亡国派の小日本主義打倒し 世界新秩序建設=大日本主義へ Vol.2

 

平成維新の綱要と党建設の意義

 前号(二月号)で指摘した通り、政治改革法案成立以降の連立政権は急速に求心力を失い始め、三月初めの改造問題に象徴される様政界再編のヘゲモニーをめぐる対立抗争が表面化してきた。
   長期本格政権を目指す細川はこの連立政権の分解的危機を、「政治改革」に次いで「経済・財政改革」を次の政権課題として設定することによって、政権の浮揚力をつけ乗り切りを画策しているが、しかしその「経済・財政改革」なるものは二月初めの「国民福祉税」構想にみられる様に放漫財政のつけを国民に転嫁する無責任な増税政策でしかなく、あるいは二月中旬の日米首脳会談における包括協議決裂とその後の無原則な腰砕けに明らかな様に、結局米国の言いなりの改革でしかないのである。
   「経済・財政改革」も先の「政治改革」と同様、全く無責任な破壊となるのは確実であろう。一方一月号で述べた様に、米国の日本に対する攻撃と封じ込めは二月の日米首脳会談をみても明らかな様にいよいよカサにかかってきた。重要なことは、これが戦略的なものであることであり、究極的には「覇権」をめぐる抗争であるが故に、その激化と深化は避けられ様もなく、日本の側において対米従属体制を脱却しなければ一方的に封じ込められてしまうということである。また北朝鮮の「核開発疑惑」問題は、二月末解決の方向に向って動き始めたと報道されているが、しかし「疑惑の二施設」に対する査察を意図的に除外した極めて妥協的宥和的なものであって、これでは北朝鮮の核武装は国際的に保証された様なものである。
   我が国の安定は文字通り危殆に瀕するに至っており、今こそ我が国は「非核三原則放棄?核武装化」に向って決断しなければならず、来年に迫ったNPT

 (核防条約)無期限延長を断じて許してはならないのである。この様に、外事の危殆と内国の困迫はますます深まっているが、この危局を脱するには平成維新による戦後的旧体制の破壊一掃以外ないということである。昨年夏惹起した平成政変の帰着すべき真の結論は平成維新なのであり、平成維新による「小日本主義ー戦後デモクラシー打倒」、平成維新による「大日本主義=世界史的世界国家建設」こそ日本そのものを救済し、新世紀における世界を一新甦生する歴史的結論なのである。即ち、戦後デモクラシーに拝きし米国の走狗として歴史の藻屑と消える「小日本主義」か、それとも建国の大道義に覚醒して戦後デモクラシーのくびきを断ち切って近代・西洋・キリスト教文明に代わる世界を表現すべき大日本文明と東力西漸への世界新秩序を建設する「大日本主義」かが今正に問われているのである。しかしながらこうした平成維新を牽引して「大日本主義」を実現するべき戦後国家主義運動が、現実には国家民族のむかうべき大局にむかって適切に領導するに至っていないのは否定しようもない事実である。
   現状は恰も平成政変の混迷に相即するかの様に、重い死の沈黙に堕したままなのである。米ソ冷戦終焉そしてその当然の結論としての五五年体制崩壊と全く同様、戦後国家主義運動も今や歴史的な大転換期に直面しているのである。
   それゆえ現在、戦後国家主義運動の過去一切の正負を総括し、維新革命の本義を鮮明にし、かつ平成維新の綱要を展望することはいよいよ焦眉の急となっているのである。総じて言うなら、思想論においては「反共唯一主義」から「維新革命主義」へ、組織論においては「私党的分裂主義」から「維新革命党建設」へ、そして運動論においては「密室サークル主義」から「憲法制定権力創出」へ、思想的組織的運動的に一大転換が図られなければならないのである。

立憲国民党を結成

桂内閣に反発し犬養毅らが立憲国民党を結成

転期に立つ戦後国家主義運動

 前号で明らかにした様に、昨年起った政権交替劇は決して短期日に収束するものではなく、今後少なくとも一〇年あるいはそれ以上に亘って続く長大にしてドラスチックな日本変貌へのほんの出発点でしかない。「平成政変」という言葉を殊更多用するのも、その真意は勿論「大正政変」がもたらした日本近代史の否定的教訓と対比せんがためである。
   「大正政変」とは周知の様に、大正二年二月藩閥勢力、官僚勢力を後楯にして三度び内閣を組織した桂太郎内閣が組閣以来わずかニカ月足らずで退陣に追い込れた事件を言う。この桂内閣打倒の急先鋒となったのが尾崎行雄の政友会と犬養毅の国民党で、両党は「閥族打破・憲政擁護」のスローガンを揚げ所謂「憲政擁護運動」を展開、これを支持する数万の群衆が国会を包囲し警察隊と衝突し各所を焼き打ちする大騒動となり、民衆のデモンストレーションが直接内閣を瓦解せしめた日本政治史上初めての事件で、それゆえ「大正政変」として特筆されるのである。
   「憲政擁護運動」とは今日の惰弱な小日本主義者流の護憲とその意味を異にし、藩閥専制政治を打倒し立憲政治の確立を要求したもので、それは遠くは五カ条の御誓文中の一項「広ク会議ヲ起コシ万機公論二決スベシ」に立脚する議会政の政治思想、近くは征韓論争下野派を中心とした自由民権運動以来の立憲政治の確立要求を下地として突発したものであった。しかし重要なことは、それが惹起した時期と長い錯綜混迷を経てついに行きついた最終的結論である。
   大正政変が起ったのは明治大帝が崩御されてわずか半年後であり、打倒された内閣首班は日露戦争を先頭に立って大勝に導いた桂太郎その人だったことに注意しなければならない。明治維新の心的体現者であり、偉大なる明治の輝しい領導者であった明治大帝が崩御されるや否や、国家の政治は求心力を忽ち喪失し、国民は心的統一軸を失って急速にアノミー化し、未曾有の国民的大戦争を勝利に導いた一世の英雄をも泥土に突き落とす程の狂躁を現出するに至ったのである。昨年の平成政変は確かに米ソ冷戦終焉の当然の国内的結論であるが、しかしその根底に偉大なる昭和聖帝崩御後の急速な国民的アノミー化状況の深まりの中で惹起したことは疑いない事実であり、しかも戦後の復興を推進してきた保守本流の超エリートである宮沢喜一を弊履を棄てるが如きであった点は桂太郎の場合と正に符節を一にするのである。
   我が国において天皇の御存在及び一世の終焉の持つ意味はかくも深遠であり甚大であるのである。この大正政変を引き金として始まった国内政治のアノミー化、動揺不安定化は大正年間を通じて深まり、第二次護憲運動=政党内閣制が実質的に成立するに至るのは大正の末年であり、しかし政党政治は開花した途端度し難い党派抗争と金権腐敗に明け暮れして忽ち人心を失い、わずか一〇年弱で終焉を迎える。その後も政治のアノミー化と動揺不安定化は一向に収束することなく、挙国一致国論が帰一して建国の大道義と明治維新の本義に立ち返って、世界史的世界形成へ乗り出すのは大東亜開戦の直前であった。しかしそれは時すでに遅く、万全の態勢で待ち構えていた米国の前に完敗を喫したのであった。
   大正政変によって始まった国内政治の動揺と混迷は政党内閣制成立までの十二年間とは言わず、実に一九四〇年の大政翼賛会結成までの約三〇年間続いたと見るべきものである。もし今冷静にあの時期を振り返って断言するなら、建国の大道義に速やかに覚醒し明治維新の本義に立脚して、白人覇権打倒の世界史的使命に相応した国内体制を早期に完整し、万全の態勢を以て対英米開戦に踏み切っていたなら、未曾有の大勝を博して世界史転換の大使命を完うしたのは疑い様もないのである。大正政変−大正デモクラシーの混迷と狂躁の一〇年がもしなかりせば、昭和の動乱史も書きつづられることもなく、さらにその後の敗戦亡国の屈辱も青史に記録されることもなかったのである。

大政翼賛会

大政翼賛会第1回臨時中央協力会の首脳陣

 全ては建国の大道義を没却し、明治維新の本義を滅却し、さらに自らの世界史使命を忘却し、外来の文物と制度を崇拝模倣しようとした大正デモクラシーの狂躁の一〇年が因となって災いしたのである。今緒に付いた平成政変が最終的にその真に帰着すべき所は、戦後的旧体制の破壊一掃による世界史的世界国家の建設以外の何物でもない。それはすでに述べた通り、大正政変が日本民族に求めた真の結論が、大東亜戦争開戦による白人覇権打倒であったのと同様なのである。そしてこの戦後的旧体制の破壊一掃による世界史的世界国家建設こそ平成維新の一点動かぬ主題なのである。
   建国の大道義、大理想を再び国家的に復権して道義国家を建設し、建国の大道義と大理想を以て西方東漸白人覇権の世界史に一大転換を画すること。もしこの最終的結論を蹂躙し、もしこの道と別の道を歩むならば、再び日本は亡国の淵を二度彷徨することになるであろう。平成政変を大正政変が辿ったデモクラシー拝きの狂躁の一〇年に終わらせては断じてならないのであって、戦後デモクラシーを打破し建国の大道義を復権再確立して世界史的世界国家建設へ向けて領導することこそ、戦後国家主義運動の歴史的任務に他ならないのである。戦後国家主義運動はかくの如き遠大な歴史的任務を担っているのであるが、しかしながら戦後国家主義運動の現状はこの歴史的要請に比して極めて否定的と断ぜざるを得ない。世界史の大激動、国内政治の大動揺に対し、歯牙をかけ得ていないのが偽らざる事実で、まさに死の沈黙と呼ぶより他ないのが現実である。
   その理由は何か?戦後国家主義運動の従来これまでの一切の正負を深刻に総括し、負的部分を悉くてっけつし、戦後国家主義運動の急進性、戦斗性を高めることは正に現在緊喫の課題となっているのである。その際、維新革命運動の三要素即ち思想−組織−運動の各論の三つに分けて見るのが適当である。まず第一に、思想論において戦後国家主義運動は過去の「反共唯一主義」を清算し、今こそ「維新革命主義」に一大転換しなければならない。
   「反共唯一主義」とは文字通り共産主義打倒を第一主題とする運動である。しかしこれが明白に誤まりであることは、主要敵として設定された共産主義が打倒されたあとのことを考えれば直ちに明らかになる。共産主義は資本主義・自由主義の否定として出て来た思想で、その共産主義を全否定すれば、思想的に資本主義・自由主義の全肯定になってしまう。資本主義・自由主義とこれを全否定する共産主義も共に近代西洋の理性崇拝から発生した謂わば同根のもので、その一方の肯定と他方の否定は、両思想が因って来たる理性主義・合理主義の地平を永遠に循環することになる。自由か平等か、いずれの絶対的肯定も絶対否定も共に誤まりであって、両者は矛盾的でありながらも自己同一的であって、それらを相補的関係ならしめるのが共同体の道義であって、自由も平等も国家的でなければならないのである。また「反共唯一主義」はロシア革命に始まる今世紀におけるロシア膨張主義に対する対抗概念であったことは間違いない。
   共産主義が全世界で猛威をふるい、害毒を流し続ける間は有効であっても、ソ連が崩壊し共産主義の破産が歴史的に明らかになった現在、その対抗概念としての歴史的使命を終えたと言わざるを得ない。戦後国家主義運動が立脚すべき主軸は国体思想、国体原理であり、打倒すべきは戦後国家である。戦後デモクラシーを奉戴し戦後占領体制の堅持を図る戦後政党政治ー亡国派こそが打倒されるべき主敵に他ならない。戦後デモクラシーに対する対抗概念は共産主義なのではなく国体思想であり、打倒されるべきはポツダム綱領を奉戴賛美する亡国派なのである。第二に組織論において、「私党的分裂主義」から「維新革命党建設」へ大転換が図られなければならない。
   戦後国家主義運動は「私党的分裂主義」に陥り、全国党の結成はおろか統一戦線が戦後一度として結成されることはなかった。あとで述べる様に、同じ維新革命であっても幕末と戦前と現在とでは格斗する国家制度が異なるのである。戦後国家は政党国家制でありかつ大衆民主主義の時代である。好むと好まざるとにかかわらず、維新革命を目指す以上全国的・集権的・公的な強大な維新革命党が結成されなければならず、その維新革命党による上からの思想的な指導による権力奪取を目指すのでなければならない。
   維新革命綱領はひとっしかないのであり、維新革命党もひとっでなければならないのである。全国に八○○も国家主義運動団体は必要でなく、これらは共通の維新革命綱領の創出を通じて一元化・全国化が完遂されなければならないのである。第三に、運動論においても「密室サークル主義」の弊風が打破されなければならない。維新革命が思想の交替とともに権力の交替である以上、合法・非合法の手段の当否はさておき、維新革命は下からの大衆運動に立脚した、既存権力に代わる憲法制定権力の創出以外にはありようがないのである。しかるに戦後国家主義運動は「私党的分裂主義」の上に「密接サークル主義」の悪弊に陥ってきた。全国八○○の国家主義団体が大衆と隔絶した密室で、全国横断的に同憂同志活動を繰り返してきただけであると言って過言ではないであろう。
   維新革命が下からの革命、下からの憲法制定権力創出、下からの権力奪取である以上、運動の要諦は大衆に対するアジテーション、大衆に対するプロパガンダ、大衆に対するオルガナィズでなけれぱならないのである。


維新革命の本義

 来るべき平成維新も、維新であるならば即ち革命だということを領解しなければならない。
   「革命」という用語は古来より我が国人に忌み嫌われてきた。その理由はシナ儒教文明圏にあって、革命とは孟子流の代朝革命を意味し、「万世一系」を国家の主権の基礎、国是とする我が国の政治文化と国情に合致しなかったからである。それゆえ大化の大革命は、「改新」と称せられ、明治の大革命は「詩経」の出典によって「維新」と美称された。近代に入って革命はフランス革命流の君主政打倒の共和革命を意味し、次いでマルクス主義の盛行とともに革命は階級革命を意味することになり、いずれも我が国情と政治文化に違背するが故に、明治維新の栄光を継承するものとして、国家主義陣営では好んで「維新」の用語が用いられて今日に至っている。しかしすでに述べた様に、来たるべき平成維新は戦前の昭和維新、あるいは明治維新とも異なる徹底した大変革てなければならず、しかもそれは世界史的意義と規模の大変革でなければならない。
   したがって昭和維新との異別を明らかにするためにも、あるいはまた維新が保守的反動でもないことを明らかにするためにも来たるべき大変革はまさに「維新革命」と呼称するのが最も適当と言えるのである。
   さて革命とは権力の交替であるとともに思想の交替である。既存の政治権力の打倒による新しい政治権力の創出であると同時に、既存の政治権力を支持する国民的信仰体系の一大更新なのである。それゆえ古今東西全ての革命は文化革命−政治革命−社会革命の順序を追うのであって、革命が軍事クーデターと異なる理由もここにある。

 権力の交替、思想の交替である以上、当然既存の政治権力との全面対決、既存の政治文化の全面否定を不可避とするが、ならば既存の政治権力、既存の政治文化を真正面から全否定する、あるべき権力、あるべき思想はどこから措定されるのか?これが所謂「国体」という問題に他ならない。国体は国家の根本性格という意味であって、それは各々の国家の成立事実ごとに異なり、それを生み出す源泉は国家を構成する民族固有の文化に他ならない。民族は「血」と「土」の共同体であるだけでなく、「文化」の共同体でありここに民族の個性が湧出してくる。政治共同体としての国家は文化共同体としての民族が「主権」的に構成されたもので、基礎にある民族の抱懐する精神、理想、道徳が国家に転移して国家の個性、根本性格となる。国家とは正しく「具体化せる道義」「客観化せる精神」に他ならないのである。我が国において国体は国祖建国の初めに厳として定まり、それは国内における代朝革命、外国からの侵略征服によって断絶されることなく、連綿として続いてきたとされた。その国体の最も中核的なものは「万世一系」の思想で、天照大神の神裔であられる皇統が天壌無窮に亘ってこの国を統治するという観念である。この「万世一系」の思想が厳然と確立していたからこそ、外事が危殆に瀕した時も一天子の下に強じんな団結力を以て独立を保持でき、かつ代朝革命の入り込む余地がないから国家の間断なき発展が可能となったのである。「代朝革命」を国家の国体とするシナが王朝交替の度ごとに、幾百年の動乱に苦吟してきたこと、及び西欧が中世から近代に入るに当って「共和革命=君主政打倒」の大混乱に陥ったのに対し、「万世一系」の政治思想のあった我が国はわずか数年でしかも大禍なく維新革命を完遂し得たのである。

 この国体思想は以上の様に保守の原理であるだけでなく、「復古即維新 維新即復古」と言われる日本的革命の原理ともなる。即ち万世一系ならざる者が皇位を窺う時、万世一系ならざる者が政権を纂奪して僣主王として振舞う時、神武建国の正則に還って窺位者と纂導者を討伐してきたのである。問題はこうした「国体」が先の敗戦−占領−新憲法制定によって、なお貫徹されているか否かである。
   「国体」のもとに単なる皇統を理解するとすれば、憲法二条によって皇統存続が明記され制度的に保証されている以上、天皇制の根底が万世一系から国民主権主義に変っただけであって、結局国体は「変革されなかった」ということになる。この論を展開する者は「万世一系」という権力の正統性の根拠を問題とするのみで、具体的な天皇の権限の多少を問題としない。それゆえ幕府制度の時代にあっても、将軍の権力は天皇の委任にその正統性の根拠をもっていたから、万世一系の天皇がわが国を統治し給うという肇国以来の国体の根本義に至っては寸毫も動くことがなかったという。その背景には、天皇がみずから国政の衝に当たられないことが天皇の尊厳を保つ所以であるという「天皇超政論」がある。この主張はマッカーサー憲法下の「象徴天皇」を正当化する論理として、「天皇親政が標傍されかつ執行されたのは上古と近代だけ」「不親政が天皇制の本質であって親政主義は天皇制の本来の姿ではない」などの論を展開した。そして日本の伝統・文化について殆ど無知な占領軍のニューデイラー派の軍人によって僅か一〇日で考案された「象徴天皇」を、日本本来の伝統に適ったものとして賛美し、かえって「天壌無窮」とされた明治国家の国体こそ日本史上異例のかつ好ましからざる事態だとするイデオロギーを散布したのである。

マッカーサー

ミズーリ号で日本の降伏文書に署名のマッカーサー

 この「象徴天皇」制全面賛美・合理化論が敗戦亡国の危機に際し、天皇制を擁護する目的を以て構築され、実際上もソ連や中国そして日共の「天皇戦犯・処刑」要求に対して決定的な防波堤の役割を果してきた功績は固より否定できない。しかしそれもなお当時昭和天皇に寄せられていた測り知れない偉大なカリスマ性が厳存していたから可能であったのである。この「天皇超政」論を憲法二〇条によって伝統的文化と切断され、憲法一条・四条によって初めから「象徴天皇」として御即位された平成の天皇に対しても展開し賛美するとなれば意味は全くことなることになり、国体「変革」を合理化する理論に変質することになる。まして「日本国憲法の定める天皇制は江戸末期の天皇制の連続と称するにふさわしい内容」などと賛美するなら、明治維新の意義も大東亜戦争の栄光も悉く全否定することになる。それだけでなく皇統の存続を以て国体は護持された、象徴天皇制を以て国体は変革されていないという論であれば、我が国においては「代朝革命」以外国体の変更なしという理屈になり、大化改新?建武中興−明治維新−昭和維新運動がなぜ起ったかの説明がつかなくなってしまうだけでなく、平成維新も不必要ということになる。
   我が国は万世一系の天津日嗣御子が、明御神(アキツカミ=祭祀王にして同時に天皇(スメラミコト)=統治王として、祭祀と政治の中心におわしまし、「祭祀権」と「統治権」をその御一身において帰一している「祭政一致」を国体の本義としているのである。
   天皇はただ文化的存在だけにすぎないのではない。政治が文化をその根底にもつ精華である限り、天皇は国家の中心にまします政治的存在でもある。日本の国体、日本天皇の特質は、文化的存在と政治的存在とが分かち難く結び合わさっている点にあるといってよい。
   国体の観念は国家組織における主権の所在と離るべからざる関係にあり、文化と政治、祭祀権と統治権が天皇の御一身において帰一している状態を指す。明治維新はこうした国体の再確立を目的とした維新革命で、明治維新以降通常国体という言葉でこの観念を想定、万世一系の天皇が国の元首として統治権を総撹し給う事実を指してきた。しかし憲法四条に書いてある通り「国事行為」のみを行い国政に関する権能を有しない非政治的存在だとするならば、統治者−統治権の日本国体は否定されているといわなければならない。   法律は議会の議決のみによって成立し、官吏は天皇の任命によらずしてその職務に就くものであれぱ、立法・行政・司法の全ての権力は天皇と全く無関係に行われるものとなり、仮令天皇の名称だけは存置していたとしてもそれは単に「空名」に止まり、君主としての地位は全く失われている。国家の最高統治者として統治権の源泉にまします上御一人でなければ、そしてそうした天皇存在を支持することが国民総意の存する所でなければ、文化的存在に裏付けられた政治的存在とは言えない。したがってマッカーサー憲法体制のように、立法・行政・司法の殆ど全部にわたって天皇の国家統治の大権を除き去り、限られた数個の形式的儀礼行為の外には単に国家の象徴のみに止めるなら、伝統的国体は根本から「変革」されたと断言せざるを得ない。国体はマッカーサーの三大国体破壊政策−神道指令・人間宣言・教育勅語廃止ーによってズタズタに破壊されたのであって、これら三大国体破壊政策を憲法的条文化した一条・四条・二〇条によって、国体原理の破壊は戦後国家体制の中枢に制度化されたのである。
   国体は護持されなかったし、現に護持されてもいないのである。戦後議会政党はマッカーサーが天皇の手から奪い取って下げ渡した政権を講和独立以降もそのままネコババを決め込んだ正真正銘の裏切り者に他ならない。‘戦後議会政党は日本国民として破壊された国体の回復義務があるにもかかわらず、マッカーサー押し付け憲法を改正しようともせず一指もつけないまま今日に至っているのである。刑法学で不作為犯も作為犯であると教える通り、義務ある者が義務を果たさなければ立派な作為犯である。戦後議会政党は自ら直接簒奪した者でないとはいえ、回復義務を果たさなかった点で纂導者と何ら変わらないのである。
   大化改新、明治維新はなぜ起らなければならなかったのか。蘇我親子、徳川将軍は簒奪者であったが故に簒奪されたのであり、簒奪者を簒奪するのが維新革命の本義に他ならないのである。そして今度平成維新において再び纂奪されなければならないのは戦後議会政党なのである。建国以来連綿と受け継れてきた美しき国体は大東亜戦争の敗戦とマッカーサー占領軍の大蹂躙によって破壊されたのである。もし国体が護持されたのなら維新革命の必要性は毫もなく、国体が破壊されたから維新革命が再び断行されねぱならないのである。この破壊された国体を復権し、今日的政治制度として再建することーここに平成維新の存在理由があるのである。


興国派の党建設の意義

 万世一系の天皇統治を革新的内容とする日本国体は神武国祖の建国において厳然と確立されたとは言え、歴史上常にかならず完全に顕現されてきたのではない。大化改新−建武中興−明治維新が繰り返し起されなければならなかった様に、神武建国によって宣揚された国家道義、国家理想も時として薄弱化することが度々あった。歴史上明らかな様に、氏族専横、摂関独制、武力専権の時代がまさにそうであるが、これらの時代が時間的に長いからと言って「天皇超政」が歴史の本則と言えないことは勿論である。これらの時代を貫いて共通することは内国における特権階級の腐敗と祓こ、外事における消極主義である。これは二つのものではなく、国家道義、国家理想の薄弱化に淵源するひとつのものなのである。氏族専横の時代、蘇我氏は皇室をしのぐ土地と人民を兼併し天皇を弑逆する程の乱倫腐敗を常とし、外事においては三韓政策で消極主義を採り半島経営を危殆ならしめた。
   摂関独制の時代、藤原氏は内国において徒らに貴賎上下の差隔を設け近江朝以来の公民体制を破壊し、外事に於いては消橿的な鎖国政策に堕した。幕府武力専権の時代も封建領主と化した武士階級は身分制度を固定化して特権階級と化し、外事において北条−足利−徳川といずれも消極主義に終止し国運の海外発展を阻害した。とりわけ足利義満の明王への臣従、徳川幕府の鎖国政策は測り知れない害悪を国家に与えたのである。これに対し氏族専横を打破した大化改新、武力専権を打倒した明治維新に共通して言えるのは、内国における貴賎上下の差隔の撤廃ー特権階級の打倒による平等原理の徹底であり、外事における進取発展の積極主義である。大化改新では氏族の土地人民兼併を全廃して公地公民の平等主義を実現し、外事においては大伴・蘇我の三韓外交の失策を挽回するべく百済救援の為に道義的出兵を敢行、白村江で破れたとは言えその勇戦は唐をして日本侵攻の意図を放棄せしめるに至った。
   明治維新においても国内においては封建的身分制度を全廃して再び国民平等主義を徹底して統一国民国家を建設、外事においてはアジア諸国が次々に欧米列強の植民地と化す中唯一独立主権を保持したのみならず、積極的道義外交を展開し日清・日露の戦争に圧勝してアジア救済の指導国に飛躍するまでに至った。この様に、万世一系の国体思想は決して消極的な保守の原理なのではなく、内外に亘る積極的な現状打破の革命原理なのである。これは今日においても同断であって、皇統が護持されたから維新革命の必要性がないという論は、戦後占領体制と対米従属体制を守り固めようという保守の原理に連なり、これに対し国体が破壊されたから維新革命が再び必要という論は、建国の道義を復権再確立して道義国家を建設し、外において対米従属体制を打破して世界史的世界国家を建設しようという積極的な革命の原理へ連なるのである。

日清・日露の戦争に圧勝

日清・日露の戦争に圧勝してアジア救済の指導国になった。

 また万世一系の国体思想は天皇の専制独裁を承認する観念ではなく、全く逆に「君民共治」を国家の大綱政理とする日本的民主主義の原理なのである。その萌芽はすでに神話の中で「天安河原神集」として発現し、神武建国の始めにおいて「苟くも民に利することあらぱ何ぞ聖造を妨けむ」との御誓旨として宣布せられ、氏族専横を打倒した大化改新において天智天皇は改めて「夫れ天地の間に君となり万民を宰どる者は独制すべからず、是を以て我が皇祖は卿等が祖考と共治す、朕亦た神明の保佑に依り卿等と共治せんと欲す」との聖旨を宣せられ「君民共治」の大網政理を闡明にされたのである。
   武力専権を打倒した明治維新においては、「近江大津の宮の御法のままに」と仰せられ「君民共治」の政理を再確認され、次いで「万機公論二次スベシ」という御誓明となり、さらに進んでこの精神が明治≡二年の衆議院開設へつながっていくのである。この様に、万世一系の国体思想は氏族専横、摂関強制、武力専権を次々に否定して国民平等主義を実現して来たことで明瞭な様に、天皇と国民の間に介在して特権を壟断する中間挟雑物を打倒し、君民一体の民族主義と君反共治の民主主義を実現しようという政治思想に他ならない。大化改新において公地公民制と共に確立された「君民共治」こそ日本国家の大綱政理というべきものなのである。翻って、戦後敗戦国家体制の核心は国民主権ー象徴天皇制」というものである。
   政治権力は国民のみが専有し、天皇は国政に関する権能を有しないとするならば、それは正しく近代西欧の共和革命思想と全く同じであって、日本国体の大綱政理に違背する。国民のみが主権を専有するとするなら、戦後敗戦国家体制は「共和偏政」と言わざるを得ないのである。統治権を簒奪した議会政党が天皇を空名虚器の存在に祭り上げ、国民主権の名の下党利党略を恣にする、政権を纂奪し党閥と化して党利を貪る戦後政党政治の本質は「君民共治」の政理に違背する「共和偏政」に他ならないのである。
   憲法一条と二条だけに目を奪われていると果して国体が変更されたのか護持されたのかはわからなくなる。しかし四条(天皇の国政無権能)、四一条(議会主権)を併せて読めば、戦後象徴天皇制は名は天皇制であっても天皇は「空名虚器」の御存在でしかなく、戦後象徴天皇制=戦後敗戦国家体制の本質は「共和偏政」に他ならない。この「共和偏政」の実体は「国民主権−議会政治−政権党」という垂直的システムの中で、結局政権党の一党独裁制になってしまうのである。戦後デモクラシーはこの結論を当然のこととする。
   君主政を否定する共和革命思想から発展した西欧流の自由主義、民主主義においてはこの結論は少しもおかしくないであろうが、しかし「君民共治」を以て大綱政理とする我が国においてはこの結論は断じて容認できないのである。政治は道徳の発揚教化という重要な作用を有し、もし天皇が道義の源泉中心に立つのでなければ政治は腐敗乱倫を極め党利党略を旨とする党閥の私斗と化してしまうことになろう。また国家民族の非常時の際、一に帰する心的中心がなければ国民は忽ちアノミー化して秩序は瞬時に崩壊してしまうであろう。道義の中心という作用と非常時大権は一即多・多即一的に天皇の権能とされなければならないのである。だとするならば、戦後国家主義運動の平成維新における思想的主題は戦後デモクラシーに淵源するこの「共和偏政」でなければならず、その際対抗概念として措定されるべきものは伝統的な万世一系の国体思想に他ならない。即ち、戦後敗戦国家体制=戦後象徴天皇制を支持する思想は、マッカーサー占領軍が強制付植した戦後デモクラシーでありその実質は近代西欧の共和革命思想なのであり、それを支持する権力は天皇の手からマッカーサー占領軍が奪い取って下げ渡した統治権を国体回復義務に違反して握り占めている戦後議会政党であり、維新革命が思想と権力の交替であるならば、交替されるべきものはこの戦後デモクラシー=「共和偏政」と戦後議会政党=党閥にして党賊なのである。
   氏族専横は大化改新によって打倒された。摂関強制と武力専権は明治維新によって打倒された。平成の維新革命で打倒すべきものは「共和偏政=党閥・党賊」に他ならないのである。そして平成維新における組織運動論も、今日の政党国家制−大衆民主主義の現実に踏まえるならば、当然党的対抗・党的闘争でなければならない。国体原理・国体思想の復権と確立を希求する全ての人士と勢力を総結集した、戦後議会政党=亡国派に対抗する興国派の党建設をもって、まず第一歩を画するものと言わざるを得ない。先に指摘した戦後国家主義運動における組織論での「私党的分裂主義」を全国的・集権的・公的な維新革命党建設へ集約するのでなければならない。もしこれに成功しないとすれば、戦後国家主義運動のもうひとつの固疾である運動における「密室サークル主義」と相待って、戦後国家主義運動はその熱烈な変革の情熱にもかかわらず、ただの悲憤糠慨右翼に終って現実的変革に対し歯牙をかけ得ぬまま終ってしまうであろう。しかしながら建設されるべき維新革命党は「共和偏政=党賊・党閥」を打倒するためのものであって、腐敗した戦後議会政治に埋没したものであってはならない。「政党」と冠したものを「結成」すれば足りるのではなく、各種選挙に日の丸を掲げて「立候補」すれば足りるのでもない。
   革命の目的は権力の奪取であり、奪取された権力による既存の政治システムの変更であり、最終的には新憲法の制定という形をもって終る。戦後国家主義運動にとっての憲法論は、変革を断行すべき革命綱領であって、議会の協賛をもって改正されるべき憲法解釈論ではない。換言すれば、維新革命党建設の目的は「どこ」を変えるか議論するために議会政治へ参入するのではなく、「どう」変えるかという運動過程それ自体のものでなけれぱならない。革命は新しい権力の創出であり、新しい権力は変革運動そのものの中に創出されるのである。最終的な目的である新憲法制定が政治的な決断行為である以上、維新革命党建設の目的は憲法制定権力の創出それ自体でなけれぱならないのである。
   明治維新において打倒されるべきものは「武力専権=幕府」であり、その幕府を打倒するため、尊皇の志士はまず一藩勤皇を戦略とした。一藩の実力・総力をもって幕府を討伐すること、そのため一藩の権力を掌握することを目的とし、テロ・クーデターを戦術として藩庁内部の保守派・佐幕派指導部を一掃することに全力を傾注した。一方昭和維新においては、君民共治の実を妨害する君側の奸=党閥・軍閥・財閥を打倒するため、これら特権階級に対するテロ・クーデターによって天皇大権の発動を目指した。憲法上天皇大権がない戦後体制の下では、昭和維新型の組織運動論は最早意味をなさないが、明治維新の組織運動論は今日なお極めて多くの示唆を与えているのである。


平成維新の綱領的諸問題

 現在世界及び日本は歴史的な大転換期に直面している。世界ではコロンブスの新大陸発見以来五〇〇年に亘って続いてきた西力東漸−白人文明の優位支配と白人の世界覇権が近代物質文明の行き詰りとパックス・アメリカーナの動揺によって大転換期を迎えている。一方日本においても、戦後一貫して続いてきた自民党一党優位制が崩壊し、これからかなりの長期に亘る政治的不安定化は避けられようもなくなっている。ともに既存の文化と秩序が行き詰って破綻を来たし、しかしこれに代わる新しい文化、新しい秩序がその相貌を現わずに至っていない。しかし歴史的現実は常に問題とその解決の錯綜なのであり、時代的危機に解決法を与えるのは行為的主体たる我々の営為にかかっているのである。
   世界の危機も我が日本が世界史の創造的主体であることを自覚し、近代・西洋・キリスト教文明に代わる世界文明を表現すべき大日本文明とパックス・アメリカーナに代わる新たなパックス・ジャポニカ創造に意思的となりさえすれば、その解決法は与えられるのであり、同様に現在日本の危機も戦後国家主義運動がひとつの維新革命党建設の下、大日本主義構築の為平成維新を断行すれば忽ち解決されるのである。即ち世界と日本を貫く危機も、我々が決意し意欲しさえすれば直ちに解決するのである。
   平成維新はかくの如く日本一国の変革ではなく即世界史の大転換なのである。さてそれでは平成維新の綱要、綱領的諸問題とはどの様なものであろうか。国家論ー社会論ー世界観の三つに分けて論じるのが適切である。まず国家論について。国家を構成するのは民族である。いずれの国家といえども民族を以て構成単位としない国家はない。即ち国家の実体を形成するのは民族なのである。その民族はこれまで歴史的に自然的民族ー文化的民族−国家的民族の各段階を経て今日に至っている。
   民族の最も基礎的構成要素は「血」と「土」であるが、これを構成要素とする段階を「自然的民族」、次にそれぞれ特有の宗教、芸術、科学等の「文化」を生み出し一個の文化共同体を形成するに至る。こうして漸化した段階が「文化的民族」である。そしてさらに近代に入って民族は「主権」的に結合してひとつの運命共同体を創るに至る。これが「国家的民族」の段階で国民主権国家の構成を取る今日の段階である。ここでは国家を持つ民族のみが民族で、国家を持たない民族は民族ではないのである。この様に国家は民族の文化共同体でありかつ運命共同体・政治共同体に他ならないのである。
   国家は個人の機械的集合でもなければ、個人が相互に社会契約を結んで作ったものでもない。国家をこれを構成する個人に分解還元し、個人のみを実在視し国家を唯名論的存在と見るのは西洋近代特有の偏局的国家観で、その根底にはキリスト教の超国家主義が災いしているのである。また国家をもってスティートとする説も近代特有の主権国民国家だけを見ているのであって、国家が歴史的存在であることを無視している。したがって国家=スティート説に立つ自由主義思想の統制機関説も、社会主義思想の階級抑圧機関説もともに誤りなのである。
   さて、国家は成立の基礎事実にしたがって各々個別的特殊的である。これが国体で、日本がシナ・アメリカと異なるのは国家の成立事実、国家を構成する民族が異なるのである。国家は無機質的存在なのではなく、民族の有する文化とくに道義・理想の具体化・客観化とみるべきもので、国家とは即ち「具体化せる道義」「客観化せる精神」に他ならない。我が国の場合、神武建国は民族的理想、民族的道義の政治的形成として日本国家の存在理由を明示し、歴代天皇はこうした建国理想、建国精神の一貫した体現者であらせられ、時間と空間の両軸の中心にましますのである。しかしこうした国家の在り様はマッカーサーとそれを継承した戦後議会政党ー党閥・党賊によって全否定され存在しないのである。   大東亜戦争の以前と以降とは同じ日本でありながら、その構成理念を異別にしているのである。戦後国家の構成理念は西洋近代の共和革命思想から発する自由主義・民主主義で、伝来固有の国体思想ではないのである。国体思想を以て戦後デモクラシーに代替し、纂導者を纂奪するのが思想と権力に係わる平成維新の主題なのである。したがって国家論から派生する綱領は第一に、敗戦国家の愛国的革正第二に、国祖建国理想の国家的再確立でなければならない。
   次ぎに社会論について。国家論で述べたと同様、社会も個人の機械的合計なのではなく、社会も個人も実在でありかつ一即多・多即一的に実在しているのである。近代という時代の基本的特徴は理性崇拝の合理主義・主知主義であって、全ゆるものを理性の目に照らして分析的に思惟する。しかしここに今日の文明的行き詰りの根本の原因があるのである。この立場では社会や国家など不可視の全体は捨象され、個人のみが実在となってしまう。こうして個人主義の哲学が生まれ、自由主義思想が産み落されその経済的適用として資本主義が肯定される。しかし自由放任の競争の結果社会の中に著しい不平等が生じ特に生産手段の私有制は貧富差隔の拡大をもたらし階級分化を促した。こうして階級対立を解消させ、社会的平等を実現することを目的として社会主義思想が現われた。しかし社会主義は平等を実現するため、却って個人の自由を否定する結果となった。謂わば誤謬を正そうとして再び誤りに陥ったのである。
   個人主義・自由主義・資本主義は個人のみを実在と考えている点で誤っており、個人と同じく社会も一つの実在として現存するのである。同様に社会主義も、自由と平等を両立不能の矛盾概念と見ている点で誤まりを犯している。具体的論理の立場では、個人と社会はともに実在で、背反しながら一致、矛盾的でありながら一致しているのが真相である。自由と平等も矛盾概念ではなく、平等のための自由、自由のための平等の範囲内で融合しうるのであり、それを融合せしめるものは共同体の道義であり、それで足らざるところは法と政治で他律的に融合せしめる必要があるのである。個人主義・自由主義・資本主義と社会主義を機械的に折衷した現在の経済社会システムは、まず道義の立場から再構成されなければならない。したがってここから綱領は第三に、生活産業組織の根本的改新でなければならない。
   最後に世界観について。個人主義の哲学が説く様に個人のみが実在なのではない。人間は現実的存在であるとともに永遠なるものに連なる歴史的存在である。また我であると同時に同胞たる存在であり、国民精神により歴史に基づいてその存在が規定されている。この具体的な国民としての存在を失わず、そのまま個人として存在するところに真の意義が見い出される。個人主義の哲学は個人としての一面のみを抽象して、その国民性と歴史性を無視する点で重大な誤りを犯している。
   国家と国家、国家と世界の関係も同様である。国家は実在しない唯名論なものではなく、現実的存在であるとともに歴史的存在である。また個別的であると同時に世界的存在である。国家相互間においても、各々その特性をもち互いに相違しながら、しかしその特性を失うことなくよく本質を現じ、一如の世界に和するものでなければならない。神武建国の初めに宣揚された「八紘一字」とは、正にこうした関係を言い表したものに他ならない。こうした日本民族の世界観は正に世界観であるため、単に日本のみならず世界的にも顕現されるものでなければならない。その際、理想顕現は日本から場所的に拡大してまずアジアにひとつの世界を形成しなければならない。文化文明、思惟思想において洋の東西は相を異にしており、理念理想の相克は必至だからまず同一のものを奉ずる者同士がひとつとならなけれぱならない。日本は新しい文明と新しい秩序の世界的形成者となるのでなければならず、その為にはまず日本自らが道義的に覚醒し世界史的民族とならなければならない。平成維新はまさにその為の「死の跳躍」に他ならない。したがって世界観から派生する綱領は第四に、亜細亜国家連合の建設第五に、世界の道義的統一でなければならないのである。


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