうも言ったという。「日本の憲法改正は日本国民が決めることだが、憲法9条は日米同盟にとって重要ではないが妨げの一つとなっている」「サンフランシスコ講和条約や国連憲章は集団的自衛権を認めている。それらに署名したことは、既に日本国民が(集団的自衛権の行使を)承認していると考える」と。早速日本国内の護憲派=小日本主義派は「外圧」「内政干渉」だと猛反発しているが、いずれも至極当然のことで戦後弱体化体制からの脱却は日本喫緊の課題であること言う迄もないのである。

 その中川秀直はこれに先立ってワシントンでの講演で、憲法改正実現のため民主党との大連立について言及している。同様の発言は中曽根元首相も行い、こちらはもっと具体的に「第3党の結成」「自民・民主両党の大連立による憲法改正のための『挙国一致内閣』」に言及している。大連立については参院選前に山崎拓前幹事長も、「自民・公明・民主3党による大連立」の可能性を指摘していた。いずれの発言も、先の参院選で改選議席割れした自民党が憲法改正で一枚岩になれない民主党や、与党内で発言力を強める護憲派の公明党を牽制したものと穿鑿されている。が、民主党との大連立による憲法改正については、実は小泉首相も既に1月に言及していたのである。この時の発言は「自民党単独で憲法改正するというのは好ましくないし現実的に無理だ」と述べた上で、「自民、民主両党が協力して現実のものにしていきたい」と語っていた。

 さて先に参議院選挙が終わったばかりだが、読売新聞社のアンケート調査によると全議員の7割が憲法改正に賛成であることが分かったという。政党別で見ると、自民党では、97%が憲法改正に賛成。民主党は賛成60%、反対23%で、公明党は賛成47%、反対6%。共産、社民両党は全員が護憲だったという。昨秋の総選挙後に同社が衆議院議員を対象とした同様の調査では、8割以上が憲法改正に賛成していた。それからもう一つ面白い世論調査がある。日経新聞が今月5日に行ったもので、参院選後の望ましい政権の形態を聞いたところ「自民・民主の大連立政権」は23%でトップ。ついで「民主党を中心とした政権」が21%で続き、現在の「自・公連立政権」を望むものは最低の20%だったという。

 つまり世論の圧倒的多数は憲法改正に賛成しており、しかも「自民・民主の大連立政権」による早期の憲法改正実現を望んでいるのである。何よりその前に両院で改憲派が3分の2以上を占めているのであるから、議員がその気になりさえすれば憲法改正は今行おうとすれば直ぐにでも可能なのである。だが議会の実態はどうか? 昨秋の総選挙そして今度の参議院選挙の結果、二大政党制への趨勢は一層鮮明となった。だが自民党も民主党も些細な違いをあげつらって揚げ足取りと足の引っ張り合いに終始し、「政権維持」と「政権交代」だけを自己目的に内訌・党争に明け暮れしているのである。1月の「今月の主張」で書いた様に、同じ例が過去にもあった。今度も同じ轍を踏むこと必至である。議会が民意を蹂躙し国家民族の発展を妨害する阻害物であるならば、三島・森田両烈士が訴えた様に最早「非立憲的改憲」しか道はないのである。



朝鮮半島危機(44)ーーノーベル平和賞

16/07/22

 昨日、韓国済州島内のホテルで日韓首脳会談が行われた。当然焦点となったのは北朝鮮問題である。会談で両首脳は、北朝鮮の核問題を日米韓3国の連携を強化し6カ国協議の場を通じて平和的に解決を目指す方針を改めて確認。その上で盧大統領は「北朝鮮の核問題が解決すれば韓国は包括的具体的な経済協力を実施する」と述べ、小泉首相も「北朝鮮が日朝平壌宣言を履行すれば1年以内の国交正常化も可能だ」と述べ、早期の日朝国交正常化に強い意欲を示した。

 何とも危なっかしい話と言わざるを得ない。韓国の北朝鮮への融和姿勢は今に始まったことではないから格別異とするに該らない。盧武鉉政権は発足以来一貫して北朝鮮に対し「対話」政策を取って来た。先の6カ国協議でも韓国は初めから支援ありきの3段階方式を提起し、対北朝鮮支援を前面に押し出した「メリット先行方式」を主張。南北協議でも北朝鮮の核問題を主要議題に取り上げず、北朝鮮への食糧支援、離散家族再会事業を続け、鉄道・道路の連結事業、開城工業団地建設への協力にも積極的に乗り出している。先の総選挙では「反米・自主」を主張する左派の若い政治家が大量進出し「反米親北」ムードが一層高まり、そのため米国は在韓米軍の3分の1削減方針を打ち出した程だ。

 問題は日本の小泉である。ここに来て「対話」路線に急傾斜しているのである。5月の日朝首脳会談では、人道支援の名目で25万トンの食糧と1000万ドル相当の医薬品の支援を表明し、日朝平壌宣言を順守する限り経済制裁はしないとまで言明した。そして帰国後、朝鮮総連の大会に自民党総裁として初めて祝意を伝えるメッセージも送った。この基調に乗って更に先の6カ国協議ではこれまでの方針を転換して核凍結の見返りとしてエネルギー支援の実施を表明し、「核は6者、拉致は日朝」と切り分ける姿勢を明確にした。日米連携を貫いてきた米国はそのため、「3ヶ月の廃棄準備期間」と期限を切る新提案に方針変更した程である。明らかに従来の「圧力」路線のなし崩し的放棄と断ぜざるを得ないのである。

 どうも小泉は本気で早期の日朝国交正常化実現を考えている節がある。このことは2年前の9月最初の訪朝計画が明らかになった時、既にこの稿で充分指摘しておいた。だがこの時、性急過ぎる日朝国交正常化の動きを懸念した米国が平壌に特使を急派し北朝鮮の核計画を暴露して牽制、日本でも拉致問題が改めて表面化したことで世論が沸騰し、この目論見は頓挫した。その後米国との連携路線に転じ、「核・ミサイル、拉致問題の包括的解決」を対北朝鮮政策の基本とするが、それが今見た通りまた急速に先祖帰りを始めたのである。

 小泉がこうまで北朝鮮との国交正常化実現に執着するのは、結局ノーベル平和賞が狙いなのではないか? 4年前の南北首脳会談実現で韓国の金大中はノーベル平和賞を貰った。過去の日本でも佐藤栄作が沖縄返還実現でノーベル平和賞を貰ってもいる。この例に照らしても日本と北朝鮮との国交正常化実現となれば、ノーベル平和賞受賞の資格は充分にある。国内的な理由も切迫して来た。先の参議院選挙では完全に「小泉バブル」が弾けてしまった。ここままでは次の総選挙・参院選では政権交代間違いなしの形勢となっている。だが小泉の任期は残りあと2年もある。もし2年以内に日朝国交正常化を実現すれば、ノーベル平和賞と「小泉バブル」を一挙同時に手にすることが出来、自民党総裁の任期も再延長され続投決定となること必至だからである。



殷鑑遠からず

16/07/21

 このところ中国の新華社通信が中国古代史に関する特報を連日報じている。19日に、河南省偃師市にあった「偃師商城」が殷(いん)王朝時代に造られた最初の都であると確認されたと伝えたのに続き、今度は昨日、同じ偃師市にある「二里頭遺跡」から大規模宮殿を持った古代都市跡が発見され、これが殷王朝の前の夏(か)王朝の都と確認されたというのである。事実とすれば、これまで伝説上の存在とされて来た夏王朝の実在が確認されたことになるが、どうも俄に信じられないのである。

 有名な中国の歴史書司馬遷の「史記」は「三皇五帝」から中国の歴史を説き起こす。「三皇」は神話に類する人物であるが、「五帝」は実在した聖人・賢王ということになっている。「五帝」の筆頭が「黄帝」で、その後3代続いた後に有名な「尭(ぎょう)」が出る。この「尭」は「舜(しゅん)」へ政権を禅譲し、そして「舜」から更に禅譲を受けた「禹(う)」が興したとされる王朝が「夏」という。夏の末期に桀(けつ)王が現れ苛斂誅求の暴政を行い、これを湯王が討って「殷」を興す。しかし殷も末期に至ると紂(ちゅう)王が桀王同様の暴政を行い、これを武王が討って「周」を興したということになっている。そしてこの「尭・舜・禹」の「禅譲」と「湯・武」の「放伐」は、後に孟子によって王朝交代の理を説く「易姓革命」の思想に高められる。このうち、「殷」の実在は殷墟(いんきょ)や甲骨文字の発見で実在が明らかになった。だが殷に先立つとされる「夏」については実在が証明されず争われて来た。それが洛陽近くの「偃師商城」か殷王朝の最初の都で、その直ぐ近くの「二里頭遺跡」が夏王朝の都で「夏」の実在も裏付けられたというのである。

 どうも性急過ぎるのである。実は中国は10年前から「夏商周断代工程」という国家的プロジェクトを推進して来た。ここで言う「商」とは殷の別名である。歴史学はもとより天文学など様々な分野の専門家を総動員して「夏・商(殷)・周」三代の年代的枠組みを確定しようというのである。そして2000年11月には、「夏・商・周」三代の成立はそれぞれBC2070年、1600年、1046年と結論付けた「年表」まで作った。だがちょっと考えれば分かる様に、霧の彼方の古代国家の成立年代を截然と確定しうる筈がない。「人民日報」は以前山西省襄汾県の陶寺遺跡が尭・舜時代の城郭ではないかと報じ、いずれ三皇五帝の実在も証明されるだろうと報じたことがあった。今度の「発見」も明らかにこの「工程表」「年表」に無理矢理こじつけたとしか思えないのである。この分だとそのうち本当に三皇五帝も実在したということになりかねない。

 周知の様に中国は冷戦崩壊以降、歴史・愛国教育に異常な熱を入れ出した。江沢民は口を開けば「中華民族の偉大な復興」を訴え、現在の胡錦濤もこの路線を忠実に継承している。社会主義の金看板が地に落ちたため愛国主義・ナショナリズムを鼓吹し、共産党一党独裁体制を維持しようという魂胆からである。だが中国には『殷鑑遠からず』という戒めがある。殷の紂王が戒めとすべきだった鑑(=手本)はすぐ前代の夏の桀王にあるというのである。歴史の改竄は支那人の最も得意とするところである。愛国主義・ナショナリズムを鼓吹するのは結構だが、「中華文明の偉大性」を証拠立てるために歴史を捏造しては世界中の物笑いとなるというものである



キトラ古墳

16/07/20

 奈良県明日香村にあるキトラ古墳の壁画が剥落の危機にあったのはご承知のことだと思うが、この程青龍と白虎それから十二支の「亥(い)」像の剥ぎ取りが決まった。剥ぎ取って保存するかどうかについては当初多くの学者から反対意見が相次ぎ、中には「キトラを実験台にするな」との厳しい批判の声もあったという。が結局、高松塚古墳の壁画の劣化問題もあって「剥ぎ取りも止むなし」と苦渋の結論に至ったという。

 これを決定した調査研究委員会の席上で、キトラ古墳石室の天井の天文図の全容も明らかになった。デジタル画像の分析から星座は全部で68あり、星の総数は約350あったという。直ぐ近くにある高松塚古墳の星座が30しかないから倍以上ということになり、キトラの天文図の方がずっと写実的ということになる。星の大きさは2種類あり、最も明るい星のシリウス、それに次ぐ明るさで吉祥の星とされるカノープスなどは他の星より一回り大きな金箔で表現されていることも判明した。カノープスは別名「老人星」とも呼ばれ、これを見ると長生き出来るのだと言い、平安時代の役人が桓武天皇の長寿を願って見たことを報告した記録があるという。特定の星に大小の区別をつけるのは高句麗古墳の天文図の特徴で、このことからキトラ古墳の天文図は高句麗で使われた星図がそのまま日本にもたらされた可能性が高まったともいう。しかもこの星図は高句麗の都があった平壌付近から見た天空のものだともいう。その他、七夕伝説の牽牛と織女も天文図から新たに確認されたという。

 一方同じ日、文化庁は石室内で出土した被葬者の人骨と歯について、死亡推定年齢が40歳から70歳、性別は不明との鑑定結果を発表した。出土した人骨は頭蓋骨の一部など約10点と歯4本で、骨の形や歯のすり減り具合などからの推定だという。性別が分からなかったのは骨が少量で小さいためだという。ここまで特定されると当然次の疑問は被葬者は一体誰かということになる。キトラ古墳の被葬者については前から諸説入れ乱れていた。築造時期から天武天皇の皇子という説、一方古墳の築造された場所が渡来系の東漢(やまとのあや)氏の拠点であることから同氏族の有力者との見方が対立していた。

 門外漢であり取り立てて根拠がある訳ではないが、一応私見を述べて見る。確かにこの一帯は渡来系の東漢氏の拠点である。東漢氏は河内を本拠とした西漢氏に対する称で、大和東南部の高市郡を本拠としていた。「続紀」には渡来系の同氏族が高市郡の8,9割を占めたという記述もある。蘇我氏に長く仕え同系の「駒」が崇峻天皇暗殺に関わったことはご存じだと思うが、大化改新その後の壬申の乱では蘇我氏を裏切って今度は天武天皇に仕えているから、場所を重視して東漢系の有力者と見る説にも充分な理由がある。高句麗系の星図が描かれているのもこの説の有力な補強となるであろう。

 しかしやはり天武天皇の皇子と見るのが順当であろう。「聖なるライン」というのがある。天武天皇とその後を継いだ持統天皇は中国に倣って本格的な都城として藤原京を造営する。この藤原京の中軸線から真南に真っ直ぐ線を引くと天武・持統合葬陵があり、このラインの左右に菖蒲池古墳、中尾山古墳、高松塚古墳、キトラ古墳、文武天皇陵が並び、ラインを逆に北に延ばすと京都市の天智陵に辿りつき、中尾山古墳、高松塚古墳、キトラ古墳の西に位置する束明神古墳とマルコ山古墳を更に「聖なるライン」に組み込むと北斗七星が描けるといい、いずれも藤原京を創った天武・持統天皇及びその系統の皇子の墓ではないかというのである。これによると高松塚古墳の被葬者は忍壁皇子、キトラ古墳は弓削皇子ではないかというのである。



朝鮮半島危機(43)ーー南北統一のための“申し子”

16/07/16

 白頭山と言えば周知の様に朝鮮半島の最高峰である。標高は約2750メートルあり、山頂にはそれは美しい天池があることで知られる。この白頭山が10世紀に世界最大級の大噴火を起こしたことはこれまで知られて来た。その規模は、ローマ帝国の都市ポンペイを埋没させたイタリア・ベスビオ山の噴火の数10倍と言われ、日本の北海道や東北地方にまで火山灰や軽石が飛んで来て被害を与えたと言われる。ところがその前の9世紀頃にもこれに匹敵する大噴火があったことが10日、東北大などの研究グループの調査で明らかになったという。たった100年の間に同一の火山が連続して大噴火を起こした例は世界的にも希有という。

 ご存じの様に、朝鮮半島最高峰の白頭山は朝鮮民族発祥の聖山でもある。朝鮮民族には檀君神話というものがある。話はこうである。・・・昔々、天地万物を司る天帝桓因(ハンイン)が天空から遙か地上を見下ろしていると、アジアの東に3方を海に囲まれた半島がある。山々は緑なし清らかな川が流れ何と麗しい土地であろうと思って良く見ると、人々が自分たちを治めて呉れる王を遣わして欲しいと天に必死に祈っている。早速天帝桓因はこの願いを聞き入れ、息子の桓雄に3000人の家来を付けて朝鮮半島の最高峰の白頭山に遣わす。一方白頭山のある洞窟に一匹の熊と虎が一緒に棲んでおり、桓雄にお願いですから私達を人間にして呉れと懇願する。桓雄は早速この願いを聞き入れ、100日間洞窟に籠もってヨモギとニンニクを食べ続ければ必ず人間になれると諭す。虎は途中で挫折して洞窟から出るが、熊の方はこの約束を守って遂にそれは美しい女に変身する。桓雄はこの美しい熊女と結婚し、やがて熊女は玉のような男の子を生む。その子は白頭山の神壇樹の下で生まれたので檀君王検(タングンワンゴム)と名付けられ朝鮮半島の支配者になる・・・

 この檀君神話を最大限に利用したのがご存じの様に金日成・金正日親子であった。白頭山は北朝鮮では「革命の聖地」として崇められて、金日成はここで抗日パルチザン闘争の狼煙を上げたことになっているし、金正日はここにあった「白頭山密営」で生まれたことになっており、双方とも自らを朝鮮民族を救う「白頭山将軍」とさえ称して来た。朝鮮民族の始祖檀君にあやかろうというのである。白頭山山頂付近の石には、「革命の聖山・白頭山 金正日」という巨大なハングル文字まで刻み込まれていると言われる。

 面白い話がある。今、朝鮮人民軍の部隊内では金正日の妻高英姫夫人の肖像画が掲げられ“崇拝”の動きが急速に強まっているという。これが金正日の後継者問題と直結し、高夫人を生母とする2男の金正哲と3男の金ジョンウンを後継者にするための布石だという。日本のデズニーランド見物で醜態を晒した長男の正男はどうやら失脚したらしい。北朝鮮では金日成・金正日親子の「白頭山神話」の様に、権力世襲にあたっては「革命の血統」が何よりも重視される。ところが高夫人は韓国・最南端の済州島を故郷とする在日朝鮮人出身といわれる。出身が韓国系というのは本来なら血統上の弱点だが、これを逆手に取って北朝鮮・最北端の白頭山で生まれたとする金正日と韓国・最南端の済州島で生まれた高英姫夫人、その間に生まれた金正哲・ジョンウン兄弟こそ南北統一のためのこの上ない“申し子”だというのである。



ルーズベルトに与える書

16/07/15

 硫黄島の戦いと言えば大東亜戦争末期の激戦地として知られる。この戦いで島に籠もって戦った日本軍は全員玉砕して果てたが、攻めた米軍が日本軍以上の死傷者を出した唯一の戦場であった。この硫黄島の戦いを主題にした映画が今度作られるという。題名は「硫黄島の星条旗」で、日米両軍の死闘の舞台となった摺鉢山に星条旗が掲げられるまでの最前線で戦った男たちの姿を追った作品だという。制作の総指揮はスティーブン・スピルバーグで、スピルバーグ監督というと「シンドラーのリスト」や「プライベート・ライアン」などが有名だが、今度は初めて太平洋戦線を舞台にするという。

 摺鉢山に星条旗を掲げる米兵の写真は夙に有名であり、一度は何かの機会で見た人も多いと思われる。ピュリツァー賞を受賞し「世界で最も美しい写真」とも言われて来た。写真は6人の米兵が総掛かりで巨大な星条旗を摺鉢山に掲げているが、このうちの1人が原作「硫黄島の星条旗」の執筆者の父親なのだという。この父親は終生この悲惨な戦いについて一言も話さなかったらしく、不思議に思った息子が取材に取材を重ねて原作を書き上げたという。

 硫黄島の戦いについは縷々する暇がないが、概略はこうである。硫黄島は東京から南に約1200キロ、東京とグアムのほぼ中間に位置する。既にサイパン、グアム、テニアン島などを制圧しB29による日本本土への長距離爆撃を行っていた米軍はここを中継基地にしようとして占領を目指す。一方、大本営も硫黄島の戦略的重要性を認識し栗林忠道陸軍中将を指揮官に総数約21,000名を配置し米軍の来襲に備える。対する米軍は艦船800隻、航空機4,000機、総数25万人を擁し、昭和20年2月16日遂に猛攻を開始する。2日後の18日、摺鉢山の海軍砲陣地は米艦隊の猛射を受け早くも全滅。翌日米軍が大挙上陸するが、23日摺鉢山山頂を占領し例の星条旗を打ち立てるまでのたった4日間で米軍の死傷者は早くも5300名以上に達した。日本軍が島内にくまなく塹壕と地下道を掘り巡らし、ここから頑強に抵抗したためである。その後も日本軍の頑強な抵抗が続き、激戦は約1ヶ月に及ぶが衆寡敵せず遂に3月17日、栗林中将は大本営に訣別の電文を打電し総攻撃に打って出る。日本軍の戦死者は20,129名を閲してほぼ玉砕。これに対し米軍の戦死者は6,821名で負傷者は何と21,865名に及んだ。合計28,686名という人的損害は日本軍守備隊の総員を大きく上回った。それ程の激戦、死闘であったのである。

この戦いでは初めて少年兵も参加し壮絶な玉砕をした。ロサンゼルス・オリンピックの障害馬術で優勝した「バロン西」こと西竹一陸軍大佐が米軍の降伏勧告に耳を傾けることなく決然玉砕の道を選ぶ感動悲話もあった。それからもう一つ、硫黄島の海軍兵の総指揮を取った市丸利之助海軍少将のこともこの際是非とも映画で取り上げて貰いたい。明星派の歌人でもあったこの市丸海軍少将は最後の突撃の際、戦争の原因は米英にありとする弾劾書「ルーズベルトに与える書」を作成してその闘志を示す。「我今、我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ一言貴下ニ告グル所アラントス・・・」で始まるのだが、米英の非道を詰って日本開戦の正当性を諄々と説いている。ネットで調べたら全文が載っていた。以下であるから是非読んで貰いたい。

 http://www.chukai.ne.jp/~masago/roosev.html



参院選――民主躍進

16/07/14

 民主党の躍進は数字の上からも明らかである。比例で2114万票を獲得したが、これは3年前の前回選挙で自民党があの空前の小泉ブームに乗って獲得した2100万票に匹敵する。選挙区でも民主党は2193万票を獲得して「第一党」に躍り出、1人区では自民党とほぼ互角の戦いを推し進め、3,4人区では東京、神奈川、愛知で2人を当選させた。昨秋の総選挙で裏付けられた「民主躍進」の基調は変わることがなかったのである。

 さてそれでは民主躍進の原因は何か。二つある。まず、小泉自民党に対する批判や不満の「受け皿」となって反自民票を吸収したことである。小泉は多国籍軍参加問題で余りにも拙劣な対応をしただけでなく、自らの年金未加入問題では最後まで国民を愚弄するような対応に終始し全く真摯さというものがなかった。これに対し民主党は岡田代表の愚直さが好印象を与え、有権者は政権交代に直結しない参議院選挙の気軽さから民主党に投票したのである。所詮政党政治は党首のイメージ次第で票が動くのである。次に、民主党が惨敗した共産党、社民党の票をそっくり吸収した点を挙げなければならないであろう。民主党は12議席増えたが、これは共産党が失った11議席にほぼ匹敵していることを見ても歴然とする。二大政党制の趨勢が強まれば、政権党に対する批判は必然反対党に収斂する。民主躍進と言っても、民主党に対する積極的支持という側面はないのである。

 それでは民主党の今後の展望はどうか。 この党の消長はイデオロギー的に右から左までを抱える「寄り合い所帯」を解消出来るか否かにかかっている。既に何度も述べて来た様に、民主党はそもそも結成時からかつての自民党から社会党まで同居して、国家像や国家理念、防衛・安全保障政策や経済社会政策の基本でまさに水と油ほどの差異があり到底近代政党の体を為していなかった。それが昨秋の小沢=自由党との合併によって更に右にベクトルが伸び、昨秋の総選挙、今度の参議院選挙で共産党、社民党の票をそっくり吸収した結果今度は更に左へとベクトルが伸びてしまった。躍進し党勢は伸びたが右から左までの相反するベクトルは更に拡大してしまったのである。

 これで一体国家像や国家理念、防衛・安全保障政策や経済社会政策の基本的決定で統一的政策が打ち出せるのか? 右に舵を切れば左派が反発し、リベラル路線へ舵を切れば保守派が反発し、内訌・党争の運命は逃れられないのである。にも拘わらず、「政権交代」だけを唯一自己目的化して野合しているのである。昨日自民党を「政権維持病」と言ったが、民主党はまさにそれと対を為す「政権交代病」と言える。「政権交代病」が高じている間は矛盾は噴出もするまい。だが熱が覚めた時かつての新進党の轍を踏むこと間違いないのである。



参院選――自民敗北

16/07/13

 参議院選挙の全体的な総括と展望については昨日書いた。要諦は「二大政党制」への趨勢が強まったが、“ねじれ現象”が解消されなければ「二大政党制」もその立脚の基礎を失って国家民族にとって百害あって一利なしということである。そこで今日、明日と自民党、民主党の抱える問題点について個別的に論じてみたい。

 まず自民党だが、その退潮は数字を見ても歴然としている。比例で民主党が2114万票と最多得票を獲得したのに対し、自民党は1680万票。選挙区でも民主党が得票総数2193万票で「第一党」に躍り出たのに対し、自民党は1969万票しか獲得出来なかった。比例との差の約290万票は選挙区で公明党の支援を受ける見返りに、比例代表で公明に票が流れたものと見られる。それから1人区では14勝13敗と辛うじて競り勝ったものの、3,4人区では民主が東京、神奈川、愛知で2人を当選させたのに対し自民党は1議席しか取れなかった。3年前の前回選挙で小泉旋風に乗って2100万を超える票を獲得していたのに比べると、まさにその凋落は歴然と言わざるを得ない。

 それでは敗因であるが、小泉が年金制度改革やイラク多国籍軍への自衛隊参加問題で十分な説明責任を果たさなかったことに尽きる。そればかりか逆に「人生いろいろ会社もいろいろ」などと軽口を叩き丸で真摯さがなかった。 朝日新聞が12日の社説に書いている。「4月の本社世論調査では、6割の人が政権の実績を評価し、政権が1年以上続くことを期待する人が7割にのぼっていた」「有権者の態度が劇的とも言える変化をとげた理由が、年金問題とイラクへの自衛隊派遣問題で首相が見せた姿勢にあることは明らか」「そうした態度が、有権者の目には高い支持率にあぐらをかいた首相のおごりと映ったに違いない。首相の強引さに拍手を送ってきた人々が、逆にそれを暴走と見て不安を感じたのかも知れない」。人気に驕った慢心としか言いようがない。

 それにしても自民党の力の落ち込みは深刻である。かつて55年体制の下で自民党は 「天下党」と呼ばれて来た。社共革新勢力に対抗する「反共統一戦線党」としてリベラルから保守まで国民各層の支持を万遍なく集めて、優に4,5000万票を獲得して来た。だが冷戦崩壊と同時に保守勢力は分裂し、「自民党一党優位体制」はもろくも瓦解する。こうした中小泉が登場し、旧来の自民党政治から決別する姿勢を鮮明にして大衆の拍手喝采を浴びる。小泉の登場は自民党にとっても「救世主」だったが、だが小泉構造改革は自民党の旧来的な支持基盤を掘り崩し、逆に組織力低下という負のジレンマに陥る。そこで政権維持を至上命題とする自民党は厚い創価学会票に支えられた公明党に頼る。最初は連立の相手として、最後は創価学会票そのもの迄あてにする。昨秋の衆院選に続き、今回も公明党の選挙協力を得るため「選挙区は私。比例は公明」という自民党候補が続出した。だがこの自民・公明融合一体化策が自民党支持層の中核を占める伝統的保守層の反発と離反を招いて更にジレンマは拡大する。

 自民党にとって危機が深刻なのはこうした長期低落傾向乃至負のジレンマを克服する手段を全く持っていない上に、全てが小泉人気頼りで「第2の小泉」がいないことである。自民党の真骨頂は民主党に比して国家像や国家理念、防衛・安全保障政策の基本で、より「中日本主義」的である点にある。結局、自民党が蘇生しようとすれば「保守党」として特化する以外にないのである。だが「政権維持病」患者のこの党は「小日本主義」流の公明党との抱合体制を一段と強めようとしている。まさに「死に至る」病と言う他ないのである。



参議院選挙ーー総括と展望

16/07/12

 昨日、注目の参議院選挙の投開票が行われた。各党の獲得議席数は自民党49,民主党50,公明党11,共産党4,社民党2という結果であった。

 まず、総括である。第1に今日の朝刊各紙に大きく見出しが踊っている様に、民主党が”勝って”自民党が”負けた”ということである。自民党は党執行部が自ら勝敗ラインとした51議席に届かず、非改選議席(66議席)と合わせて単独過半数の回復は出来なかった。目標を達成出来なかった以上、明らかに敗北と断ぜざるを得ない。昨秋の総選挙でも自民党は小泉首相・安倍晋三幹事長の“二枚看板”で単独過半数復活を目論んだが、意外に得票が伸びず過半数を割り込むお寒い結果となった。自民党の退潮は最早歴然だと言える。自民党が伸び悩んだ背景は言う迄もなかろう。年金制度改革やイラク多国籍軍への自衛隊参加問題で小泉は十分な説明責任を果たさなかったばかりか、逆に「人生いろいろ会社もいろいろ」などと軽口を叩き全く真摯さがなかった。明らかに小泉政権への不信任である。一方、民主党は注目の一人区で次々に自民党に競り勝ってほぼ互角の13議席を獲得。比例でも自民党を遙かに凌駕する19議席を獲得して第一党となり、改選38議席を上回る大幅な議席増を果たした。民主党は昨秋の総選挙でも比例で自民党を上回っており、その結果今後「二大政党制」への趨勢が更に強まることは間違いない。第2は言う迄もなく共産党、社民党の最後的没落ということである。共産党は改選15議席を大幅に減らし、選挙区での当選はゼロ。社民党も比例だけの2議席に留まり、共産・社民両党の退潮が改めて鮮明になった。が、これについては最早多言を要しないであろう。

 次に今後の展望である。まず今後「二大政党制」への趨勢が強まることは確実だが、理念・基本政策の合致なき“ねじれ現象”が続けば所詮「二大政党制」も全くの虚構だということである。自民党は内部に「小日本主義」と「中日本主義」が混在し、国家喫緊の課題である「集団的自衛権の行使」一つ決断出来ないでいる。その上最早単独過半数を獲得する力を失っており、辛うじて公明党との連立で政権にしがみついているのである。しかし自民党と公明党では、例えば憲法改正、教育基本法改正など理念・基本政策でまさに水と油ほどの差異があるのである。一方民主党もかつての自民党から社会党まで同居して、国家像や国家理念、防衛・安全保障政策や経済社会政策の基本でまさに水と油ほどの差異があるのである。自民党、それから公明党はただ「政権維持」だけを自己目的化して野合し、一方民主党も「政権交代」だけを唯一自己目的化して野合しているのである。そうするとよしんば政権交代が実現したとして、果たして一体何になる? 

 政党及び政党間の“ねじれ現象”が解消されなければ、「二大政党制」はその立脚の基礎を失う。国家像や国家理念、防衛・安全保障政策や経済社会政策の基本で水と油ほどの差異がありながら、只だ「政権維持」と「政権交代」だけを自己目的に内訌・党争に明け暮れし、揚げ足取りと足の引っ張り合いを続ければ国民もいずれその馬鹿さ加減と虚構に気が付くであろう。いつも言っている様に現下日本の政治潮流は大きく「小日本主義」「中日本主義」「大日本主義」の3つしかない。「小日本主義」の退潮は昨秋の総選挙に続き歴然となった。「中日本主義」は昨秋の総選挙で自民・民主両党を中心として約7割に達し、そして今度の民主党の躍進で更にその趨勢はこれも歴然となった。少なくともそのうちの1,2割は「大日本主義」である。だが“ねじれ現象”の悪弊によって憲法改正、教育基本法改正等々は一向に政策決定過程に上って来る兆しがない。その間、日本は諸外国から軽侮を受け衰退の一途を辿っている。“ねじれ現象”が国家民族の発展を妨害しているのである。もし“ねじれ現象”が解消されなければ、今度こそ政党政治は墓穴を掘ることになるであろう。



朝鮮半島危機(42)ーー失われた10年

16/07/08

 北朝鮮の金日成が亡くなってから今日でちょうど10年になる。ついこの間のことの様に思い出されるから、月日の経つのは本当に早いものである。10年の節目であるから当然北朝鮮では追悼ムードが嫌が上にも高まっている。記念切手の発行もあったというし、テレビでお馴染みの例の金ぴかの巨大な金日成銅像にこの10年で延べ約1億466万人が訪れたという報道もあった。3日には人民文化宮殿で党・国家・軍の指導幹部が参加して記録映画「偉大な生涯の1994年」が上映され、そして今日8日には党中央主催の「追慕式」が大々的に開催されるという。何せ世界に名だたる「劇場国家」である。是非一見の価値がある。

 5日付の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」が金日成死後10年を総括している。これが面白いので是非紹介したい。題は「血の涙の誓いを忘れまい」というもので、この10年を「先軍(軍事優先)の狼煙を上げた95年、(経済難や食糧難で)運命の岐路だった96年、(大規模な思想点検が行われた)道徳義理の97年、(金正日総書記の国防委員長就任、弾道ミサイル・テポドン打ち上げなど)強盛大国の声が高まった98年、勝利の果実が実った99年、(南北首脳会談など)世界史的衝撃の分水嶺を越えた2000年、先軍朝鮮の尊厳を轟かした01年、反米対決の決戦を展開した02年、『第2の核対決』で英雄朝鮮の範を見せつけ胸をすっきりさせた03年」などと総括している。顧みればこの10年、日本は勿論世界中が北朝鮮には翻弄されっ放しだったが、こうして総括されて見ると改めて朝鮮半島情勢の激動が想起される。

 さて、今振り返ってもあの時の衝撃は鮮明に覚えている。何せ「太陽」の如く仰ぎ見られて来た「偉大な首領様」の頓死であった。当時識者は挙って、金日成の偉大なカリスマの継承は小才の金正日では到底無理だと予測した。経済難に喘ぐ北朝鮮は長くて3年で内部崩壊、早ければ1年でクーデターで崩壊すると言う者まであった。それが何と10年も持って、金正日独裁体制は今も盤石なのである。この“秘密”を今日の産経新聞でソウル特派員の黒田勝弘氏が明らかにしている。黒田氏と言えば名うての北朝鮮ウオッチャーである。「金日成主席没後10年 “独裁継続”許した中韓、今後10年−−日本の役割重要に」という記事で、要旨を紹介したい。

 ・・・あれから十年。しかし北朝鮮はつぶれなかった。予想し期待したような変化は起きなかった。周知のように金正日総書記によって独裁体制は維持されている。なぜ予想や期待ははずれたのか。理由は明らかだ。周りがつぶれないように支援したからだ。同盟国の中国はもちろん、韓国、米国、日本…みんなでよってたかって北朝鮮を助け金正日体制を支えたのだ。これは予想外の展開だった。独裁体制の崩壊など「変化」を期待した人びとにとってはまさに「失われた十年」になってしまった・・・次の十年はどうか。どうやら今度は日本にその「責任」が回ってきそうだ。日本(小泉首相)は北朝鮮との国交正常化を急ぐ構えを見せている。北朝鮮は以前からそれを期待している。韓国が一九六五年、日本との国交正常化で経済発展の基礎を作ったように、北朝鮮も四十年遅れの対日国交正常化で経済再建−体制立て直しを狙っている。しかし「核と長距離ミサイルと独裁体制」をそのままに国交正常化を進め、北朝鮮を支援したのではまた「失われた十年」になってしまう・・・



機能する自衛隊

16/07/07

 昨日、今年度版の防衛白書が閣議で了承された。それによると、「わが国に対する本格的な侵略事態生起の可能性は低下している」と明言。「差し迫った課題」として「新たな脅威や平和と安全に影響を与える多様な事態への対応」を挙げ、テロ対策などに防衛政策の重点が移っていることを強調。今後の「防衛力のあり方」として、「より機能する自衛隊」を目指すとしている。

 ポイントを摘記すると、

  1. わが国に対する本格的な侵略事態生起の可能性は低下。
  2. 新たな脅威や平和と安全に影響を与える多様な事態への対応が差し迫った課題。
  3. 従来の防衛力整備構想と、現在の陸海空自衛隊の装備を抜本的に見直し適切に規模を縮小。本格的侵略事態対処のため、最も基盤的部分の装備を保有。
  4. ミサイル防衛システムは純粋に防御的で専守防衛にふさわしい。
  5. 北朝鮮は、大量破壊兵器や弾道ミサイルなどの軍事能力を依然として維持・強化。

 総論的認識も、「存在する自衛隊」から「より機能する自衛隊」への転換という具体的論点も異議があろう筈がない。だがしかし、どうもしっくりと来ないのは私だけではないであろう。今度発表された白書は年内にも取り纏められる「新防衛計画の大綱」の根幹となる。「新大綱」の策定については首相直属の諮問機関も発足し、今秋の答申に向けて議論も進んでいる。小日本主義的な「基盤的防衛力構想」の見直しは当然として、どうもその先の国家的戦略が見えて来ないのである。

 その点、今年3月自民党国防部会・防衛政策小委員会が取り纏めた「国防改革案」の方が出来映えとしては遙かに秀逸と言わざるを得ない。「提言・日本の防衛政策の変革」と題されたこれは、国防基本法制定やMDにおける防衛庁長官への権限委任の他、(1)憲法9条を改正し、自衛隊を軍隊として明確に位置付ける(2)武器輸出3原則を見直し、輸出禁止対象国・地域を再定義する新たな武器輸出管理原則を策定する(3)国際協力のための自衛隊の海外派遣に関する恒久的な「国際協力に関する一般法(国際協力基本法)」を制定する(4)文民統制(シビリアンコントロール)に関連する首相補佐機能強化のために防衛庁出身の首相補佐官と制服組による「首相副官」を配置する−−などが柱となっている。また防衛庁組織の大幅改編も提唱、省への昇格に加え、自衛隊の部隊運用への文官(内局運用局)の関与を改め、担当を制服組による統合幕僚組織に一元化。また、長官の補佐役である防衛参事官に文官しか任命されていない現状を見直し、自衛官の呼称も国際基準に沿って一佐を「大佐」、特科を「砲兵」などに変更するとしている。

 白書の言う「機能する自衛隊」というのは結局「普通の国の普通の軍隊」になる、ということであろう。ならばまずいの一番に「自衛隊」や「一佐」、「特科」などという変てこな戦後的欺瞞を止めることから始めるべきである。憲法9条を改正し「小日本主義」から「中日本主義」への脱却である。その上で更に「大日本主義」、世界第2位の大国として自らの生存と安全に相応しい軍備を目的的に追求しなければならないのである。



熊津

16/07/06

 首都移転問題で韓国が揺れている。盧武鉉大統領の直属機関「新行政首都建設推進委員会」は5日、新首都の候補地として候補に挙がっていた忠清北・南道の4地域に対する評価結果を発表し、最も高い評価点を得た忠清南道公州市・燕岐郡が最有力候補地に決まったと発表した。盧政権は「首都機能の分散で、首都移転ではない」と言っているが、移転される側のソウル市や周辺の京畿道などでは住民から首長レベルまで首都移転反対の声が依然強く、野党ハンナラ党それから朝鮮日報など在野の主要マスコミまでもが一斉に反発し、移転の是非を問う国民投票の実施を求める動きもあるという。そのため正式決定は来月らしいが、予定した2012年までに首都移転が実現するかは不透明だともいう。

 かつて韓国のソウルからの首都移転というと国防がその理由であった。周知の様に朝鮮戦争の時、首都ソウルは北朝鮮軍の猛攻の前にたった3日で陥落した。38度線との距離が僅か50キロだったためで、国防上余りに脆弱だというのでこれまでも太田や釜山への首都移転が論議されて来た。が今度の首都移転論議は日本同様、ソウルへの「一極集中是正」がその理由というから韓国も変われば変わったものである。公州市が実質内定したのは国土均衡発展への寄与度、経済性(投資効率)、交通アクセス、自然環境、災害などの安全性等々を総合評価した結果、最高点を得たからだという。

 そこで早速公州市が何処にあるのか地図で調べて見たが、載っていない。ソウルから南に約120キロ、太田から約10キロ、忠清南道のほぼ中央というので大体の見当が付いたが、地図に載っていない程小さい都市なのであろう。がこの町はかつて熊津と呼ばれた百済の都のあった所という。熊津なら歴史物で出て来るので知っている。これは「ゆうしん」と読む。百済は建国の初め今のソウルに都を置く。「漢城」である。が、百済21代の王蓋鹵王は高句麗の大軍に漢城を攻囲され,捕えられ殺される。そのためその子文周王は都を南の「熊津城」へ移す。ここは近くを流れる錦江の南岸に位置して天然の要害をなしていた。がその後も高句麗の圧迫と南下は止むことなく、百済は程なくここも捨ててもう少し南の「扶余」へ逃れていく。その扶余に遷都されるまでの64年間、熊津は百済の都として栄える。百済はその全史を通じて全体的に日本との関係が深いが、この熊津に都が置かれた時代、特に日本と馴染みの深い武寧王とその子聖明王が出る。

 佐賀県の東松浦半島の突端呼子の先、壱岐の手前に加唐島という小さな島があるが、武寧王はここで生まれる。事情はこうである。高句麗の圧迫を受けた蓋鹵王は弟の昆支君を日本に遣わし百済救援を要請する。その時昆支君は兄の蓋鹵王にその愛妃を自分に呉れと言う。弟が兄嫁を要求するというのは今なら不道徳の極みということになるが、この時代ではさほど珍しいことではなかったらしい。が、この時既にその女性は蓋鹵王の子を身ごもっており、日本に渡る途中加唐島で武寧王を出産したというのである。そのため武寧王は日本書紀に「嶋王」「斯麻王」の名で出て来る。百済に送り返された武寧王はその後幾辛酸を経て王位に就き、高句麗の侵略をよく防いで百済中興の祖と崇められる。前に今上天皇の「韓国とのゆかり」発言の稿で、桓武天皇の母高野新笠が百済系渡来人であることを説明したが、高野新笠はこの武寧王の血を引いていた。武寧王の子が聖明王で、こちらは日本に仏教を伝えたことで夙に有名である。が聖明王は新羅との戦いに破れて斬首され、再び百済の衰亡が始まるのである。



小泉苦戦

16/07/05

 投票日まであと一週間を切って参院選は酣を迎えているが、今日の朝刊各紙は一面トップで一斉に選挙情勢を報じている。いずれも小泉内閣の支持率が急落し自民党が意外や苦戦を強いられる一方、民主党の優勢を伝えている。各紙毎に詳しく見て行くことにしたい。

 まず朝日は、自民党は「小泉ブーム」で沸いた前回01年の勢いを失い、同党が勝敗ラインとしている改選51議席の確保は微妙と報じている。一方民主党は選挙区で自民と競り合い、比例区でも自民党を大きく上回るなど合わせて50議席を超え、自民を断然上回る勢いだという。自民党の苦戦は政党支持率でも顕著で、「小泉人気」で圧勝した01年参院選の35%を大きく下回って24%。一方民主党支持率は19%と急上昇しており、国政選挙時としては結党以来最高を記録で、支持率の第1党と第2党がこれほど接近した形で国政選挙の投票日を迎えることは珍しいという。その他では公明党は改選議席維持に留まりそうだが、共産は改選15議席から大きく後退、社民は2議席前後の見通しだという。

 毎日新聞も同様の形勢を報じている。自民党は「1人区」と比例代表で振るわず改選50議席の維持が厳しい情勢なのに対し、民主党は比例で自民党を上回り選挙区でも互角以上の戦いを進め50議席を超す勢いと報じ、その他では公明党は改選10議席を固めたのに対し共産党は改選議席から大幅に減り、社民党は現状維持がやっとの見通しだという。

 読売新聞もほぼ同様で、自民党は選挙区、比例ともに苦戦を強いられており、勝敗ラインとしている51議席を確保できるかどうかぎりぎりの攻防となっている。これに対し民主党は38の改選議席を大きく超え、自民党を上回る可能性も出ているという。特に比例で自民党の伸び悩みが目立っており、今回は過去最低だった98年参院選の14議席を割り込む可能性すらある。 これに対し民主党は昨年秋の衆院比例選に続いて議席数で自民党を上回る可能性が高く、前回の8議席に大幅に上積みし20議席の大台に乗せる勢いとなっているという。小泉内閣の支持率も35・7%となり、同内閣発足以降の同社世論調査で初めて4割を切り、前回参院選の同調査の支持率(72・0%)と比べるとほぼ半減しているという。その他では公明党は8議席前後、共産党は4議席前後、社民党は2議席前後だという。

 産経新聞も、小泉内閣の支持率急落を伝えている。支持率は政権発足以来最低を記録して40・7%、一方不支持率は43・4%で最高となり、不支持率が支持率を逆転したという。政党の支持率でも自民が32・7%と前回調査に比べ1・8ポイント低下し、、民主は18・5%と2・9ポイント上昇。その結果民主党は比例代表で第一党を確保、選挙区と合わせても自民党を上回る勢いだという。一方内閣支持率、政党支持率で急落する自民党は勝敗ラインとしている51議席の確保は微妙な情勢だという。その他では公明は堅調、共産、社民は苦戦と各紙と同じ様な形勢を報じている。

 各紙とも「投票態度を決めていない有権者が4割を超えており、情勢次第で結果は大きく変わる可能性もある」と断り書きをしているが、今時点での形勢を総括すると「自民苦戦、民主優勢」というのが趨勢で、獲得議席数の基数はプラスマイナスを除外して、自民党48,民主党53,公明党9,共産党4,社民党2ということになる。だが果たしてそうであろうか? 私はズバリ自民党53プラスマイナス3,民主党48プラスマイナス3と逆に見ているのだが・・・



フセイン裁判

16/07/02

 今日の朝刊各紙はイラクで元大統領フセインを裁く裁判が始まったことを一面で大きく報じている。だが今回の手続きは本裁判ではなく予審に相当するもので、正式訴追は数ヶ月後となり更に実際の裁判が始まるのは来年以降となることに注意して欲しい。さて法廷に出廷したフセインだが、拘束時に伸び放題だった髭は短くなっており、白髪交じりだった髪も染めたのか真っ黒。だがかなりやつれており、目だけがギョロギョロとしとても往時の精悍さを忍ばせるものは何もなかった。

 法廷の模様だが、これは重要なので摘記しておきたい。まず人定質問でフセインは、「私はサダム・フセイン、イラクの大統領だ。元大統領ではない」と意気軒昂で、名前を確認する判事に対しいまだにイラクの最高権力者であることを誇示。更に何の権利があって命令するのかとばかり、判事をにらみつけ書類への署名を頑なに拒否。判事が「あなたは7項目の告発を受けている」とクルド人殺害やクウェート侵攻などの罪状を読み上げると、「あなたはイラク人なのにどうして侵攻などと言えるのか。クウェートはイラクの都市だ」とクウェート侵攻を正当化。そして「私が作り施行した法律で私を裁こうという訳か」「あなたは何時から判事の資格を持っているのだ」と裁判の正当性を真っ向から否定し、更に裁判自体を「全部茶番だ。本当の犯罪者はブッシュだ」と対決姿勢を露わにした。

 周知の様に先月28日、当初の予定を急遽前倒しして主権がイラクへ委譲された。これに合わせてフセインの身柄もこの裁判の前日急遽イラク側に移管された。移管といっても身柄は依然として米軍の下にあり、法的に管轄権が移転しただけである。つまりかくまで裁判を急ごうとしているのは、米英からの主権委譲を内外に強く印象付けるためなのである。併せてフセインの旧悪をイラク人の手で裁き、新体制への移行をスムーズにする狙いがあることも明々白々である。

 二つ、問題点を指摘しておく。まず、「裁判の形式」である。今度のフセイン裁判はイラク人が裁く形式を取る。だが米国が法廷の運営に深く関与している事実は隠しようがない。表面的にはイラク人による法廷だが、公判維持に必要な証拠収集は連邦捜査局(FBI)が主導し、立証方針も全部米国の専門家が立案したとされる。国家元首を裁く裁判は旧ユーゴスラビア紛争を裁くミロシェビッチ元大統領に対する裁判、ルワンダ紛争を裁く裁判にしろ、いずれも国際社会の主導による「国際法廷」である。何故今回だけ「国際法廷」ではなくイラク人による国内裁判なのかと言えば、フセインへの死刑の適用が難しくなるからである。既に暫定政府のヤワル大統領は米英占領下で停止していた死刑を復活させると言明しており、裁判で有罪となればフセインに死刑が宣告されるのは火を見るよりも明らかである。形式はイラク人による裁判だが、実質は米国による裁判であることは疑いようがないのである。つまり初めから死刑ありきの「勝者による断罪」「復讐裁判」の茶番であることは否定のしようがないのである。

 次に「何の罪で」裁くのかということである。今度の裁判でフセインはクルド人虐殺、シーア派系住民の虐殺、クウェート侵攻など「人道に対する罪」と「大量虐殺の罪」で訴追されている。しかし「大量虐殺の罪」は兎も角、「人道に対する罪」という一般国際法はまだ確立していない筈である。イラン・イラク戦争、クウェート侵攻を「人道に対する罪」で裁こうとするなら正に「勝者による断罪」「復讐裁判」の茶番に他ならなくなる。



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