三浦重周インタヴュー

平成6年4月1日

 三浦重周重遠社代表には既報の通り一月号で国際情勢、二月号で国内情勢そして三月号で戦後国家主義運動の課題と目標について、それぞれ長大な論文を執筆していただいた。激動する内外情勢に対する簡にして要を得た的確な分析と、日本及び戦後国家主義運動の将来に対する透徹した展望は文字通り余人の追随を許さぬものであり、岐期に立つ戦後国家主義運動が今後新たな高揚と発展を切り拓くうえで、必要にして不可欠な全ての論点を網羅した珠玉の大論文と断言して間違いないであろう。
 三回に亘る連載が終った今、三浦代表にしても限られた紙数の中で十分意を尽せなかった部分もあろうし、読者にしても十分な理解が困難な点も多々あったと思われる。そこで、編集部を代表して三浦代表に重要と思われる論点について聞いてみた。 

(井上正義編集長)

世界−日本−維新革命運動の構造的連関

井上 それでは順番にお伺いしていきます。まず、冷戦終焉以降世界は文字通り激動の一言に尽きる変転の真只中にある訳ですが、こうした世界を見るうえで重要なことは何でしょうか。
三浦 まず、最も重要なことは世界と日本そして我々の運動、これらをバラバラに見てはいけない。私は「世界史的世界」という言葉を良く使うが、これはそれまで東洋と西洋それぞれ閉鎖的な自己完結をなしてきたものが、白人の西方東漸の結果近世に入って東西世界が真にひとつの世界となったことを指していますね。それまで我が国の世界認識というものは、例えば神武天皇の「八紘一字」というものもその「八紘」という世界はせいぜい大和や近畿若しくは西日本という場所的範囲でしかなかったのです。しかしそうした八紘即ち世界は三韓・シナとの接触交通、仏教伝来による印度の認識という風に次第に場所的に拡大し、近世に入って紅毛人・南蛮人の渡来によって初めて西洋の存在を知りました。しかし江戸時代3〇〇年の鎖国によって、日本の世界は再び東アジアに閉じられ幕末の黒船の来冠とともに再び西洋世界に接触し、しかもその西洋は強大な文明と強大な覇権を持つ正に衝撃以外の何物でもなかったのですね。これは西洋人にとっても同じで、ギリシヤ人・ローマ人にとって世界とは今日の地中海世界でしかなかった。しかし下って近世に入って、コロンブスはインドの存在を知っていたがアメリカの存在は知らなかったが、大航海の末偶然アメリカ大陸を発見し歴史上「地理上の発見」と呼ばれる時代に入り、西洋人から見てひとつの世界の時代に入ったのです。これは我々東洋人にとっても同じで、洋の東西が真にひとつの世界となるのはここからなのです。一方これまでの世界の歴史は様々な国家・民族が興っては亡び、また興っては亡びそれを繰り返してきた。ではそうした世界史において実体を為すものは何なのか? それは民族に他ならないでしょう。民族が国家を創り、そうして創られた国家が世界を作ってきたのでです。
 ローマ人は征服によって大帝国を作り、その版図が今日の西欧というひとつの文化圏、精神世界の基礎となった。国家は固有の理念を持った個性的な生命体であり、その固有の理念は国家を創る民族の文化によって与えられるのですよ。
 我が国は国祖建国の初めに「八紘一字」という世界形成原理を有し、「八紘」が飛鳥から近畿そして日本、さらに三韓・シナ・印度から西洋へ場所的に拡大し、「地理上の発見」によって東西世界が真にひとつの世界となった世界史的世界においても、日本は世界の中心、ひとつの文明として世界形成の創造的主体たる理念を決して失なうことはなかった。こうした理念に対する強烈な自覚があったればこそ、幕末の西洋の衝撃に対しても己れを失なうことなく独立を保持でき、さらに大東亜戦争を世界史的戦争として闘い抜くことが出来たのでありますね。大東亜戦争で我が国は確かに一敗地にまみれたが、しかし政治的文化的になお世界形成主体たることは少しも変わらないのです。
 米国のハンチントン教授は冷戦終焉以降の世界は「文明の衝突」の時代となるであろうと言っている。その中で日本文明をひとつの文明世界として取り上げていますね。ハンチントンがこう指摘しているにもかかわらず、肝腎の日本は日本自らがひとつの文明世界として世界形成の創造的主体たり得るとの認識が全くない。大東亜戦争の意義を全否定した結果、自ら持てる民族理念に対する自覚を全く欠き、近代・西洋、キリスト教文明に代わる新しい文明、白人覇権に代わる新しい秩序は星雲の彼方か欧米の何処かにあると未だ信じ切って疑わない。しかし新しい文明、新しい秩序は日本そのものの中にあるのであって、それを復権するのが戦後国家主義運動の任務であり、平成維新の文字通りの主題に他ならないでしょう。
 世界−日本−維新革命運動、これら三つのものを根底において一つのものとして構造的に連関させて見るのでなければなりません。平成維新は日本再生の契機であるのみならず、世界史転換の契機、世界維新でもあることを忘れてはなりませんね。

靖国神社

たおやかな陽に包まれる靖国神社。

開戦直前とそっくりの日米交渉

井上 次に、二月の日米包括経済協議の決裂によって、日米関係が急速に悪化していますが、今後の日米関係を展望するうえで要点とも言うべきものを教えて下さい。
三浦 まず、二月の日米首脳会談、日米包括経済協議の交渉過程を見ると、正に戦前の開戦直前の「日米交渉」とそっくりである。あの時は「ハル・ノート」というのが最初から結論としてあって、交渉は戦争開始の理由を見つけるためのものでしかなかった。今度の日米交渉でも「数値目標」「結果主義」という結論が最初から米国側にあって、半年以上に亘る交渉は「スーパー三〇一条」発動の為の合理的理由を見つけ出すためのものでしかなかった。理不尽な結論にむけて一方的に押しまくる傲岸無礼な交渉態度は昔そっくりで、細川が「ノー」と言ったのは蓋し当然なのである。
 しかしその後が良くない。「成熟した関係」などと大見得を切ったのはいいが、米国が恫喝に転じるや忽ち腰砕けとなって恐慌状態に陥り、交渉で切ったカード以上のおおきな譲歩をし世界中の物笑いになってしまった。正に亡国派政権の屈辱外交と言う他ないのである。戦前の日米交渉では細川の祖父近衛文麿が一貫して煮え切らない態度に終始したため、政略と軍略が一致せず米国のワナにはめられて敗れたが、今度の日米交渉でも細川ははっきり「ノー」と言った以上、飽くまで正理を貫くべきで、三月二九日発表された「対外経済改革要綱」の様な無原則な対米妥協に屈するならば祖父同様責を負って直ちに辞任するべきなのである。
 重要なことはまず第一に、一月号で述べた様に米ソ冷戦の終焉によって日米関係が根本的に変ったこと、このことをまず押さえなければならない。米国は我が国をライバル・敵として明確に設定し、これを力でねじ伏せることを国家の戦略としてうち出したのである。そうでなければ自らの覇権支配、パックス・アメリカーナが崩壊するに至るからである。「経済安全保障」「戦略的貿易政策」というクリントン政権の新概念の意味をとくと考える必要がある。我が国にしてもこれまでの微温的同盟的な日米関係はすでに歴史的過去と化したことをはっきり認識しなければならない。そして日本も米国に対抗して戦略を語らなければならない。
 自らの国益を守り一〇〇年に亘る国運隆盛の基礎を築くため、今こそ国家戦略−地域戦略−世界戦略を重層的に確立しなければならない。国家間関係において根底の基礎をなすもの、それは力であり軍事力以外の何物でもないことを今度の日米交渉を通じて我が国は骨身にしみて学習した筈であり、米国に対抗する根源的力を創出するべく全力を傾注しなければならない。
 第二に重要なことは、日米摩擦は単なる経済紛争なのではなく、その本質は黄昏のパックス・アメリカーナか明日のパックス・ジャポニカか、の覇権抗争であることを理解しなければならない。歴史上覇権の交替は戦争によって惹起するのが通例で、さもなければイギリスからアメリカヘの交替の様に世界恐慌の苦悶を伴うのである。米国のリビジョニスト(見直し論者)が声高に叫んでいる様に、文化文明の衝突なのであり文明史的抗争をその背後に見るのでなければならない。日米摩擦は日米経済力の優勝劣敗が決定的に明瞭となるまで決して止むことはないのである。一時盛行した「日米共同覇権論」あるいは「アメリッポン論」などは純然たる幻想に他ならないのである。
 第三に日米関係で重要なことは、我が国が敗戦国であり米国が戦勝国であるという戦後的特殊性をはっきり認識しなければならないということである。先の日米交渉で明らかな様に、勝者の尊大と敗者の惰弱、この戦後的日米関係の根底にあるものが全的に払拭されない限り、正常にして対等の日米関係は望むべくもないのである。我が国は既に一度大東亜戦争で一敗地にまみれている以上、経済競争であれ何であれ今度は何としても米国に勝たなければならないのである。昔、ローマとカルタゴは地中海即ち世界の支配権をめぐって三度に亘って死闘を繰り広げた。すでに一度敗れている日本は、今度勝つのでなければ世界を掌中に収めることはできないのである。

井上 北朝鮮がIAEA(国際原子力機関)の核査察の一部を拒否したため、lAEAはこの問題を国連安保理に付託することを決め、国連安保理が経済制裁に踏み切ることは必至の情勢になったが、緊迫する朝鮮半島情勢を見るうえで重要なことは何でしょうか。
三浦 まず、これまでの経過を簡単に振り返ってみましょう。膠着していた北朝鮮の核開発疑惑は二月二六日の米朝間交渉で、?北朝鮮は三月一日からIAEAの核査察を受け入れる、?米朝高官協議第三ラウンドを三月二一日からジュネーブで行う、ことで合意し一気に解決にむかって進展するかに見えた。しかし三月一日から始まったIAEAの核査察では、北朝鮮は疑惑の施設の査察を拒否したためIAEAは三月一六日北朝鮮非難声明を発表し、同時にこの問題を国連安保理に付託することを決めた。これを受けて国連安保理は非公式協議を開始し、一方北朝鮮が米朝協議第三ラウンド開始の前提条件である南北対話をも潰したため、米国は三月二一日からの第三ラウンドを延期し、韓国に対するパトリオットミサイルの緊急配備及び米韓合同演習再開を矢次ぎ早に決定し、朝鮮半島情勢は一触即発の危機をはらんで現在に至っている。
 当面の焦点は国連安保理がどうゆう対応を採る、かである。国連安保理は三月二二日、再査察に一カ月間の猶予期間を設定し北朝鮮の軟化を促しているが、しかし北朝鮮の出方によってはいずれ経済制裁実施に踏み切ることは確実である。
 要点として第一に、北朝鮮はこれまで「核のカード」を弄んで来たが、しかしここに至っていよいよ窮地に追い込まれたということである。北朝鮮にとっては体制的延命が何よりの至上課題となっている。社会主義の地滑り的崩壊の逆風の中、現在の社会主義体制を維持したまましかも金日成から金正日への権力承継を完成する、これが北朝鮮の至上命題となっている。そのため「核のカード」を使って米国との瀬戸際政策を採り続けて来た訳である。
 しかし一方米国にとって、核の不拡散はパックス・アメリカーナの要を為すもので、北朝鮮の核開発は絶対阻止すべき至上命令となっている。対朝交渉の要を為すものは、NPT(核防体制)への完全復帰と特別査察の完全実施以外にはない。北朝鮮にとって「核のカード」は一方で核開発を推進する、他方でこれを切り札に米国から最大の譲歩を引き出そうというもので、この二つを常に暖昧にしておくことがカードの価値を最大に高めることになる。昨年三月NPTを脱退したのも今年三月IAEAの核査察を一部拒否したのも、査察が完全に行われてしまえば核開発の実体が忽ち明らかになり、カードとしての意味がなくなってしまうからである。北朝鮮は対米改善のためには核査察を受入れざるを得ず、一方核開発に固執すれば国際社会の共同の制裁を受けて自滅せざるを得ず、今や完全な袋小路に追い込まれているのである。
 第二にもし国連安保理が経済制裁を正式に決定し実施された場合、我が国は独自の判断で臨戦体制確立に踏み切るべきである。北朝鮮が怒号している様に、経済制裁は宣戦布告を意味することになるであろう。日本は米・韓両国と協調した行動を採るべきだが、しかしその場合でも米国に指示されて政策決定するのでなく独自の自主的判断にしたがって行動すべきであり、協調行動も日米同盟の義務履行としてではなく自らの国益を守るため日本自らイニシアチブを発揮すべきである。
 永年の課題であった有事即応体制の早期の完整は今すぐやらねぱならない。
 第三に細川は政権発足以来露骨な軍縮政策を採ってきたが、それが全くの平和ボケであることは今度の朝鮮半島危機で一点余す所なく明瞭となった。北朝鮮の核開発疑惑によって、戦勝五ケ国による国連支配と核独占を打破しなければ我が国の平和と安全が危殆に瀕することが如実となったのである。日米安保同盟の限界は露呈したのであり、自主防衛体制への一大転換が急務となっている。
 「非核三原則の放棄−核武装化」にむかって、今こそ国策の根本を確立すべきなのである。


国体は護持されたのか変更されたのか

井上 三月号の大正政変と平成政変の対比によって、平成政変の帰着すべき最終の結論が平成維新であるという議論は大変良くわかりました。
三浦 そうですか、理解してもらえると私としても大変うれしい。繰り返しになるが、要点は三つです。
 第一に、大正デモクラシーも戦後デモクラシーも国際的なパックス・アメリカーナに対応した国内の政治原理であり、しかも欧米崇拝による固有伝来の国家理想−国体の歪曲という点でも同一であること。これを打倒することが平成維新の思想的主題であるということ。
 第二に、日本の国家理想は世界形成原理たり得ること、大正デモクラシー、戦後デモクラシーの対抗思想はこの国体であり、これに依拠して平成維新は完遂されなければならないということ。日本は欧米の風下に立つべき国ではない。
 世界の中心として世界を形成すべき創造的主体なのである。戦後デモクラシーに拝きし続ける限り、日本の世界史的飛躍はあり得ようもないということ。今や経済大国となった日本は自らの意思と力によって、自ら生存するにふさわしい秩序を自ら創るのでなければ一日の延命といえども不可能となっている。
 平成維新による世界史的世界国家建設−これが平成政変の真に帰すべき結論だということ、このことを良く理解して欲しい。
 第三に、我が国における天皇の御存在及び一世の終焉の持つ意味、このことを良く考えてもらいたい。我々が何故に「任重クシテ道遠シ」の旗を掲げて起たざるを得なかったか。そして昭和聖帝の崩御の政治学的社会学的意味を良く考えてもらいたいですね。

井上 政治改革法の成立によって、政界再編は今後一挙に弾みがついて行くと思われるが、この問題に対する視点はどうでしょうか。
三浦 これも大まかに言って三つに分けて要点を押えておいて欲しい。
 第一点は、現在議員個人の思想信条と所属する政党の政策政綱との間に齟齬がある。例えば自民党の河野と日本新党の細川は抱懐する思想信条において寸分の違いもない。なのに与野党に分かれていがみ合っている。同様に新生党の小沢と自民党の渡辺美智雄は思想信条が殆んど同じである。それなのに与野党に分かれて権力を争っている。昨年夏の自民党分裂が急であったためだが、これがこれからの政界再編第二幕で整序されるかどうか、ここを見ていかなければならない。
 第二は、「穏健な多党制」から「保守二党制」へ次第に収束して行くということ。そもそも「穏健な多党制」というのは自民党分裂劇の際、小勢力であった日本新党とさきがけが自民党と新生党の対立関係の中で埋没することを恐れて唱導したものであった。しかし細川は連立政権の首班に就き今や長期本格政権を展望する立場、一方武村は自分も政界再編の牛耳を執りたい。細川と武村の対立、連立与党の「統一会派」派と「社民リベラル派新党」派の対立・二極分化は起こるべくして起ったと言える。しかも今後小選挙区制が導入される結果、自民党を含めた三極構造?「穏健な多党制」というのは次第に立ちいかなくなる。時間がかかるかも知れないが、「保守二党制」への収れん、この大きな流れを見失っていけない。
 第三点は、そうして出来る「保守二党制」は「小日本主義」と「中日本主義」の対抗になるということ。この議論はこれまでの機関紙をよく読んで確実に押さえておいてもらいたい。これらに対抗して「大日本主義」の潮流を創り出すこと、これが平成維新であり、興国派の党建設の戦略もここにあるのである。政界再編は今後急ピッチに進んで行くであろうが、戒しむべきことは床屋政談に終ってはならず、維新革命の本流本筋をきちんと頭に叩き込んでおくことがある。

井上 三月号で「万世一系」は保守の原理ではなく日本的革命の原理であると言われ、「共和偏政」という新しい概念を提示されましたがもう少し詳しく。
三浦 これは非常に重要なことなので、三月号を繰り返してよく読んでもらいたい。理解を正確にするため、これも大きく三つに分けて論点を押えてもらいたい。
 まず一つは、敗戦・占領を通じて国体は護持されたのかそれとも国体は変更されたのかということ。私は「国体」は内外に亘る二つの原理として理解している。即ち国内原理としては「万世一系」対外原理としては「八紘一字」である。これらは国祖建国の理念、理想であり、内外に亘って同時に貫徹されるべきものである。「万世一系」は天津日嗣御子が明御神(アキツカミ)−祭祀王として同時に天皇(スメラミコト)?統治王として、祭祀と政治の中心におわしますことがその実体的内容であって、単に皇統の連綿それ自体に意味がある訳ではない。憲法二条は皇統の連綿を制度的に保障しているが、しかし実体的内容はマッカサーの三大国体改悪、?神道指令、?人間宣言、?教育勅語廃止によってズタズタに破壊され、これらを条文化したのが憲法一・四・二〇条に他ならない。憲法四条によれば天皇はスメラミコトでもなければ、憲法二〇条によればアキツカミでもない。明御神(アキツカミ)天皇(スメラミコト)という「万世一系」の実体的内容は全否定されたのであり、ならば国体は変更されたと断言されねばならない。
 二つ目は、大化改新−建武中興−明治維新は何故起らなければならなかったのか、あるいは結果的に不首尾に終ったが戦前昭和維新運動は何を変えようとしていたのかということ。神話の中の「天安河原神集」、神武建国の大詔、大化改新における天智天皇の聖旨、そして明治維新における天皇の御誓盟、これらを貫く一つのものは「君民一体・君民共治」の思想である。「万世一系」の国体思想は天皇の専制独裁を承認する観念でなく、全く逆に「君民一体・君民共治」を日本国家の大綱にして政理とするものである。「万世一系」の本義たる明御神(アキツカミ)天皇(スメラミコト)の本義が否定若しくは蹂躙される時、それを国祖建国の本則に還って復元しようとする運動、それが大化改新であり建武中興、明治維新そして昭和維新運動であったのである。氏族専横−摂関強制−幕府武力専権、そして藩閥専制を継承した党閥・財閥・軍閥、これら「君民一体・君民共治」の実を妨害するものを打倒しようというのが維新革命なのである。
 三つ目は、維新革命は革命であり思想及ぴ権力の交替だが、その打倒すべき思想と打倒すべき権力とは何であるのかということ。敗戦・占領によって固有伝来の国体は破壊変更されたのであり、それ故平成維新が断行されなければならないのである。政治権力を国民のみが専有し、天皇は国政に関する権能を有しないとすれば、それはまさしく近代西欧の共和革命思想の実践であり、・「君民一体・君民共治」の国家の大綱政理に違背する。戦後デモクラシー思想によって統治権簒奪を合理化し、天皇を空名虚器の存在に祭り上げて政治権力を専権専断する戦後政党政治は、「君民一体・君民共治」の本則に対して正に「共和偏政」と呼ばれなければならない。

井上 国体のもう一つの原理であると言われた「八紘一字」についてはどうでしようか。
三浦 「万世一系」は国内政治原理で時間的概念である。これに対し「八紘一字」は日本民族の世界観を一語で言い表わしたもので、対外的原理であり空間的概念だと理解すれぱわかり易い。即ち、明御神天皇は時間的に天壌無窮に亘って一系でなければならないと同時に、空間的にも世界の一点動かぬ中心てなければならない。これが日本の国体の意味である。
 最初の所でも言った様に、国祖建国の大詔に出てくるこの「八紘」は歴史的に次第に場所的に拡大し、日本も近世に入って世界史的世界の時代に入った。日向から大和へ御東征された神武天皇の時の「八紘」は、今日で言えば西日本の場所的範囲に限定されていたのであり、今日我々が認識する世界とはその場所的範囲は明らかに異っていた。しかし「八紘一字」は日本民族の世界観であるから、今日の世界史的世界の時代においては、日本国体は世界史的世界的に顕現されなければならない。つまり日本天皇は決して日本的特殊の御存在なのではなく、世界的普遍性をもつ世界的な御存在なのである。まずこのところを知らなければならない。
 「昭和」の年号は「百姓照明 万邦協和」の出典に拠ったが、世界史的世界における日本天皇の本分を、「八紘一字」の意味をこれ程簡潔に正鵠に言い尽くした言葉はない。同じく昭和一五年の日独伊三国条約締結の際に発せられた詔書の中の一文「万邦ヲシテ各々其ノ所ヲ得シメ兆民ヲシテ悉く其ノ堵二安ンゼシムル」という一文は、日本天皇の歴史的に変わらぬ御精神を明示して過不足なく、将来建設される世界史的世界国家における日本天皇の在り様を明示しているのである。日本天皇の精神にして本分の思想である「仁」、その「仁ヲ明カニスル」ことを以て御即位された平成の天皇を奉戴して、世界史的世界国家を建設することこれが現代における「八紘一字」の意味に他ならない。


維新革命党−憲法制定権力を組織化せよ

井上 それでは次に、「憲法制定権力」という意味についてお伺いします。
三浦 これは「憲法制定」と「憲法制定権力」という二つに分けて考えるとわかり易い。まず、「憲法制定」ということだが、全ての憲法は何者かの制定行為を以て定立される。欽定憲法、民定憲法の区別は制定行為を形式的に分類したものにすぎず、欽定憲法といわれる明治憲法も実体的には明治維新の断行を経てその維新革命の全ゆる成果を確認し確定するために制定されたものである。つまり明治憲法の制定にしても「君民一体・君民共治」という国家の大綱政理を根源としている。
 それでは現行憲法は誰が制定したのか? 上諭で「日本国民の総意に基いて」、一条で「主権の存する日本国民の総意に基く」というが、実際的にはマッカサーが制定したのは疑い様もない。この疑惑を払拭し憲法制定行為の正当性を粉飾するために、明治憲法七三条による改正手続を採ったかによそおっている。占領期間中の憲法改正は国際的に禁止され、かつ新憲法は旧憲法の改正可能範囲を逸脱しており、国際法的にも国内法的にも正当性をもたないのである。まずこのことを押えなければならない。
 しからばこうした不正な憲法を改変するのに、憲法九六条の改正手続規定を踏む必要があるのか?
 そんなことはないのである。不正な憲法を改変するのに、その不正な憲法が定めた改正手続規定によらなければならないというのは明らかに背理である。即ち「自主憲法制定」というスローガンは憲法九六条の規定を無視し得ることを含意しているのであり、「九六条改正論」は誤っていると言わなければならない。
 次に「憲法制定権力」ということだが、全ての憲法は何者かの政治的決断行為をもって制定されるのである。現行の憲法はマッカサーの政治的決断行為によって制定され、明治憲法といえども七〇〇年に亘る幕府武力専権体制を打倒した明治大帝の決断行為の所産なのである。つまり全ゆる憲法は政治的決断行為によって制定されるのであり、政治と法律を結ぶ権力それが「憲法制定権力」なのである。我々の場合も同様で、新しい憲法は「君民一体・君民共治」の国家の大綱政理にもとづく政治的決断行為でなければならず、かつ新しい憲法は旧例と同じく変革を断行すべき維新革命綱領の具体的章条化でなければならない。新しい憲法は我々自身が制定するのであり、維新革命を目指す我々の思想と運動の相関的総体、それが連続的に発展して新しい憲法が誕生するのである。我々自身、我々の思想と運動それ自体が「憲法制定権力」なのであり、新しい憲法は戦後デモクラシーに拝脆する腐敗堕落した既成の議会において生ぶ声を上げるものではないのである。
 大化改新による律令国家体制、明治維新による立憲制の確立と同様、新しい憲法は戦後デモクラシー=「共和偏政」を打倒した後、その維新革命の成果を確認し世界史的世界国家建設のために制定されるのである。興国派による維新革命党建設の意義は自らを憲法制定権力として組織すること、この一点にあるのである。

井上 それでは最後になりますが、昨年一〇月朝日新聞社で自決を逐げた野村秋介氏が、その遺書となった「さらば群青」の中で「日本を切に愛する若き民族派諸君の為に.五つの敵」と題して「一日も早く玄洋社の理念とした『自由』『民ていますが、これについてはどうゆう風にお考え権』『天皇』の原点に回帰すること」と書き残しですか。
三浦 やはり戦後国家主義運動は否定的現状を打破するため、「尊皇攘夷」という明治維新の原点に回帰するべきであろう。 「尊皇攘夷」の思想は古色蒼然でも時代錯誤でもなく、今も変わらぬ日本的革命の根本思想なのである。即ち「尊皇」は今までの議論に照らせば「万世一系」ということであり、「攘夷」は「八紘一字」ということなのである。これら国祖建国の理想、日本国体の根本理念を幕末の時代的限定の中で言い換えたのが「尊皇攘夷」に他ならない。
 周知の様に確かに玄洋社は「尊皇」「自由」「民権」の三大社則を掲げた。しかし明治一〇年に創建された玄洋社のこの三大社則だけを取り出して絶対化すると誤解されるおそれがあろう。玄洋社の三大社則は明治維新以降の長大な国家主義運動史の中で正しく位置付けられなければならない。即ち明治維新は断行されたが、しかし維新革命の精神は歪曲され、間もなく「有司専制=藩閥政治」に堕してしまった。この弊政を打破しようとしたのが西郷・板垣ら征韓論争で敗れて下野た参議であった。大西郷は第二維新の旗を掲げ武力討伐を企てたが西南戦争で敗死し、一方板垣らは「君民共治」の政理を楯に議会開設を要求し自由民権運動を起して行く。謂わば明治維新を導いた「尊皇攘夷」の思想は征韓論争を磯に「尊皇」と「攘夷」とに分化し、「尊皇」は自由民権運動議会開設へ、他方「攘夷」の方は征韓論から国権論へ転化しその後アジア主義へ昇華して行くのである。明治一〇年に創建された玄洋社はこうした時代的背景の下に三大社則を掲げたことを忘れてはならない。
 最初自由民権団体として出発した玄洋社は、しかし清国北洋艦隊による乱暴狼藉事件を機に民権から国権へ転向し、玄洋社から出た黒龍会はアジア主義の系流を鮮明し韓国との合併、日清・日露戦争で大活躍する。したがって「尊皇」「自由」「民権」という玄洋行の三大社則もこうした運動史の中で見なければならず、「自由」「民権」が戦後デモクラシーの「自由主義」 「民主主義」の賛美でもないことを明確にすることが大切である。戦後国家主義の原点は「尊皇・自由・民権」というよりも「尊皇攘夷」思想への回帰、その源泉である国祖建国理想への全一の回帰でなければならないと思う。そして戦後デモクラシーに対して国体理想を、共和偏政=党閥に対して君民共治の大綱政理をもって闘わなければならない。時間は多くはないが、しかし我々の勝利は疑い様もないのである。


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