全ては建国の大道義を没却し、明治維新の本義を滅却し、さらに自らの世界史使命を忘却し、外来の文物と制度を崇拝模倣しようとした大正デモクラシーの狂躁の一〇年が因となって災いしたのである。今緒に付いた平成政変が最終的にその真に帰着すべき所は、戦後的旧体制の破壊一掃による世界史的世界国家の建設以外の何物でもない。それはすでに述べた通り、大正政変が日本民族に求めた真の結論が、大東亜戦争開戦による白人覇権打倒であったのと同様なのである。そしてこの戦後的旧体制の破壊一掃による世界史的世界国家建設こそ平成維新の一点動かぬ主題なのである。
建国の大道義、大理想を再び国家的に復権して道義国家を建設し、建国の大道義と大理想を以て西方東漸白人覇権の世界史に一大転換を画すること。もしこの最終的結論を蹂躙し、もしこの道と別の道を歩むならば、再び日本は亡国の淵を二度彷徨することになるであろう。平成政変を大正政変が辿ったデモクラシー拝きの狂躁の一〇年に終わらせては断じてならないのであって、戦後デモクラシーを打破し建国の大道義を復権再確立して世界史的世界国家建設へ向けて領導することこそ、戦後国家主義運動の歴史的任務に他ならないのである。戦後国家主義運動はかくの如き遠大な歴史的任務を担っているのであるが、しかしながら戦後国家主義運動の現状はこの歴史的要請に比して極めて否定的と断ぜざるを得ない。世界史の大激動、国内政治の大動揺に対し、歯牙をかけ得ていないのが偽らざる事実で、まさに死の沈黙と呼ぶより他ないのが現実である。
その理由は何か?戦後国家主義運動の従来これまでの一切の正負を深刻に総括し、負的部分を悉くてっけつし、戦後国家主義運動の急進性、戦斗性を高めることは正に現在緊喫の課題となっているのである。その際、維新革命運動の三要素即ち思想−組織−運動の各論の三つに分けて見るのが適当である。まず第一に、思想論において戦後国家主義運動は過去の「反共唯一主義」を清算し、今こそ「維新革命主義」に一大転換しなければならない。
「反共唯一主義」とは文字通り共産主義打倒を第一主題とする運動である。しかしこれが明白に誤まりであることは、主要敵として設定された共産主義が打倒されたあとのことを考えれば直ちに明らかになる。共産主義は資本主義・自由主義の否定として出て来た思想で、その共産主義を全否定すれば、思想的に資本主義・自由主義の全肯定になってしまう。資本主義・自由主義とこれを全否定する共産主義も共に近代西洋の理性崇拝から発生した謂わば同根のもので、その一方の肯定と他方の否定は、両思想が因って来たる理性主義・合理主義の地平を永遠に循環することになる。自由か平等か、いずれの絶対的肯定も絶対否定も共に誤まりであって、両者は矛盾的でありながらも自己同一的であって、それらを相補的関係ならしめるのが共同体の道義であって、自由も平等も国家的でなければならないのである。また「反共唯一主義」はロシア革命に始まる今世紀におけるロシア膨張主義に対する対抗概念であったことは間違いない。
共産主義が全世界で猛威をふるい、害毒を流し続ける間は有効であっても、ソ連が崩壊し共産主義の破産が歴史的に明らかになった現在、その対抗概念としての歴史的使命を終えたと言わざるを得ない。戦後国家主義運動が立脚すべき主軸は国体思想、国体原理であり、打倒すべきは戦後国家である。戦後デモクラシーを奉戴し戦後占領体制の堅持を図る戦後政党政治ー亡国派こそが打倒されるべき主敵に他ならない。戦後デモクラシーに対する対抗概念は共産主義なのではなく国体思想であり、打倒されるべきはポツダム綱領を奉戴賛美する亡国派なのである。第二に組織論において、「私党的分裂主義」から「維新革命党建設」へ大転換が図られなければならない。
戦後国家主義運動は「私党的分裂主義」に陥り、全国党の結成はおろか統一戦線が戦後一度として結成されることはなかった。あとで述べる様に、同じ維新革命であっても幕末と戦前と現在とでは格斗する国家制度が異なるのである。戦後国家は政党国家制でありかつ大衆民主主義の時代である。好むと好まざるとにかかわらず、維新革命を目指す以上全国的・集権的・公的な強大な維新革命党が結成されなければならず、その維新革命党による上からの思想的な指導による権力奪取を目指すのでなければならない。
維新革命綱領はひとっしかないのであり、維新革命党もひとっでなければならないのである。全国に八○○も国家主義運動団体は必要でなく、これらは共通の維新革命綱領の創出を通じて一元化・全国化が完遂されなければならないのである。第三に、運動論においても「密室サークル主義」の弊風が打破されなければならない。維新革命が思想の交替とともに権力の交替である以上、合法・非合法の手段の当否はさておき、維新革命は下からの大衆運動に立脚した、既存権力に代わる憲法制定権力の創出以外にはありようがないのである。しかるに戦後国家主義運動は「私党的分裂主義」の上に「密接サークル主義」の悪弊に陥ってきた。全国八○○の国家主義団体が大衆と隔絶した密室で、全国横断的に同憂同志活動を繰り返してきただけであると言って過言ではないであろう。
維新革命が下からの革命、下からの憲法制定権力創出、下からの権力奪取である以上、運動の要諦は大衆に対するアジテーション、大衆に対するプロパガンダ、大衆に対するオルガナィズでなけれぱならないのである。
維新革命の本義
来るべき平成維新も、維新であるならば即ち革命だということを領解しなければならない。
「革命」という用語は古来より我が国人に忌み嫌われてきた。その理由はシナ儒教文明圏にあって、革命とは孟子流の代朝革命を意味し、「万世一系」を国家の主権の基礎、国是とする我が国の政治文化と国情に合致しなかったからである。それゆえ大化の大革命は、「改新」と称せられ、明治の大革命は「詩経」の出典によって「維新」と美称された。近代に入って革命はフランス革命流の君主政打倒の共和革命を意味し、次いでマルクス主義の盛行とともに革命は階級革命を意味することになり、いずれも我が国情と政治文化に違背するが故に、明治維新の栄光を継承するものとして、国家主義陣営では好んで「維新」の用語が用いられて今日に至っている。しかしすでに述べた様に、来たるべき平成維新は戦前の昭和維新、あるいは明治維新とも異なる徹底した大変革てなければならず、しかもそれは世界史的意義と規模の大変革でなければならない。
したがって昭和維新との異別を明らかにするためにも、あるいはまた維新が保守的反動でもないことを明らかにするためにも来たるべき大変革はまさに「維新革命」と呼称するのが最も適当と言えるのである。
さて革命とは権力の交替であるとともに思想の交替である。既存の政治権力の打倒による新しい政治権力の創出であると同時に、既存の政治権力を支持する国民的信仰体系の一大更新なのである。それゆえ古今東西全ての革命は文化革命−政治革命−社会革命の順序を追うのであって、革命が軍事クーデターと異なる理由もここにある。
権力の交替、思想の交替である以上、当然既存の政治権力との全面対決、既存の政治文化の全面否定を不可避とするが、ならば既存の政治権力、既存の政治文化を真正面から全否定する、あるべき権力、あるべき思想はどこから措定されるのか?これが所謂「国体」という問題に他ならない。国体は国家の根本性格という意味であって、それは各々の国家の成立事実ごとに異なり、それを生み出す源泉は国家を構成する民族固有の文化に他ならない。民族は「血」と「土」の共同体であるだけでなく、「文化」の共同体でありここに民族の個性が湧出してくる。政治共同体としての国家は文化共同体としての民族が「主権」的に構成されたもので、基礎にある民族の抱懐する精神、理想、道徳が国家に転移して国家の個性、根本性格となる。国家とは正しく「具体化せる道義」「客観化せる精神」に他ならないのである。我が国において国体は国祖建国の初めに厳として定まり、それは国内における代朝革命、外国からの侵略征服によって断絶されることなく、連綿として続いてきたとされた。その国体の最も中核的なものは「万世一系」の思想で、天照大神の神裔であられる皇統が天壌無窮に亘ってこの国を統治するという観念である。この「万世一系」の思想が厳然と確立していたからこそ、外事が危殆に瀕した時も一天子の下に強じんな団結力を以て独立を保持でき、かつ代朝革命の入り込む余地がないから国家の間断なき発展が可能となったのである。「代朝革命」を国家の国体とするシナが王朝交替の度ごとに、幾百年の動乱に苦吟してきたこと、及び西欧が中世から近代に入るに当って「共和革命=君主政打倒」の大混乱に陥ったのに対し、「万世一系」の政治思想のあった我が国はわずか数年でしかも大禍なく維新革命を完遂し得たのである。
この国体思想は以上の様に保守の原理であるだけでなく、「復古即維新 維新即復古」と言われる日本的革命の原理ともなる。即ち万世一系ならざる者が皇位を窺う時、万世一系ならざる者が政権を纂奪して僣主王として振舞う時、神武建国の正則に還って窺位者と纂導者を討伐してきたのである。問題はこうした「国体」が先の敗戦−占領−新憲法制定によって、なお貫徹されているか否かである。
「国体」のもとに単なる皇統を理解するとすれば、憲法二条によって皇統存続が明記され制度的に保証されている以上、天皇制の根底が万世一系から国民主権主義に変っただけであって、結局国体は「変革されなかった」ということになる。この論を展開する者は「万世一系」という権力の正統性の根拠を問題とするのみで、具体的な天皇の権限の多少を問題としない。それゆえ幕府制度の時代にあっても、将軍の権力は天皇の委任にその正統性の根拠をもっていたから、万世一系の天皇がわが国を統治し給うという肇国以来の国体の根本義に至っては寸毫も動くことがなかったという。その背景には、天皇がみずから国政の衝に当たられないことが天皇の尊厳を保つ所以であるという「天皇超政論」がある。この主張はマッカーサー憲法下の「象徴天皇」を正当化する論理として、「天皇親政が標傍されかつ執行されたのは上古と近代だけ」「不親政が天皇制の本質であって親政主義は天皇制の本来の姿ではない」などの論を展開した。そして日本の伝統・文化について殆ど無知な占領軍のニューデイラー派の軍人によって僅か一〇日で考案された「象徴天皇」を、日本本来の伝統に適ったものとして賛美し、かえって「天壌無窮」とされた明治国家の国体こそ日本史上異例のかつ好ましからざる事態だとするイデオロギーを散布したのである。
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