過ぐる一九九三年、日本をとり巻く内外情勢は大きく変貌するにに至った。まず、米国に於いて民主党−クリントン政権が発足、クリントンは「経済的安全保障−戦略的貿易政策」なる新戦略を発動、「興隆する日本」にターケットを絞って自国経済の再建にのり出した。この米国の対日戦略の転換は、円高となって日本を打撃、未曽有の冷夏と重なってバブル経済崩壊後の苦境に立つ我が国は空前の大不況に見舞われることになった。クリントンはさらに七月東京サミットで「太平洋共同体構想」なるものを打ち出し、十一月APEC総会ではさらに露骨に日本のアジア市場独占を阻止し、日本を封じ込める国家意思を明確化するに至った。
米ソ冷戦の崩壊という世界史的激動はいよいよ米国の対日戦略の大転換となって現われて来たのであり、EC統合に続く北米NAFTAの結成によ.って、世界の趨勢は「日−欧−米」の三極ブロック抗争の様相を一段と色濃くし、「パックス・アメリカーナ」の動揺と次位覇権を巡る抗争はまず経済を主舞台に一層激化していくことは必至となってきた。一方一〇月、保守派武力弾圧によって一挙に優位を確立したかに見えたエリツィンーロシアでは、世界注視の中十二月に新議会選挙と新憲法採択の投票が行われた。しかしその結果は、何と「ロシア帝国の復活」を怒号する共産党”保守派が大躍進、エリツィンは新憲法信認によって強権を手中にした反面、極右と極左に包囲される結果となり、新生ロシアの「民主化・市場化」は再び危局に突入することが確実となった。ロシアの混迷は旧ソ連邦ーCIS共同体全局に激動をもたらすことは必至であり、ユーラシア大陸中心部が「第二のユーゴ」と化す蓋然性は限りなく高くなってきたのである。
これらに対し、東アジア一帯の経済的隆盛は昨年を通じて更に弾みがついており、欧−米の混迷とアジアの隆盛という構図は二一世紀にむかっていよいよ不可逆的となってきた。しかし開放・改革路線をひた走るシナ中共は経済の富国化と共に軍事の強兵路線に狂奔しており、昨年二一回党大会で打ち出された「海洋権益の擁護=外洋戦略」に則って軍備拡張に弾みをつけてくるのは確実となった。また、北朝鮮の核開発疑惑は昨年を通じて遂に解決が図られず、米国の徒らな宥和政策によって我が国の安全保障は危胎に瀕するに至っている。BR>
シナ・朝鮮の情勢はトウ小平、金日成の生物学的寿命次第であり、両者の最期と共に、東アジア一帯の激変と激動は避けられないであろう。この様に、米ソ冷戦崩壊後の世界は正に混沌の極みにあり、我が国を取り巻く米−露ーシナ・朝鮮でいずれもナショナリズムが逆巻いており、「軽武装・対米従属」の吉田ドクトリンを国是として来た戦後日本の安全は危機に瀕するに至っているのである。
他方、世界の激動に呼応するかの様に、冷戦崩壊の激浪は昨年ついに我が国をも呑み込むことになった。すなわち、政治改革をめぐる自民党内の守旧派・改革派の抗争は六月ついに爆発、改革派は相次いで自民党を脱党して新党結成に走り、七月総選挙では保守系三新党が大躍進し、ついに「反自民・非共産」の全政党が参加して細川連立政権が成立するに至った。米ソ冷戦崩壊の影響はついに我が国にも波及し、五五年体制−自民党一党優位性は瓦解し、平成政変が起ったのである。しかしこうして成立した細川連立政権は、八月の「侵略戦争発言」、一〇月のエリツィン来日一対ソ北方領土交渉、十一月のAPEC会議における対米屈服そして十二月のコメ市場開放に明らかな様に、国体破壊・国史否定・国益放棄の「三大亡国路線」を突っ走っているのである。連立新政権は文字通り自民党以上の亡国派、「極め付きの亡国派」であり、ポツダム綱領総翼賛体制打倒は戦後国家主義運動の急務となっているのである。
米ソ対立の終焉はこの様に我が国にとって五五年体制崩壊ー平成政変となって現われたが、同様に今現在戦後国家主義運動も大転換期に逢着している。昨年一〇月 野村秋介氏の自裁はその意味でも象徴的てあって、我々はこの国家主義運動の歴史的転換期を積極的に領導するべく、文字通り全力を傾注していかなければならない。「反共唯一主義」の残滓を清算し「維新革命主義」への転換を促すこと、「一人一党右翼のサークル的活動」を「維新革命党建設−憲法制定権力創出」へ向けて領導すること、これが本年一年の思想的運動的指標とならなければならないのである。
逆巻くナショナリズムと危機に瀕する日本 日本封殺に狂奔するクリントン
冷戦体制の崩壊は、世界に於ける米国の地位を根底から変えることになった。レーガン、ブッシュ両共和党政権は文字通り「自由主義陣営の盟主」として西側諸国を領導、東側ーソ連陣営を封じ込めやみくもの軍拡競争によってソ連を破産に追い込み、冷戦の終焉に画期的役割を演じることができた。しかし冷戦の崩壊によって、米国はこうした陣営の盟主としての指導的地位を喪失、一方盟主=米国の指導に屈従を余儀なくされてきた欧州−日本はタガの外れた分だけ独自的行動の自由を獲得することになった。
西側陣営共通の敵の消滅はまた、軍事のもつ決定的重要性を蒸発させ、軍事から経済へ、地政学から地経学への遷移をグローバルな規模で現出することになった。つまり軍事競争から経済競争へ、世界の主要国の関心は移ってきたのである。
冷戦終焉そして湾岸戦争の圧勝によってソ連及びイラクの軍事的挑戦を力でねじ伏せた米国に対し、再び正面切って米国の軍事的ヘゲモニーに挑戦を試みようとする国は世界で誰もいなくなり、軍事に於ける米国一極体制は現在堅固に維持されているが、しかし米国の経済的覇権は冷戦時代を通じた欧州−日本の経済的上昇によって相対的低落を余儀なくされ、特に冷戦の終焉とともに米国の衰退が世界史的関心事となってきた。もし米国の経済力の衰退に歯止めがかからなければ、戦後世界を領導してきた「パックス・アメリカーナ」の崩壊は時間の問題となってしまうからである。
「パックス・アメリカーナ」の直接的支持力は軍事であっても、その源泉をなすものは経済であり、経済に於ける圧倒的優位性を再び回復しなければ「パックス・アメリカーナ」の終焉は歴史的日程に登らざるをえないのである。この様に米国の現在の最重要課題は経済再建−経済覇権の維持にならざるをえないのであり、一昨年の大統領選挙で「アメリカ経済の再生」を掲げたクリントンが「世界新秩序構築」を唱えたブッシュ現職を破って当選したのは蓋し当然の歴史的かつ国家的要請であったのである。
さて「米国経済の再建」を最優先課題に掲げたクリントン政権の新経済政策の二本柱は「財政再建」と「輸出振興」であった。前者は米国経済の宿あとなっている巨額の財政赤字を、社会保障費、国防費の大幅削減と増税によって削減し経済体質の強化を図り、後者は政府による積極的な公共投資、インフラ整備によって産業基盤を強化し、さらに政府による積極的な産業の保護育成を図り、衰退した国際競争力わけても日本との国際競争力を逆転させようとするものであった。
そして「経済再建」の基調は外交・軍事の領域でも貫かれ、クリントンは政権発足とともに「経済安全保障」という新概念をうち出してきたのである。即ち、ソ連が消滅した以上「平和の配当」を産業基盤に再投資し、国内の経済の再生強化に全力を傾注することこそ超大国のヘゲモニー復活につながるという経済を基軸に据えた安全保障概念の導入である。
通商産業政策と外交軍事戦略を結合一体化し、持てる全ての力を経済再建−国際競争力の強化に傾注していこうとするものである。
付け加えるに、クリントン自身「アメリカの覇権を脅やかす者は許さない」と烈々たる気塊を披歴している。米ソ冷戦対立の終焉は米国に以上の様な変換を迫っているが、米国の力の前にその風下に立たざるをえなかった欧州−日本にとっては、米国の制肘がとれたことを意味し共通の軍事的脅威の消滅とともに赤裸々な経済的競争関係が現出することになり、一枚岩を誇った西側陣営では米国−欧州−日本の三極通商摩擦が熾烈の度合いを深めている。これはかつての東側陣営で盟主=ソ連の力にねじ伏せられてきた東欧、中央アジアの諸民族がソ連崩壊とともに一斉に独立に走り、ソ連ロシアのくびきに坤吟してきた弱小民族間で宗教紛争、民族紛争が一斉に火を噴き上げているのと、ちょうど対をなしているのである。
こうした経済、軍事一体となった新戦略発動の対象が今や米国の経済覇権を脅やかしつつある我が国であることは言うまでもない。現在、日米経済は国民一人当りGDPは日本“二・九万ドルに対し、米国は二・四万ドルですでに日米の優劣は逆転しており、国家規模のGDPは米国−五・九兆ドルに対し、ちょうど人口が半分の日本は三・七光ドルで、もし日米の経済成長率が三%差で日本優位に推移してゆくならば、一〇年を経ないで日米の国力そのものが逆転してしまうのである。
日本を戦略的な敵として設定したクリントン新戦略は昨年一年を通じて、矢次ぎ早に発動されてきた。しかもこの新戦略は、二国間、地域、グローバルの各段階に応じて重層的に展開され、かつ政治軍事戦略としても展開されてきているのである。まず第一に日米二国間のものとしては、円高攻勢と日米包括経済協議を上げなければならない。クリントンは大統領就任と同時に、我が国の対米貿易黒字削減の特効薬として政治的な円高誘導発言を繰り返し、市場もこれに応じて昨年前半だけで円はドルに対し約二〇%も切り上がり、その結果バブル経済崩壊後低迷していた日本経済は回復上昇の機会を失ない、特に自動車・電機・機械という基幹輸出産業は軒並み対米国際競争力を失なって、折からの未曽有の冷夏ー消費需要の落ち込みと相侯って空前の大不況に苦悶するに至ったのである。
しかしこうした急激な円高攻勢にもかかわらず、対米貿易黒字縮小には少しもつながらなかったのである。また日米包括経済協議は七月東京サミットをはさんだ度重なる交渉を経て、やっと九月になって交渉開始が合意されたが、米国側の姿勢は理不尽の一語に尽きるものであった。米国は対日通商政策の根幹に「結果重視主義」を据え、主に日本側に対米輸入の拡大努力を一方的に求め、満足の行く結果が出なければ直ちに経済制裁を加えるという高圧的な姿勢に終始していた。これでは交渉というより一方的な恫喝で、「結果重視」というよりも「結果強制」というべきで、日本側が管理貿易を意味する「数値目標」導入を拒否し続けたのは当然の条理なのである。年末になってようやく日米両国は「数値目標としない客観的基準」を設けることで合意するに至ったが、しかしクリントン政権が通商政策の根幹に「結果主義」を据えている以上、今年二月二一日の日米首脳会談で妥結に達することは到底不可能だと言わざるをえない。
第二に、地域戦略として米国はNAFTA(北米自由貿易協定)−APEC(アジア・太平洋経済協力会議)を通じた対日封殺包囲網を敷きつつある。昨年一一月難産の末NAFTAが承認され、これによって本年一月からEC(欧州共同体)を上回る世界の国民総生産の三割を占める世界最大の自由貿易圏が誕生することになった。米国の狙いはカナダ、メキシコの市場を取り込むことによって経済の規模拡大を図り、対日国際競争力を強化しようとするものである。これが冷戦終焉とともに始まった世界経済のブロック化・地域化の傾向に対応したものであることは言うまでもない。そしてこの自らの立脚点強化としてのNAFTA結成と対の形で進められてきたのがAPEC戦略なのである。
従来米国の重点は歴史的な関係から欧州一辺倒だったが、しかし現在欧州の凋落に対しアジアは世界唯一の成長センターとして高度成長を遂げつつあり、このアジア市場への参入は米国の経済再建−世界覇権維持にとって死活的重要性をもってきている。もしこのアジア・太平洋地域が米国の経済覇権を脅やかしつつある我が日本の掌中に完全に握られるとすれば、日本−欧州−米国のブロック抗争の中で、米国は日本の後塵を拝することになってしまう。それ故、日本を基点にNIESーASEANーシナ大陸と連らなる一大成長センターに参入、この連鎖を分断して日本のアジア市場独占を何としても阻止 することが至上命題となっているのである。そのため米国は「東アジア経済協議体」を目指すマハティール構想を力づくで粉砕し、「アジア・太平洋共同体」の美名の下、アジア市場の再分割、再制圧に乗り出してきたのである。APEC総会当日に発表された米国主導のAPEC賢人会議報出書は、この米国の国家戦略をあけすけに語っている。このAPECー太平洋共同体戦略は単なる経済戦略としてではなく、同時に対日軍事戦略として発動されていることに注意しなければならない。クリントンは昨年夏のサミット来日時に「太平洋共同体構想」を、その帰途韓国で「クリントン・ドクトリン」と言われるアジア政策の新理念を発表した。そこでクリントンは二国間同盟の重要性とアジアに於けるプレゼンスの継続を強調、しかし同時にASEAN拡大外相会議を足場とした地域安全保障体制の確立を目指すことを明らかにしている。だとすると、ロシアや中共が地域安保体制に参加すれば二国間同盟の存在理由は全くなくなるのであって、なおも米国がプレゼンスを継続.しようとする意図は、台頭する日本を周辺諸国と共に軍事的にも封殺することを狙っている以外の何物でもなくなる。つまり米国のAPEC戦略は我が国にとって、「第二のワシントン体制」の成立を意味しているのである。
そして第三に、米国のグローバルな対日戦略としてウルグアイラウンドを挙げなければならない。このラウンド妥結によって、米国はサービス、知的所有権、農業などずぱ抜けた国際競争力をもつ分野で世界支配が可能となった。またこのラウンドは市場開放に対する厳しい義務を負わせているのが特徴である。日米包括経済協議の主題となっている日本の「非関税障壁」に対し、今後米国がカサにかかった攻撃を強めてくるのは必至となったのである。
このように、経済覇権死守を賭けた米国の世界戦略はイクォール対日戦略なのである。深まる一方の日米摩擦は単なる経済紛争なのではなく、その本質は「パックス・アメリカーナ」の死守か次位覇権の確立かを賭けた覇権抗争であることを知らなければならない。微温的、同盟的な日米関係はすでに歴史的過去と化しており、我が国も米国の熾烈な対日封殺戦略に対抗して独自の地域戦略、世界戦略をうちたてることが急務となっているのである。亡国派の日米同盟論は今や完全な時代錯誤の旧愁論であって、我々興国派は三極ブロック抗争に勝利し得る堅固な立脚点をアジアに建設することを戦略の要諦としなければならない。
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