墓穴を掘った亡国派
党賊に鉄槌を

平成7年9月

 連立時代に入って初めての国政選挙となった参議院選挙は七月二十三日に投票が行われ、自民・社会・さきがけの連立与党の敗北、新進党の躍進という結果に終った。この選挙によって「社会党政権反対」「村山政椎不信任」の国民の審判が明確に下ったにもかかわらず、敗北した連立与党は選挙前に自らが国民に示した「与党二党で七五講席の改選議席維持」の共同公約を弊履の如くに投げ捨て、「村山政権続投」を決めてしまった。またしても国民の審判とは全く逆の政権が存続することになり、議会主義−政党政治の度し難い矛盾が現出することになった。しかし、こんなことはむしろ項末なことで、より重要なことは今度の参議院遺挙で投票率がついに過半を割り込み、たった四四%しかなかったことの方である。
 戦後デモクラシーは伝来固有の正系の統治原理ー「国体1=君民共治」に違背するものだが、これに加え戦後デモクラシーはついに自らがその拠って立つ原理的正統性をも自ら喪失するに至ったのである。これは即ち今日の議会主義=政党政治が「党賊」であるのみならず、全くの「私党」の類いでしかないことを明確に意味している。戦後デモクラシーはついに自ら墓穴を掘ったと断ぜざるを得ない。
 さて、社会・さきがけの惨敗によって今後「自民党−新進党」の二大政党制への移行が不可逆的な趨勢となった。しかしこの二年間の連立時代の経験に照らして現在の所謂「ねじれ現象」を抱え込んだままの二大政党制への転換であるならば、二大政党制は国民にとって間違いなく百害あって一利もないものとなろうし、無節操な党争内訌に明け暮れすれば政党政治は間違いなく自滅することになるであろう。そしてたとえ「ねじれ現象」が解消されて政界の再・再編が実現したとしても、それによって出来上がるのは「ポツダム綱領総翼賛体制」でしかないのである。
 先の「謝罪・不戦国会決議」強行採択で如実となったように、今や既成議会政党は悉く亡国派−党賊と化しているのであり、亡国派に代わる興国派の総結集−維新革命党の建設は緊喫の急務となっているのである。


原理的正統性を失った政党政治

 今度の参議院選挙を総括するならば、以下のことが言えるであろう。
 まず第一に、自民・社会・さきがけの連立与党が敗北し村山政権が国民審判において不信任された点である。選挙前の改選議席数は自民党が三三、社会党が四一、さきがけは一であった。そして与党三党は選挙前に「新三党合意」を締結し、与党執行部はこの新合意を「共同公約」とし、「与党合わせた獲得議席で連立政権の信を問う」という姿勢を明確にしていた。つまり社会党の大幅後退が予想される中、たとえ社会党が惨敗しても自民・さきがけ両党で社会党の負け数を補うことができれぱ、村山政権の責任は回避できるというのであった。
 しかし結果は、自民党は四六議席で改選議席数は上回ったとは言え河野執行部が目標としていた五〇議席を大きく下回った。社会党は党勢凋落の中改選議席数の約半分の二二を目標としていたが、それさえ大幅に下回る史上最低の一六に留まった。
 一方国政選挙初参加となったさきがけは大量のタレント候補を擁立したが、獲得目標の五を下回る三議席しか獲得できなかった。結局、社会党の惨敗によって与党三党が目標ラインとしていた「七五議席」を大きく下回り、与党合計で六五議席しか獲得できなかったのである。各党とも執行部が明示していた獲得目標に達せず、そして連立与党全体として公約していた数に遥かに及ばなかった以上、与党各党が敗北を喫しただけでなく、連立政権自体が国民によって不信任されたと見るべきなのである。社会党の惨敗及び連立与党の敗北を受け、村山は一度は辞意を漏した。議会政党政治の公理に従えば、これが当然の採るべき途だがしかし村山は直ちに前言を翻し、連立与党は首脳会談で「連立与党全体で参議院の過半数を維持できた」からという庇理屈をつけて、村山続投を決め込んだ。 

 政治家が自らの発言や公約を守らず結果に責任を負わないことがまたしても再現され、再び国民の審判とは全く逆の政権が存続することになった。これでは何のための選挙であったか国民が不信を抱くのは当然で、議会主義−政党政治の最低限のルールがまたしても政党自体によって蹂躙された点を見逃してはならない。第二は、国政選挙初陣の新進党の躍進によって今後政局が自民党と新進党の「保守二大政党制」へ収れんする可能性が明瞭になった点である。
 昨年十二月紆余曲折を経て旧連立政権の八党・会派が合同して結成された新進党は、初めての国政選挙となる今回の参議院選挙において、自民党と並び立つ二大政党の一翼となりうるかどうかが問われていた。
 もし自民党と比肩しうる議席数を獲得することができなければ、八党・会派の寄り合い所帯でガラス細工とヤユされ、そうでなくとも野に下って求心力が低下している現状で、その結党はたちまち分解し四分五裂に陥るのは必至であると見られていた。結果は改選議席の倍増以上の四〇議席を獲得し、自民党と比肩しうる大政党としての存在を示すことに成功した。

村山

村山は一度は辞意を漏した。

 新進党の躍進は投票率が史上最低となったため、創価学会を軸とした旧公明=六五〇万と旧同盟=民社票二〇〇万の固い組織票が威力を発揮した結果であることは言うまでもない。しかし史上最低の投票率という条件はどの党も同じであったはずであり、ブームも起らず無党派層=浮動票が大量棄権に回った今度の参議院選挙で、むしろ注目すべきは新進党が比例選の獲得議席、選挙区の総得票数のいずれにおいても自民党を凌駕した点である。
 純然たる組織票の決戦で新進党は自民党に勝ったわけで、これは一面自民党が二年前の大分裂以降も党勢の回復に全く成功していないことを意味するとともに、新進党が合同のプラス作用によって自民党と十分に対抗しうる二大政党の一翼であることを立証したことを意味する。
 今回の参議院選挙の結果から次期衆議院総選挙を予想した各種のシュミレーションが報道されているが、例えば読売・毎日は新進党二五Oー自民党一七一の数を弾き、与野党逆転=新進党の単独過半数を予測している。もちろん実際の議席数は五〇%を超える無党派層−浮動票がいずれの政党の支持に回るかで決まるが、固定票・基礎票において自民党と新進党がほぼ互角で拮抗している以上、自民党−新進党の「保守二党制」へ移行する蓋然性は極めて高くなったと言えるのである。
 第三にこれが最も重要なのだが、今回の参議院選挙で国政選挙としては史上初めて投票率が五〇%割り込んでたった四四%しかなかった点である。先の統一地方選挙で無党派旋風が荒れ狂い「青島・ノック旋風」と言われたように、無党派のタレントが与野党相乗り候補を破って圧勝した。しかし、それでも東京・大阪の知事選の投票率は辛うじてとは言え過半の五〇%をわずかに超えていた。しかし今回の参議院選挙では議会主義−政党政治の「生命線」とも言うべき五〇%を大きく割込んで四四%の低率に留まったのである。
 理念や基本政策を放棄し数合わせだけに狂奔する政党、宿怨旧恨だけの醜悪な党争、派利派略の醜怪な内訌に、有権者が嫌気し拒否反応を起こしたためであることは想像に難くない。しかし理由はどうあれ、有権者の半分以上が棄権に回った結果、現行の議会主義−政党政治が原理的正統性を喪失した点を見逃してはならない。近代議会主義−投票箱政治は「銃弾(ビュレット)から投票(ボレツト)へ」の標語に示されるように、流血による強力の決定から投票箱による平和的決着を目指したもので、思想的原理的にはその発祥の地アングロサクソンの巧利主義即ち「最大多数の最大幸福」を基礎とするものであった。つまり投票箱による多数の決定を以て一般意志と擬制するもので、その場合「最大多数の」と言う以上原理的に当然五〇%以上の多数人の政治参加を前提としているのである。したがって投票率が五〇%に達しない場合、最早「最大多数の」と言う原理的前提を欠き代議制民主主義は機能不全に陥ることになる。当然投票箱による決定も原理的暇疵を帯び、「最大幸福」とは認められず選挙結果は原理的に無効なのである。戦後政党政治−戦後デモクラシーは占領軍による銃剣下の強制によるもので、伝来固有の民族正系の統治原理ー「国体=君反共治」に違背するものであることは言うまでもないが、これに加え戦後デモクラシーー政党政治はついに自らがその拠って立つ原理的正統性をも喪失するに至ったのである。
 さらに付け加えるならば議会主義のみならず政党自体もその存在理由を滅却しているのである。政党は民意を国政に媒介する導管と美称されるが、政党政治が原理的に成り立つためには国政選挙に参加する政党全部が少なくとも国民の過半数の支持を得ていなければならない。.しかし今日では「支持政党なし」層が五〇%以上の高率を超えて断然第一位であり、これに対し既成政党全体の支持率は総計でも五〇%に遥かに達していないのである。つまり、今や政党は国体に違背する「党賊」であるのみならず、公共性の原理的要件を欠く「私党」に他ならないのである。

三者の心境

三者の心境はいかに。

保守二党制への収れんと問題点

 連立与党は与党首会談でいち早く村山続投を決めたが、連立与党の敗北の事態を受けて政局は慌しく動いている。まず自民党では河野執行部の責任追及の声が上がり、旧経世会を中心に秋の総裁選では河野の対抗馬として橋本通産相を推す動きが活発化している。惨敗した社会党は衆議院総選挙前の新党結成へ向けて、同じく不振に終ったさきがけと連携する動きが出ている。
 「社民・リベラル」の旗の下に第三極を形成し、到来必至となった「保守二党制」の間に埋没することを回避しようというのである。このように連立与党は村山続投を決めたものの、政権の求心力の低下は避けられようもなく、その内部は自民党と社会党・さきがけの真二つに分裂する様相を呈し始めている。「村山政権不信任」の国民の審判が明確に下ったにもかかわらず、村山続投を決めること自体が議会主義のルールを踏みにじるものだが、もっと奇怪なのは自民党首班に反対する社会党・さきがけを多数派の自民党が担いでいる点である。
 この矛盾は新進党の躍進という新たな事態を迎えて、必ず九月の自民党総裁選で噴出することになろう。

 一方、躍進を果した新進党は一時の寄り合い所帯の危機を脱し、政権奪還に向かってますます求心力が強まっていくであろう。比例選・選挙区のいずれでも自民党に競り勝ったことによって、次期総選挙へ向けて新人候補の発掘・擁立も自民党より遙かに有利となったこともプラス材料である。しかし新進党も全く万々歳というわけではない。何よりも目にも鮮かな躍進によって「新進党=創価学会」の実体が普く天下に知れ渡ったことである。新進党の躍進はその大部を創価学会に負っており、「新進党=創価学会」は紛れもない事実で、憲法二〇条と絡んで今後政権抗争の新たな火種と化すことは避けられようもない。その意味で「反小沢」の姿勢を日増しに強め、「保・保連合」を模索する船田グループの存在は注目に値する。
 このように参議院選挙の結果を受けて与野党とも動きは急であるが、しかし政局の流れは総選挙へむけて、そして総選挙の洗礼を経て「自民党−新進党」の「保守二党制」へ基本的に固まったと見なければならない。その理由の第一は、参議院選挙の結果に明らかなように絶対得票率(有権者総数に対する各党の得票の割合)が新進党=四九%、自民党=四五%、社会党七・一%で、自民党と新進党の二党が他を大きく引き離し、かつ両党が互角で拮抗している点である。野に下った新進党が政権批判票を吸収したのに対し、社会党は政権に在って失政・失策に終始し政権批判の受け皿としての地位を新進党に譲り渡してしまったのである。
 第二の理由は、惨敗した社会党、不振に終ったさきがけの「第三極」形成が極めて困難な点である。「第三極」の旗印を「社民・リベラル」とするのが両党の構想だが、しかし自民党が三月の党大会で改憲綱領を放棄してリベラル化を図り、新進党が旧民社党を吸収して社民の理念を継承している以上、「社民・リベラル」の旗印は成り立つ余地がない。また組織的にも「連合」が股裂き状態にあって傘下の単産が次々に新進党へ傾斜を深める中、「社民・リベラル」の実際的な支持基盤となるものは最早なくなっている。無党派の市民グループと旧総評系労組に依存するとなれば、今と寸部も違わず今回の参議院選挙と同じく惨敗するのは火を見るより明らかである。

小競り合いの達人

小競り合いの達人たちに、ただただ脱帽。

 第三の理由は、次期総選挙が小選挙区制を中心に行われる点である。今回の参議院選挙で、一人区は自民党が圧勝し二人区は自民党と新進党がほぼ議席を分け合った。このことから判るのは小選挙区制の下では社会党がほぼ消滅するということである。実際、比例選の得票を衆議院の小選挙区ごとに割り振ったシュミレーションでは、読売の試算で新進党一七七、自民党一〇五で新進党の圧勝となっている。もちろん、実際の獲得議席は浮動票の当日の動向如何が決するが、小選挙区制の下で生き残れるのは自民党と新進党の二党のみなのである。このように、今後日本の政治が「保守二党制」へ収れんすることは必至である。しかしこうした「保守二党制」が極めて大きな問題を孕んでいることに注意しなければならない。まず、「保守二党制」といっても当面自民党−新進党の二党へ完全に収れんするものではないことである。衆議院は小選挙制と共にブロック比例代表制を並用しており、その結果自民党=新進党以外の第三党が必ずブロック比例代表制から当選してくる。読売のシュミレーションでは、社会党は五二議席も獲得する。社会党・さきがけが合同する「社民・リベラル新党」は必ずこの遺産を継承する。それ故、自民党あるいは新進党が単独過半数を制しなかった場合、結局連立政権が続くことになる。それがもし「自民党+社会党」の組み合わせなら今と全く同じで、もし「新進党+社会党」の組み合わせならば昔と全く一緒で、「ねじれ現象」が相変わらず続き機能的な政策決定は妨げられ国運はますますジリ貧となるのである。逆に自民党もしくは新進党の単独過半数政権ならば機能的な政策決定は可能となるが、その代わり自民党大分裂以降の宿怨旧恨が吹き返し、戦前の政友会−民政党、あるいは戦後の保守合同前のような度し難い党争内訌が再現されることになろう。
 そしてもし「保・保連合」となるならば、それは文字通り亡国派による政権たらい廻しで「ポツダム綱領総翼賛体制」の完成に他ならないのである。また、「保守二党制」と言っても自民党、新進党ともその内部は多岐に分裂し、理念や基本政策で完全に一枚岩でなく「ねじれ現象」を内包している点を見落してはならない。例えば、自民党の河野は理念や基本政策において社会党の村山と寸部も違いがなく、先の「謝罪・不戦国会決議」で「議員連盟」に結集した二一二人とは明らかに異質である。
 「謝罪・不戦国会決議」の賛否ひとつ取っても自民党はほぼ思想的に真二つに分裂していたのである。新進党の内部も全く同じで、旧公明党と旧新生党・民社党とは特に安保防衛政策や国際的責務に関して埋め合わせできない溝が存在しているのである。
 つまり連立政権であれ単独政権であれ、今や日本政治の宿あとも言うべき「ねじれ現象」は何ら解消されないのである。そしてこの「ねじれ現象」を解消するためには政界の再・再編が必要となるが、しかしその展望は更に絶望的なものとならざるをえない。政界の再・再編を領導するのは各党のトップ・リーダーだが、海部、細川、羽田そして村山は過去及び現在の政権を見て明らかなように、そして河野、橋本、小沢、武村はその抱懐する思想信条と言動を見て判る通り、いずれも「国体破壊・国史否定・国益放棄」の.「三大亡国路線」の積極的推進者に他ならない。いずれもが「謝罪・不戦国会決議」推進の張本人であったことは記憶に新しいところであろう。即ち、再・再編を牛耳る指導者はいずれもが極め付きの亡国派であり、それ故例え再・再編が実現したとしても、それによって出来上がる政治体制は「占領憲法拝き・東京裁判史観奉戴」の「ポツダム綱領総翼賛体制」に他ならないのである。


議会に巣食う党賊を打倒せよ

 二年前の大分裂による自民党一党優位制の崩壊以降、この間日本の政治は混迷に混迷を重ねて来た。細川−羽田−村山と既成議会政党は理念や基本政策をうちゃって数合わせに狂奔し権力抗争に明け暮れして来た。本来なら到底宰相の器でない人物が党争政略の権謀術数によってその位に就き、錯綜する「ねじれ現象」に災されて機能的な政策決定は一度として行われることはなかった。
 こうした政治の無能無策によって連立時代のこのたった二年間で、円高は三割も加速し国内の製造業は壊滅的打撃を受け、海外移転に伴う産業の空洞化は一挙に進み景気は泥沼的不況に陥った。その結果、二年前まで世界一と称賛された日本経済のパフォーマンスは悉く悪化し、日本沈没の危機すら懸念されるに至った。国内が党争に明け暮れしているうちに、世界の形勢は欧州は統合へむかい米国はアジア・太平洋の囲い込みを着々と進め強固な勢力圏を構築したのに対し、わが国はアジアにおける地歩さえ危くなってしまった。また核防条約の無期限延長を易々と許し自ら将来にわたる世界再編の物質的基礎を喪失しただけでなく、わが国の安全保障はまたしても米国の掌中に握られることになった。そしてこの六月、「謝罪・不戦国会決議」が採択されわが国がアジア解放の大義に立って戦った大東亜戦争は「侵略戦争」と断罪され、将来に一大禍根を残すことになった。
 かつてシナの聖人は「苛政は虎よりも猛し」と嘆息したが、今日わが国の議会政党政治は虎どころか国家と民族を滅亡へと導こうとしているのである。内国の困迫と外事の危殆は切迫しており、この危局を打破するためには最早議会政党政治の打倒以外にないのである。戦後だけを振り返って見ても、政党政治は百害あって一利もなかった。五五年体制の下では亡国派−自民と売国派ー社・共に分裂し飽くなき抗争を繰返し、特に亡国派ー自民は一党優位制の下金権腐敗を専らとしていた。そしてそれが墓穴を掘って自滅した後、亡国派は売国派と無節操に癒着合体し、理念も基本政策も寸部も違わないのに宿怨旧恨をむき出しにして止めもない党争に狂奔しているのである。

 政党政治は戦後デモクラシーと自ら揚言しながら、しかしそれに相応しい新しい政治文化・新しいモラリシュ・エネルギーをついぞ産み出さなかったのである。これまで議会政党政治が辛うじて持ち耐えて来たのは、米ソ冷戦体制の下に組み込まれ自らの意思にもとづいて自らの政治を行う必要がなかったためである。米ソ冷戦の下では政権党は戦後日本の宗主国であり西側世界の盟主であった米国の指図に唯々諾々と従っていればそれで事足りたのであり、これに異議申し立てするのが野党の唯一の存在理由で、ともに自らの意思にもとづく自らの政治というものではなかった。五五年体制が崩壊したのはこうした戦後政治の特異性を枠付けてきた冷戦が崩壊したからで、そうなると共産主義の瓦解によって社・呉11売国派はたちまち展望喪失に陥ったが、実は自民11亡国派も共産主義の消滅によって自らの意思で自らの政治を迫られるに及んで、何らの展望を見い出すことが出来ず大分裂してしまったのである。自民党は反共主義以外に理念や基本政策は何もなかったのであり、一度として自らの意思で自らの政治を行った経験がなかったのである。
 政治はどこの国においても、民族の母胎で育まれた文化的道徳的理想の現実的な形成である。そしてその形成を媒介するのが政党に他ならない。例えば欧米の政党はリベラリズム、コンサーバテイズムにしろ、伝来固有の民族文化、民族精神を立脚基盤としており、歴史、伝統、文化とは切れ目なく連続している。それ故に政党政治は立憲制度の根幹として決して機能不全に陥ることはない。アジアの新興独立国といえども、政治文化の根幹に独立自主の精神があり、植民地支配のくびきによって根絶された伝来固有の文化、道徳、価値の復権を政治の根本に据えている。それ故これらの国のどの政党も悉く愛国党であって、一見狂躁に見えるが決して狂態を現ずることはないのである。
 ところが、戦後のわが国の政党はこれらと著しく異なるのである。わが国の場合、敗戦にようて伝来固有の文化、道徳、価値は全て「軍国主義の元凶」として葬り去られた。とりわけ伝来固有の統治原理である「国体」は目の敵にされ、「神道指令」に象徴されるよう、その精神的基盤をふくめて文字通り寸絶された。そしてそれに代る更生原理として占領軍が押し付けたのが「戦後デモクラシー」であった。米国は自らの共和主義の理想によって日本を根本から改造しようと企てたのであり、「戦後デモクラシー」の強制は共和主義革命による「国体」の徹底破壊であった。
 戦後の政党は左翼政党を除いて大体戦前の政友会−民政党の系譜を引いて復活したが、この占領軍による共和主義革命には反抗も抵抗も許されずただ賛成することのみが強制された。しかも幹部の根こそぎ公職追放の苛酷な弾圧を経て復活したため、出生と同時に反国体、反国家、反伝統文化を血肉化しているのである。戦後政党が社・共のように売国党でなければ、悉く亡国党であるのはこのためである。冷戦体制下ではかかる本質は反共主義の煙幕で隠蔽されてきたが、しかし六月の「謝罪・不戦国会決議」で如実なように、冷戦の終わりとともにその本質をむき出しにし始めたのである。自民党は今やその名の通りリベラル・デモクラシーの党即ち反国体党であり、新進党は創価学会に呑み込まれた結果反国体党として出発したのであり、名は「保守二党制」だが、その実体はかくの如きものなのである。今や議会は亡国派−反国体党の巣窟と化しているのであり、議会の党賊どもの打倒なくして国家民族の明日はないのである。
 二年前に始まった「平成政変」は決して短期間で収束するものではない。「平成政変」の本質はわが国家民族が敗戦亡国の「小日本主義」から世界史の頂点に立って世界史を牽引する「大日本主義」へ蝉脱するための産みの苦しみである。
 国家は無機的集合体でなく、それ自体生命と精神を持つ「具体化せる道義」である。政治の目的はこの国家精神、民族道義の実現であり、日本は敗戦・占領によって押し付けられた着衣が今やその体形体格に合わなくなり、今の体形体格に相応しい新しい被服を求めているのである。脱ぎ捨てる着衣は「小日本主義」であり、新たにまとうべき被服は「大日本主義」である。
 「平成政変」の結論は「小日本主義」から「大日本主義」への一大転換に他ならない。この「平成維新」の道理と結論を妨害する党賊どもには無慈悲に鉄槌が打ち下されなければならない。


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