今月の主張

何が問題か?── 憲法改正の問題点

平成17年2月1日

動き出した憲法改正

 昨年来、憲法改正へ向けた各種の動きが加速している。まず昨年秋から年末にかけて、経済団体が相次いで改憲草案や提言を纏めて発表した。
 ざっと見てみると、経済同友会が「憲法問題調査会意見書」を発表したのを皮切りに、日本商工会議所が「憲法改正意見書」を、そして最大の経済団体である日本経団連が年末に「我が国の基本問題を考える」を発表した。

 年が明けると今度は、中曽根元首相が主宰する「日本世界平和研究所」が政界の改憲運動を主導するかのように、「防衛軍の創設」「象徴的元首」などの規定を盛り込んだ「憲法改正試案」を華々しく発表、中曽根が過去一貫して憲法改正運動を主導してきただけに政界のみならず多方面に大きな波紋を投じた。

 そして24日、小泉首相を本部長に年末に発足した自民党の新憲法制定推進本部が始めての起草委員会を開き、愈々政権党である自民党の憲法改正草案作りが本格的に始動した。
 起草委員長に就任した森喜朗元首相は「自主憲法制定は立党以来の党是だ、国会で改正の機運は高まり、国民各層の関心も広がりを見せている。
 この機会を逃すことなく草案作成に取り組んで生きたい」と決意表明、4月末を目途に憲法改正試案を纏める方針を確認した。

 自民党はこの「改憲試案」を基に11月に開かれる結党50年の記念大会で、「改憲草案」を正式に公表する予定でいる。なおこの会合では、改正案の策定作業を行う10の小委員会の委員長人事を発表し、前文担当に中曽根康弘、天皇担当に宮沢喜一両元首相を充てることをも明らかになった。

 一方、民主党も自民党に対抗して昨年来各種の調査会を発足させており、これらを自民党に先んじ3月に「憲法改正要綱」として纏める予定である。公式の「創憲案」の発表は来年に予定されているが、二大政党制への趨勢が強まる中、愈々憲法改正に向けた与野党の本格的取り組みが始まるのである。

 その他、憲法改正に向けた今年の日程を確認しておくと、国会関係では4月〜6月にかけては衆参両院に設置された「憲法調査会」がこれまでの活動を総括した「最終報告」を纏め、此れに合わせてこの頃、年来の懸案となっていた憲法改正の手続法である「憲法改正国民投票法案」が国会に提出される予定である。
 今年は終戦60年の節目の年であるが、この様に国家民族の悲願とも言うべき敗戦占領憲法の改正──自主憲法制定に向けた論議がこれから一挙に本格化していくのである。


マッカサー憲法に呪縛される各種「改正案」

 だがこれまで中途発表された各種憲法改正論議を見る限り、「改正」どころか「改悪」という危惧が拭えないのである。例えば、鳴り物入りで発表された所謂「中曽根改憲試案」を見てみよう。現行憲法を全面的に書き直した内容で、全116条からなる。

 前文で「独自の文化と固有の民族生活」を形成してきた『日本』という国家像を打ち出し、現行9条関係では、国防の責務を定め、自衛のための「防衛軍」創設と国会承認があれば海外での武力行使も可能とし、一方国体関係では、従来の持論である「首相公選制」を引っ込め「総選挙における各党の首相候補明示」を打ち出し、天皇を「象徴的元首」と新たに規定し直している。

 批判すべき要点は3つある。まず現行9条関係では、「国防の責務」を定め、「自衛のための防衛軍創設」と「国会承認があれば海外での武力行使も可能」としたのは当然過ぎるほど当然のことで、勿論異論はない。
 しかし、「国際紛争解決の手段としての国権の発動たる戦争と武力の威嚇、行使は永久に認めない・・・」というのはマッカサー現行占領憲法をそのまま引き写したものであり、「国際機関、国際協調の枠組みの下で、国際平和・安全の維持や人道支援のための防衛軍参加が可能・・・」というに至っては自衛戦争発動の当否にさえ疑念を生じかねない。

 中曽根にしてこの内容であり、いずれも「戦後敗戦立国=小日本主義」に拘泥して一歩も脱却していないのである。次に統治機構関係では、持論の「首相公選制」を取り下げた点は評価出来る。
 これまで何度も指摘して来た様に、「首相公選制」を認めれば”国体”は実質「共和制」に変容し、伝来固有の「天皇制」と背馳し、要らぬ紛乱を惹起する恐れがあるからである。

 だが中曽根試案の第73条は「行政権は首相に属する」となっている。これについては以下にも述べるが、「各政党は総選挙で首相候補を明示する」という規定と相俟つならば、現在の議院内閣制よりかなり大統領制に接近し、実質的に大統領制=共和制化することに注意しなければならないのである。

 もっとも大きな問題点はやはり「国体規定」に関する部分である。「中曽根試案」の第1条は、「天皇は国民に主権の存する日本国の元首」と規定する。まず「国民主権」を殊更強調するが、これもマッカサー現行占領憲法をそのまま引き写したもので、我が日本国体の真面目に反するものである。
 我が国にはイギリスやフランスの様に国王と国民の対立や革命の歴史がなかっただけでなく、逆に天皇自ら国民と共に立ち上がって近代革命を遂行しているのである。

 次に天皇の地位を「象徴的元首」とするのだが、これでは天皇が「象徴」なのか「元首」であるのか一向に判然としないのである。マッカサー現行占領憲法の「象徴天皇」というのは第4条に明記されている様に、天皇から統治権能を剥奪して「単なるお飾り」としたものである。

 これに対し「元首」であれば、国内的には行政の首長であり同時に対外的には国家を代表する権能を有する筈である。しかし中曽根はその試案第73条で、「行政権は首相に属する」ともいう。
 つまり首相が「行政の首長」というのだが、そうすると一般的に国内法上元首と看做される者が国際法上も元首として機能し処遇されるのが慣例であるから、首相が国内法上も国際法上も「元首」ということになり、「象徴的元首」と殊更言いながら天皇は「元首」ではなく、現行憲法そのままと同じ「象徴」ということになってしまうのである。

 天皇は「儀礼的な装飾」としてではなく、また単に「国民統合の象徴」としてでもなく立憲君主国の「君主」として、言い換えるなら国家の『最高統治者』として遇されなければならないのである。
 明治憲法の第1条から4条までは我が国伝来固有の国体に立脚して、しかも近代立憲君主国の「君主」としての真面目を余すところなく表現しており、その意味でこれは日本的近代立憲主義の不動の綱目を為すのである。

 結局中曽根の試案は、マッカサーが日本弱体化、日本国体の改変を目論んで強制扶植した占領憲法を大綱においてそのまま継承するものであり、「改正」どころか「追認」であり、自主憲法制定の名の下で日本そのものを自ら「改悪」しようとしているのである。


何が問題か?

 中曽根元首相と言えば第一線を引退したとは、改進党=民主党の「青年将校」の頃から一貫して憲法改正をリードし、憲法改正問題では党内では「最右翼」と目されている。また折に触れて「臣 康弘」と揚言して来たことは指摘するまでもないところである。それでいて、国体と国史についてはこの程度の見識と内容でしかないのである。

 だとするなら、これから相次いで発表される予定の自民党改憲案、民主党改憲案の内容も推して知るべしと言えるのである。かつて三島由紀夫烈士は、占領憲法こそ戦後的欺瞞と偽善の根源と喝破した。
  マッカサー占領憲法、即ち「戦後デモクラシー=象徴天皇制」は『最高』と揚言され『万能』と称賛された来たが、しかしその現実的結果はどうであったか。

 選挙をやればやるほど政治はだんだん良くなると言う戦後デモクラシーの理想は今や完全な幻想と化し、この10年を見ても明らかな様に選挙のたびごとに政治はだんだん悪化の一途を辿り、戦後デモクラシー を信じた報いは禍いとなって今や国は滅びようとしているのである。

 憲法改正の大眼目は国家の在り方、つまり国体を問う直すことである。我が国は明治維新において、三千年の歴史に徴し伝来固有の天皇統治の観念を近代立憲的に再確立して「大権統治」という独特の立憲主義を確立した。
 従って憲法改正というならば、国家の基軸中の基軸を為す天皇の「統治大権」「祭祀大権」の復権がまずいの一番とならなければならないのである。
 これに違背する憲法改正は如何なるものであっても断じて容認出来ないのである。

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