亡国派の小日本主義打倒し
世界新秩序建設=大日本主義へ Vol.1

 過ぐる一九九三年、日本をとり巻く内外情勢は大きく変貌するにに至った。まず、米国に於いて民主党−クリントン政権が発足、クリントンは「経済的安全保障−戦略的貿易政策」なる新戦略を発動、「興隆する日本」にターケットを絞って自国経済の再建にのり出した。この米国の対日戦略の転換は、円高となって日本を打撃、未曽有の冷夏と重なってバブル経済崩壊後の苦境に立つ我が国は空前の大不況に見舞われることになった。クリントンはさらに七月東京サミットで「太平洋共同体構想」なるものを打ち出し、十一月APEC総会ではさらに露骨に日本のアジア市場独占を阻止し、日本を封じ込める国家意思を明確化するに至った。
 米ソ冷戦の崩壊という世界史的激動はいよいよ米国の対日戦略の大転換となって現われて来たのであり、EC統合に続く北米NAFTAの結成によ.って、世界の趨勢は「日−欧−米」の三極ブロック抗争の様相を一段と色濃くし、「パックス・アメリカーナ」の動揺と次位覇権を巡る抗争はまず経済を主舞台に一層激化していくことは必至となってきた。一方一〇月、保守派武力弾圧によって一挙に優位を確立したかに見えたエリツィンーロシアでは、世界注視の中十二月に新議会選挙と新憲法採択の投票が行われた。しかしその結果は、何と「ロシア帝国の復活」を怒号する共産党”保守派が大躍進、エリツィンは新憲法信認によって強権を手中にした反面、極右と極左に包囲される結果となり、新生ロシアの「民主化・市場化」は再び危局に突入することが確実となった。ロシアの混迷は旧ソ連邦ーCIS共同体全局に激動をもたらすことは必至であり、ユーラシア大陸中心部が「第二のユーゴ」と化す蓋然性は限りなく高くなってきたのである。
 これらに対し、東アジア一帯の経済的隆盛は昨年を通じて更に弾みがついており、欧−米の混迷とアジアの隆盛という構図は二一世紀にむかっていよいよ不可逆的となってきた。しかし開放・改革路線をひた走るシナ中共は経済の富国化と共に軍事の強兵路線に狂奔しており、昨年二一回党大会で打ち出された「海洋権益の擁護=外洋戦略」に則って軍備拡張に弾みをつけてくるのは確実となった。また、北朝鮮の核開発疑惑は昨年を通じて遂に解決が図られず、米国の徒らな宥和政策によって我が国の安全保障は危胎に瀕するに至っている。BR>  シナ・朝鮮の情勢はトウ小平、金日成の生物学的寿命次第であり、両者の最期と共に、東アジア一帯の激変と激動は避けられないであろう。この様に、米ソ冷戦崩壊後の世界は正に混沌の極みにあり、我が国を取り巻く米−露ーシナ・朝鮮でいずれもナショナリズムが逆巻いており、「軽武装・対米従属」の吉田ドクトリンを国是として来た戦後日本の安全は危機に瀕するに至っているのである。
 他方、世界の激動に呼応するかの様に、冷戦崩壊の激浪は昨年ついに我が国をも呑み込むことになった。すなわち、政治改革をめぐる自民党内の守旧派・改革派の抗争は六月ついに爆発、改革派は相次いで自民党を脱党して新党結成に走り、七月総選挙では保守系三新党が大躍進し、ついに「反自民・非共産」の全政党が参加して細川連立政権が成立するに至った。米ソ冷戦崩壊の影響はついに我が国にも波及し、五五年体制−自民党一党優位性は瓦解し、平成政変が起ったのである。しかしこうして成立した細川連立政権は、八月の「侵略戦争発言」、一〇月のエリツィン来日一対ソ北方領土交渉、十一月のAPEC会議における対米屈服そして十二月のコメ市場開放に明らかな様に、国体破壊・国史否定・国益放棄の「三大亡国路線」を突っ走っているのである。連立新政権は文字通り自民党以上の亡国派、「極め付きの亡国派」であり、ポツダム綱領総翼賛体制打倒は戦後国家主義運動の急務となっているのである。
 米ソ対立の終焉はこの様に我が国にとって五五年体制崩壊ー平成政変となって現われたが、同様に今現在戦後国家主義運動も大転換期に逢着している。昨年一〇月 野村秋介氏の自裁はその意味でも象徴的てあって、我々はこの国家主義運動の歴史的転換期を積極的に領導するべく、文字通り全力を傾注していかなければならない。「反共唯一主義」の残滓を清算し「維新革命主義」への転換を促すこと、「一人一党右翼のサークル的活動」を「維新革命党建設−憲法制定権力創出」へ向けて領導すること、これが本年一年の思想的運動的指標とならなければならないのである。


逆巻くナショナリズムと危機に瀕する日本
日本封殺に狂奔するクリントン

クリントンと橋本

 冷戦体制の崩壊は、世界に於ける米国の地位を根底から変えることになった。レーガン、ブッシュ両共和党政権は文字通り「自由主義陣営の盟主」として西側諸国を領導、東側ーソ連陣営を封じ込めやみくもの軍拡競争によってソ連を破産に追い込み、冷戦の終焉に画期的役割を演じることができた。しかし冷戦の崩壊によって、米国はこうした陣営の盟主としての指導的地位を喪失、一方盟主=米国の指導に屈従を余儀なくされてきた欧州−日本はタガの外れた分だけ独自的行動の自由を獲得することになった。
 西側陣営共通の敵の消滅はまた、軍事のもつ決定的重要性を蒸発させ、軍事から経済へ、地政学から地経学への遷移をグローバルな規模で現出することになった。つまり軍事競争から経済競争へ、世界の主要国の関心は移ってきたのである。
 冷戦終焉そして湾岸戦争の圧勝によってソ連及びイラクの軍事的挑戦を力でねじ伏せた米国に対し、再び正面切って米国の軍事的ヘゲモニーに挑戦を試みようとする国は世界で誰もいなくなり、軍事に於ける米国一極体制は現在堅固に維持されているが、しかし米国の経済的覇権は冷戦時代を通じた欧州−日本の経済的上昇によって相対的低落を余儀なくされ、特に冷戦の終焉とともに米国の衰退が世界史的関心事となってきた。もし米国の経済力の衰退に歯止めがかからなければ、戦後世界を領導してきた「パックス・アメリカーナ」の崩壊は時間の問題となってしまうからである。
 「パックス・アメリカーナ」の直接的支持力は軍事であっても、その源泉をなすものは経済であり、経済に於ける圧倒的優位性を再び回復しなければ「パックス・アメリカーナ」の終焉は歴史的日程に登らざるをえないのである。この様に米国の現在の最重要課題は経済再建−経済覇権の維持にならざるをえないのであり、一昨年の大統領選挙で「アメリカ経済の再生」を掲げたクリントンが「世界新秩序構築」を唱えたブッシュ現職を破って当選したのは蓋し当然の歴史的かつ国家的要請であったのである。

 さて「米国経済の再建」を最優先課題に掲げたクリントン政権の新経済政策の二本柱は「財政再建」と「輸出振興」であった。前者は米国経済の宿あとなっている巨額の財政赤字を、社会保障費、国防費の大幅削減と増税によって削減し経済体質の強化を図り、後者は政府による積極的な公共投資、インフラ整備によって産業基盤を強化し、さらに政府による積極的な産業の保護育成を図り、衰退した国際競争力わけても日本との国際競争力を逆転させようとするものであった。

 そして「経済再建」の基調は外交・軍事の領域でも貫かれ、クリントンは政権発足とともに「経済安全保障」という新概念をうち出してきたのである。即ち、ソ連が消滅した以上「平和の配当」を産業基盤に再投資し、国内の経済の再生強化に全力を傾注することこそ超大国のヘゲモニー復活につながるという経済を基軸に据えた安全保障概念の導入である。
 通商産業政策と外交軍事戦略を結合一体化し、持てる全ての力を経済再建−国際競争力の強化に傾注していこうとするものである。

 付け加えるに、クリントン自身「アメリカの覇権を脅やかす者は許さない」と烈々たる気塊を披歴している。米ソ冷戦対立の終焉は米国に以上の様な変換を迫っているが、米国の力の前にその風下に立たざるをえなかった欧州−日本にとっては、米国の制肘がとれたことを意味し共通の軍事的脅威の消滅とともに赤裸々な経済的競争関係が現出することになり、一枚岩を誇った西側陣営では米国−欧州−日本の三極通商摩擦が熾烈の度合いを深めている。これはかつての東側陣営で盟主=ソ連の力にねじ伏せられてきた東欧、中央アジアの諸民族がソ連崩壊とともに一斉に独立に走り、ソ連ロシアのくびきに坤吟してきた弱小民族間で宗教紛争、民族紛争が一斉に火を噴き上げているのと、ちょうど対をなしているのである。
 こうした経済、軍事一体となった新戦略発動の対象が今や米国の経済覇権を脅やかしつつある我が国であることは言うまでもない。現在、日米経済は国民一人当りGDPは日本“二・九万ドルに対し、米国は二・四万ドルですでに日米の優劣は逆転しており、国家規模のGDPは米国−五・九兆ドルに対し、ちょうど人口が半分の日本は三・七光ドルで、もし日米の経済成長率が三%差で日本優位に推移してゆくならば、一〇年を経ないで日米の国力そのものが逆転してしまうのである。
 日本を戦略的な敵として設定したクリントン新戦略は昨年一年を通じて、矢次ぎ早に発動されてきた。しかもこの新戦略は、二国間、地域、グローバルの各段階に応じて重層的に展開され、かつ政治軍事戦略としても展開されてきているのである。まず第一に日米二国間のものとしては、円高攻勢と日米包括経済協議を上げなければならない。クリントンは大統領就任と同時に、我が国の対米貿易黒字削減の特効薬として政治的な円高誘導発言を繰り返し、市場もこれに応じて昨年前半だけで円はドルに対し約二〇%も切り上がり、その結果バブル経済崩壊後低迷していた日本経済は回復上昇の機会を失ない、特に自動車・電機・機械という基幹輸出産業は軒並み対米国際競争力を失なって、折からの未曽有の冷夏ー消費需要の落ち込みと相侯って空前の大不況に苦悶するに至ったのである。
 しかしこうした急激な円高攻勢にもかかわらず、対米貿易黒字縮小には少しもつながらなかったのである。また日米包括経済協議は七月東京サミットをはさんだ度重なる交渉を経て、やっと九月になって交渉開始が合意されたが、米国側の姿勢は理不尽の一語に尽きるものであった。米国は対日通商政策の根幹に「結果重視主義」を据え、主に日本側に対米輸入の拡大努力を一方的に求め、満足の行く結果が出なければ直ちに経済制裁を加えるという高圧的な姿勢に終始していた。これでは交渉というより一方的な恫喝で、「結果重視」というよりも「結果強制」というべきで、日本側が管理貿易を意味する「数値目標」導入を拒否し続けたのは当然の条理なのである。年末になってようやく日米両国は「数値目標としない客観的基準」を設けることで合意するに至ったが、しかしクリントン政権が通商政策の根幹に「結果主義」を据えている以上、今年二月二一日の日米首脳会談で妥結に達することは到底不可能だと言わざるをえない。
 第二に、地域戦略として米国はNAFTA(北米自由貿易協定)−APEC(アジア・太平洋経済協力会議)を通じた対日封殺包囲網を敷きつつある。昨年一一月難産の末NAFTAが承認され、これによって本年一月からEC(欧州共同体)を上回る世界の国民総生産の三割を占める世界最大の自由貿易圏が誕生することになった。米国の狙いはカナダ、メキシコの市場を取り込むことによって経済の規模拡大を図り、対日国際競争力を強化しようとするものである。これが冷戦終焉とともに始まった世界経済のブロック化・地域化の傾向に対応したものであることは言うまでもない。そしてこの自らの立脚点強化としてのNAFTA結成と対の形で進められてきたのがAPEC戦略なのである。

 従来米国の重点は歴史的な関係から欧州一辺倒だったが、しかし現在欧州の凋落に対しアジアは世界唯一の成長センターとして高度成長を遂げつつあり、このアジア市場への参入は米国の経済再建−世界覇権維持にとって死活的重要性をもってきている。もしこのアジア・太平洋地域が米国の経済覇権を脅やかしつつある我が日本の掌中に完全に握られるとすれば、日本−欧州−米国のブロック抗争の中で、米国は日本の後塵を拝することになってしまう。それ故、日本を基点にNIESーASEANーシナ大陸と連らなる一大成長センターに参入、この連鎖を分断して日本のアジア市場独占を何としても阻止 することが至上命題となっているのである。そのため米国は「東アジア経済協議体」を目指すマハティール構想を力づくで粉砕し、「アジア・太平洋共同体」の美名の下、アジア市場の再分割、再制圧に乗り出してきたのである。APEC総会当日に発表された米国主導のAPEC賢人会議報出書は、この米国の国家戦略をあけすけに語っている。このAPECー太平洋共同体戦略は単なる経済戦略としてではなく、同時に対日軍事戦略として発動されていることに注意しなければならない。クリントンは昨年夏のサミット来日時に「太平洋共同体構想」を、その帰途韓国で「クリントン・ドクトリン」と言われるアジア政策の新理念を発表した。そこでクリントンは二国間同盟の重要性とアジアに於けるプレゼンスの継続を強調、しかし同時にASEAN拡大外相会議を足場とした地域安全保障体制の確立を目指すことを明らかにしている。だとすると、ロシアや中共が地域安保体制に参加すれば二国間同盟の存在理由は全くなくなるのであって、なおも米国がプレゼンスを継続.しようとする意図は、台頭する日本を周辺諸国と共に軍事的にも封殺することを狙っている以外の何物でもなくなる。つまり米国のAPEC戦略は我が国にとって、「第二のワシントン体制」の成立を意味しているのである。
 そして第三に、米国のグローバルな対日戦略としてウルグアイラウンドを挙げなければならない。このラウンド妥結によって、米国はサービス、知的所有権、農業などずぱ抜けた国際競争力をもつ分野で世界支配が可能となった。またこのラウンドは市場開放に対する厳しい義務を負わせているのが特徴である。日米包括経済協議の主題となっている日本の「非関税障壁」に対し、今後米国がカサにかかった攻撃を強めてくるのは必至となったのである。
 このように、経済覇権死守を賭けた米国の世界戦略はイクォール対日戦略なのである。深まる一方の日米摩擦は単なる経済紛争なのではなく、その本質は「パックス・アメリカーナ」の死守か次位覇権の確立かを賭けた覇権抗争であることを知らなければならない。微温的、同盟的な日米関係はすでに歴史的過去と化しており、我が国も米国の熾烈な対日封殺戦略に対抗して独自の地域戦略、世界戦略をうちたてることが急務となっているのである。亡国派の日米同盟論は今や完全な時代錯誤の旧愁論であって、我々興国派は三極ブロック抗争に勝利し得る堅固な立脚点をアジアに建設することを戦略の要諦としなければならない。

万世一系

経済覇権死守も結構だが人種差別問題解決が先だろう。

 世界注視の中、一月一二日に行われたロシアの新議会選挙及び新憲法採択の国民投票は驚くべき結果を見せた。
 まず新議会選挙では、「ロシア帝国の復活」を掲げる「ロシア自由民主党」と保守派の「連邦共産党」が大躍進、特に「ロシア自由民主党」は下院・国家会議の比例代表選挙で二四・五%の得票率を獲得してトップに立った。保守派の「連邦共産党」「農業党」も改革派諸党を上回る得票率を獲得し、保守派の根強い支持を見せつけた。エリツィン与党の「ロシアの選択」は小選挙区で辛うじて巻き返し第一党の座を確保したものの、しかし同じ改革派の「民主改革運動」「ヤブリンスキー連合」「統一連合」を合わせても、改革派全体で過半数獲得は不可能となった。下院の第一党が「ロシアの選択」、第二党が「ロシア自由民主党」そして第三党が「連邦共産党」という結果に示された様に、ロシアの新議会は改革派−極右派−共産勢力の三極分化の傾向が鮮明になったのである。
 一方、大統領独裁型の新憲法採択をめざす国民投票は辛うじて信認されたものの、その投票率はわずかに五三・二%で、そのうちの約六割の賛成、有権者全体ではたったの三二%の賛成しか得られなかった。新憲法採択を目指すエリツィンが予め信認条件のハードルを低く設定した結果であって、もし旧憲法にもとづくものであったならば確実に否認されていたのである。さて、この新議会選挙並びに国民投票の結果から次のことが指摘される。
 第一に、エリツィンヘの国民的支持が急速に失われつつあることがますますはっきりしたということである。そもそも今度の選挙・国民投票はエリツィンが自らの権力基盤の強化を狙って行ったものなのである。

 一〇月に保守派を武力で制圧したその余勢を駆って、一挙に改革派主導の新議会を創設し同時に議会 の制肘をうけない独裁型大統領権力制を確固としてうちたてようとして、間髪を置かず文字通り強行したのであった。しかし新議会選挙では極右派と共産勢力が大躍進し、改革派は過半数を獲得することができなかっただけでなく、新憲法承認の中身は全有権者のたった三割の支持しか獲得できなかったのである。エリツィンの改革路線、エリツィンの政策に対する拒否が今やロシアでは大勢を制するに至っているのである。第二は、今度の新議会選挙によっても大統領と議会、改革派と保守派の対立抗争は旧議会時代と少しも変わらず、引き続き混乱が続くということである。確かにエリツィンは強大な独裁的な大統領権力を保障する新憲法を手中に収めることができた。しかし反面、新議会は改革派が過半数さえも獲得することができず、保守派に加え極右派が大量進出する場となったのである。それ故、改革派の大統領と保守派の議会という新生ロシア誕生以来の二重権力構造は何ひとつ変わらないばかりか新議会選挙によって議会が権力の正統性を獲得した分、かえって深刻化したといえるのである。第三は、「ロシア自由民主党」の大勝利に象徴されるように、破局の深まる新生ロシアにナショナリズムが逆巻いている事実である。
 権力掌握以降二年半、「民主化・市場経済化」を目指すエリツィンの改革は何ひとつとして見るべき成果を上げず、国民経済は破綻し社会秩序は混乱し国民道徳は崩壊し切ってしまった。世界史を領導してきた誇り高きロシア民族にとって、かかる破局亡状は到底耐え忍び得るところではなく、失われた誇りと栄光を回顧して奔然とナショナリズムが台頭しつつあるのである。

万世一系

レーニン無念。観念論の結末だろう。

 それでは今後ロシア情勢はどう展開していくのであろうか?まず最大の問題は、エリツィンがこの窮地を脱することができるかである。新議会選挙の結果を踏まえ、ロシアでは早くも合従連衡の動きが始まっている。改革派は分裂選挙が極右派と共産勢力の台頭を招いたと反省し、エリツィン与党第一党の「ロシアの選択」を核に改革派諸派が大同団結し、「連邦共産党」を対象に「反ファシズム人民戦線」結成へ動き出した。しかしこれまで悉く敵対してきた改革派と共産勢力が手を結んで連合すれば、改革路線の大幅修正は避けられないうえ、政局のキャスティグボードを完全に共産勢力に奪われることになるだろう。 一方、共産勢力は極右派との連携には消極的で、「市民同盟」など中間派との連合を模索しており、これが最も可能性が高い。つまり、改革派−極右派−共産勢力の三極分化の構図は深まりこそすれ、弱まることはないであろう。なぜなら、新議会選挙で大躍進した極右派と共産勢力は、合法的な手段による権力奪取の可能性を獲得しており、二年後の議会改選、九六年六月の大統領選挙によって権力奪取を展望することが十分に可能だからである。
 むしろ問題とするべきは、エリツィンの革命家としての資質である。九一年夏の「保守派クーデター未遂事件」によって全権掌握以降、エリツィンの改革路線はジグザグを繰り返し、何らの見るべき成果を上げてこなかった。国民経済の破綻、社会秩序の混乱、国民道徳の崩壊は革命−体制転換期に特有の付随現象であって、何ら異とするに当らないが、問題は「民主化・市場経済化」を眼目とするロシアの大変革に必要不可欠な新しい権力創出に失敗し続けてきたことである。
 ロシアの大変革は紛れもなく一個の革命であり、革命であるならば新たな統一を求める意味に於いて強力な権力を有する専制政治を必要不可欠とするのである。勿論エリツィンは新たな統一、新たな専制権力、新たな独裁を追求し続けてきた。しかしその政治手法は悉く錯誤の連続であったのである。第一回目は九一年八月一九日の保守派のクーデター未遂の時、第二回目は九一年末のソ連解体−新生ロシア誕生の時、そして極め付けは昨年一〇月三日議会保守派武力制圧の時である。その折々エリツィンは新たな権力を掌握した時、直ちに憲法を停止し議会を強制解散して非常時独裁権力を樹立するべきであったのである。しかし実際にエリ,ツインがやったことは旧憲法に拘泥し続け、旧議会を温存し続けてきたのであった。最大の失敗は昨年一〇月の議会保守派武力制圧の時であった。
 保守派との積年の対立を武力で一挙に粉砕し、二重権力構造を清算した絶好機を逸せず、直ちに憲法を停止し議会を解散するべきであって、決して新しい議会、新しい憲法の選挙、国民投票をやるべきではないのである。新しい議会の選挙、新しい憲法の制定は革命の眼目、破壊即建設の大事業が一段階を画した後の政治日程なのである。明治維新に於いて明治大帝は「広く会議を起こし万機公論に決すべし」の盟約にも拘らず、二三年間に亘って非常時大権を揮って大変革の道すじをつけた後に初めて憲法を制定したのである。
 レーニンは議会が旧勢力によって占拠され改革妨害の一大巣窟であることを発見するや、機関銃を差し向けて一日で解散せしめた。エリツィンと同じく民選大統領として合法的に権力を掌握したペルーのフジモリといえども、議会が改革妨害勢力で充満し、国家民族に一利なしと判断するや一年間の憲法停止−議会解散を強行したのである。革命過程で議会を開けば旧勢力、反対勢力が蟠踞し、大変革に反対するのは理の当然である。故に革命の渦中に於いては議会を開いてはならないのである。これは革命の性格、思想信条の如何を問わない革命の鉄則である。この革命の鉄則を蹂躙したエリツィンは当然の報いとして、極右派ー共産勢力の旧勢力に包囲され再び窮地に追い込まれている。革命渦中に於ける新議会創設−開けてはならないパンドラの箱を開けたエリツィンに唯一延命策があるとすれば、新憲法によって掌中に収めた強大な大統領権力を発動して開いたパンドラの箱を閉じることのみである。
 エリツィンにこの決断が出来なければ、新生ロシアの革命に於けるエリツィンの役割は終ったと言わざるをえない。そしてワイマール・ドイツがそうであったように、破局亡状が行きついた所で、新憲法で規定された独裁的権力を駆使する救国の英雄が登場することになるであろう。つぎに、台頭するナショナリズムは今後どう展開していくであろうか。極右派「ロシア自由民主党」の大躍進の結果明らかになったことは、改革派−エリツィンの対極の位置に極右派ージリノフスキーが登場してきたことである。したがってエリツィンの改革路線が破綻を深めれば深める程、その対極にいるジリノフスキーが反比例的に台頭してくることになる。しかも注意しなければならないのは、軍部の大多数が極右派の支持に回っていることである。米ソ冷戦対立は一滴の血も流さないで終焉したが、一発の銃も発射しないで敗北したソ連ーロシアの軍部にとってこれ程屈辱的で納得できないことはないのである。
 過去の栄光を最も痛切に旧愁しているのが軍部で、軍部にとってジリノフスキーの「ロシア帝国の復活」の絶叫程耳に心地良いものはないのである。したがって新生ロシアの破局亡状が収束しなければ、極右派と軍部との接近結合は急速に進んでいくのは必至である。革命−秩序転換期に於いて、改革派と守旧派の勢力は拮抗するのが通例で、そしてそのいずれも尋常の手段では決定的な勝利をものにできないのも歴史の教える所である。局面を転換するのは最後の根源的な力である軍隊がいずれの勢力に加担するかである。新生ロシア成立以来二年半、議会での両派の対立抗争は決着せず混迷は一段と深まっている。
 ロシアの革命は軍隊の向背による決着の段階へ突入したと見るのが至当である。軍部はこれまでの改革派でも保守派でもない、自己の利害を最も雄弁に代表してくれる新勢力を極右派に見い出したのである。まして新憲法賛成が全有権者のたった三割しかない事実が暴露された以上、極右派=軍部が新たな憲法制定権力として登場してくる蓋然性は飛躍的に高まったと見なけれぱならないであろう。二重権力状態を最終的に清算しうるのは国民の意思でも、議会の抗争でもなく、最大の実力部隊である軍部の動向如何にあるのである。しかしこの結論は議会に於ける微温的闘争から軍事内戦への突入を意味する。多民族国家ロシアが軍事内戦へ踏み込めば、激化している民族紛争、宗教紛争が一斉に火を噴き上げ、CIS−東欧全局は「第二のユーゴ」の道を辿ることになるであろう。


軍拡に血道あげる中共と北朝鮮

 かつての二大陣営の盟主−米国の衰退、ロシアの混迷に比らべて、今アジアはNIESーASEANに続いてシナ本部も経済的離陸の段階に入って空前の活況を呈している。世界の一大成長センターとして、このまま進めばアジアが来世紀の到来とともに、黄金の時代を迎えるのは衆目の一致して見るところである。しかし、アジアの将来は決して坦々である訳ではない。まず第一に、アジア諸国はアジア興起の共通の理念、政治文化、モラリシュエネルギーを形成共有するに至っておらず、逆に経済的興隆と共に各国は軍備拡張に走っており、このまま推移すると興起した近代ヨーロッパがナショナリズムの激突相克の中で、戦乱の幾世紀を現出したと同じ愚と誤まりを再現することになるであろう。第二に、新生アジアを領導する国家民族のヘゲモニーが未確立であり、わけても地域の歴史的な二大指導国ーシナと日本の折り合いが未決着であることである。シナ=中共は尊大傲慢な「中華帝国主義」に固執し、一方我が国は戦後デモクラシー崇拝の堕弱を脱出しておらず、その国是は「対米従属」を専らとするのみである。このままだと既に述べた様に、「パックス・アメリカーナ」死守に賭ける米国の巻き返しに乗ぜられ、再びアシアは白人種の後塵を拝することになりかねない。 第三に、ソ連ー共産主義崩壊後なお共産主義イデオロギーに固執するシナー中共と北朝鮮の情勢如何という問題である。戦後のアジアは我が国の敗戦凋落とともに自由主義−社会主義の陣営対立の最前線として米ソの再分割するところとなった。シナー北朝鮮−北ベトナムはソ連の支配下に、一方韓国−台湾−南ベトナムは米国の指導下に組み入れられた。ベトナム統一後、冷戦の終りとともに遺物として残るのは三八度線と台湾海峡のみとなった。
 共産主義イデオロギーに固執するシナー中共と北朝鮮は冷戦終焉後明らかに別々の道を歩み始めている。中共が開放・改革を一段と加速させているのに対し、北朝鮮は権威主義体制死守にむかって鎖国政策を堅持し続けている。しかし方向が正反対であれ、共産主義の破綻は自明であって、ソ連崩壊の跡を追うのは最早時間の問題である。郵小平、金日成の死期の到来とともに、両国の体制が瓦解し最後の植民地帝国と最後の分断国家の激動を機に東アジア一帯の民族自決運動に火が点せられるのは必至であろう。以上の問題意識を踏まえ、現在軍拡に狂奔するシナ一中共と核開発問題で緊迫する北朝鮮の情勢と今後の展望を見ておく必要がある。いずれも我が国の近隣に位置し、地政学的に言っても日本の安全と国益に真向影響するからである。
 周知の様に、中共は一昨年一一月第一四回党大会を開き内外の基本政策を決定した。この一四回大会の特徴として三点を上げることができる。まず第一は、開放・改革路線を推進してきた郵小平路線を百年揺るがないことを宣言、郵小平理論を党是にまで高め公式に規約に明文化した点である。第二は、社会主義とは反対概念の市場経済を正面から正式に認め、しかも同時に共産党一党独裁制の正当性をも謳いその堅持を確認した点である。第三は、米国の一極支配体制に対抗しアジアに於ける覇権確立を目指す軍備拡張路線をうち出し、中華帝国主義に転ずる姿勢を鮮明にしたことである。そして昨年、まず第一と第二の経済−富国化に関して、中共は三月全国人民代表大会を開催し郵小平亡き後の中央人事配置を決定するとともに、社会主義市場経済体制の具体的骨組みを決定した。郵小平の「機会を把かみ発展を加速化させる」という最高指示にもとづき、開放・改革路線の加速化が決定され、第八次五ヶ年計画(九一年−九五年)の当初目標平均六%の成長率を八−九%へ引き上げることが決定され、更に二〇〇〇年に一九八○年の四倍にする目標を一九九五年に達成させることも決められた。

 昨年上半期ですでに一四%の高度成長を記録しているから、このまま進めば二〇一〇年には世界一の経済大国になることになる。更に二月には、三中総会を開催し郵小平の開放・改革路線の総仕上げを今世紀中に完遂することを確認し、高度成長路線を邁進していくことを決定している。第三の軍事−強兵化については、二点に注意しなければならない。まず一つは、一〇月米国の強い停止要請をはねつけて核実験再開に踏み切ったことである。この核実験は米国の要請を無視した点で格別の意味をもつ。米国はクリントン政権の発足とともに、人権外交を展開、人権問題を理由として北京五輪開催反対、銀河号事件、ミサイル技術輸出規制違反を理由とする経済制裁、台湾への武器売却など立て続けに圧力を加えてきた。
 核実験再開はこうした米国の強硬な人権外交の圧力に屈服するものではないことを内外に鮮明にした点で注目される。二つ目は、中露間の軍事交流が格段に密接化した点である。昨年八月中共軍の総参謀長がロシアを初めて訪問、今度は十一月ロシア国防相が初めて中国を訪問した。中露の軍事交流は湾岸戦争を機に活発化し、スホイ二七、ミグ二九、ハイテク艦船が次々と中共側に売却され、中共の海軍と空軍の近代化・高度化は飛躍的に強化されている。この背景にはアジアに於ける米露の相次ぐ勢力撤退(ベトナム、フィリピン)をにらんで、その軍事的空白を埋めアジアに於ける新たな覇権確立を目指す戦略が存在していることを指摘できる。伝統的に大陸国家であるシナが一四回党大会の「海洋権益の確保」の決定にもとづき、外洋戦略を本格化した証しであって、我が国南方シーレーンが危殆に瀕することがますます強まったのである。この様にシナー中共は「富国強兵」にむかって文字通り邁進しており、特にアジア覇権確立を目指す強兵路線は戦略不在の我が国にとって今後重大な脅威となってくるのは必至である。
 しかし反面、富国路線にもとづく諸矛盾も次第に顕在深刻化しているのも事実である。特に市場経済化の加速とともに、経済の過熱、インフレ圧力、地方格差の拡大は無視できない程になっている。また経済高度成長に伴う人心の弛緩、道徳の頽廃、社会秩序の紊乱特に犯罪の激増はシナ全土に蔓延するに至っている。今後のシナー中共情勢を展望するうえで特に注意しなければならないのは、第一に郵小平の死期の到来によってどう変貌するか、第二に最後の植民地帝国であるシナー中共の少数民族の自決運動がどう展開していくか、第三に指導部・幹部の腐敗の問題とりわけ体制護持の要である軍部の腐敗を粛清防止できるか、である。いずれもシナー中共体制の根幹を成す要素であり、十分着眼注目していかなければならない。一方朝鮮半島情勢は引き続き緊迫した状態が続いている。朝鮮半島情勢はこの一年、核開発問題を軸に動いてきた。
 北朝鮮は一昨年IAEA(国際原子力機関)と核査察協定に調印、ようやく核査察を受け入れたが、昨年三月突然NPT(核防条約)から脱退を表明した。IAEAが疑惑の二施設への特別決議を行ったのが直接の原因だった。その後北朝鮮は核問題はIAEAとではなく米国と直接交渉で解決する方針を鮮明にし、六月と七月には米朝高官協議を実現。その過程で「NPT脱退の一時停止」を表明したものの、米国側が第三ラウンド協議の前提に置く、?IAEAとの核査察協議開始、?南北対話の再開には全く応ぜず暗礁に乗り上げた状態が続いている。現在、対米関係改善に焦点を絞り核カードを駆使する北朝鮮と、国連制裁措置を背景に査察受け入れを迫る米国との間でギリギリの交渉が続けられている。どうやら米朝交渉の焦点は査察の対象を「疑惑の二ヵ所」も含むのか否か、含むとした場合の米国側の譲歩の中身をめぐって最後の攻防が続いている模様である。「核のカード」は今や北朝鮮に残された体制的延命を賭けた唯一のポリティカル・バーゲニングの手段となっている。この「核のカード」をどれだけ最大限有効に利用するかが北朝鮮のポイントとなっている。現在北朝鮮は金日成−金正日父子権力継承体制の過渡期にあり、核開発をめぐる真意は金日成と金正日のどちらの側にあるのかである。
 NPT脱退を決断したのは金正日だと言われ、これに対し金日成は激怒したとも伝えられている。金日成と金正日のどちらが現在北朝鮮の政治的決定権を握っているのか、どちらがどう決断するかー結局問題はここに帰着するのである。これまで北朝鮮は国連同時加盟、核査察協定調印、NPT脱退と「保留宣言」を見ても明らかな様に、自国に不利な新しい情勢に頑強に抵抗しながら懸命にかけ引きを展開し、最大限の代償を獲得するや最後のドタン場で一転妥協に転じ、新しい潮流に対応してきた。果して今度もこの常とう手段を再び踏襲するのか、文字通り全く予断を許さない。
 北朝鮮が核開発を簡単に放棄するとは到底思われない。もし北朝鮮が核武装に踏み切れば、我が国周辺は悉く核武装国家となり、「解釈改憲ー軽武装主義」の下「非核三原則」を国是とし日米安保体制に全面依存している我が国の安全保障は危殆に瀕するに至る。アジアの軍事バランスも今後将来予見される米国の衰退ー中国の台頭によって根本的変容を強いられることも必至である。専守防衛戦略の転換、非核政策の放棄はいよいよ焦眉の急となっている。特に二年後のNPT無期限延長は絶対に許してはならないのである。


世界史の位相と日本の使命

 以上の様に、一九九四年の日本をめぐる国際情勢は引き続き激動の度合いを一層深めて行くと思われる。戦後世界秩序が崩壊した後、真にあるべき新しい秩序が未だに構築されていないからである。その中でも、すでに述べた通り?米国の衰退に歯止めがかかるか、?エリツィンーロシアの政局が安定するか、?ソ連崩壊後なお社会主義体制に固執するシナー中共と北朝鮮の安定がいつまで続くか、が重要な注目点となるであろう。これら三つの地域はいずれも我が国を取り巻く位置にあり、地政学上その動向は日本の安全と繁栄にとってとりわけ重大な影響を及ぼすことになるからである。またこれら二地域はいずれも第二次大戦の戦勝国であり、戦後秩序の形成と維持に主導的な役割りを果してきたからである。
 だがしかし、その答えはいずれもノーであることを銘記しなければならない。世紀末を数年後にひかえて、現在人類史は世紀的な転換期にある。これは暦をめくれば当然自明のところだが、そうではなく同時に今人類史はもっと大きな世界史的転換期に際会しているのである。世紀的な転換とより巨大な世界史的転換が、同時に重なり合って到来しようとしているところに、世界史の現在的位相の特徴があるのである。この世界史的位相を読み解くところに、我が新民族主義派の存在理由があり、そしてそれを実践することが我が国家民族の歴史的使命に他ならない。
 冷戦の終焉ーソ連の崩壊とそれときびすを接する米国の衰退の中で、今鮮明に浮上しつつある世界史的特徴はアジアの興隆ということである。米国の衰退を最後として、五〇〇年に亘る西方東漸のダイナミズムに一大ピリオドが打たれ、白人種に代って興隆するアジアが次の人類新文明、人類新秩序を領導する時代が訪ずれようとしている。コロンブスの「新大陸発見」以降五〇〇年、近代と画された世界は、?西洋キリスト教文明が世界を掩有した時代、?白人種の世界覇権の時代、であった。これはひとつの現象を文明と秩序の両面から見たものであって、近代とは「西洋・白人種」の時代以外の何物でもなかった。しかし今、米国の衰退の深まりとこれに反比例するアジアの興隆の中で、この近代概念の終焉が画されようとしているのである。
 まず、米国衰退の世界史的意義を明らかにしなければならない。米国の国家性で際立った特徴は、崩壊したソ連同様抽象的理性を国家道義とする人工的国家だという点にある。米国は一〇二人の清教徒がメイフラワー契約を結んで上陸したという国家の成立事実が示す様に、社会契約説にもとづいて建国された。理性崇拝の自然法的な社会契約説こそ米国の建国の基礎をなし、自然法的な人権思想こそ米国の国家理由に他ならない。この理性崇拝、社会契約説、自然法的人権思想はいずれも近代・西洋・キリスト教文明の所産であって、米国は近代・西洋・キリスト教文明の正系の嫡子たるところに特色を持っている。しかしその米国が、今や人権という抽象的理性の崇拝絶対化のため人間秩序は破壊し尽くされ、家庭崩壊に始まって男女人倫の壊乱、エイズ、麻薬、犯罪の蔓延によって、今や亡国的危機に瀕するに至っている。
 国家道義の絶対化、普遍化がかえって国家社会の秩序を破滅に導いているのであって、経済の衰退はこの国家道義の破綻衰弱の現象に他ならないのである。換言すれば、米国の衰退は近代・西洋・キリスト教文明の行き詰まりであり、もし米国の衰退に歯止めがかからなければ、全能を誇った近代西洋文明は正系の嫡子である米国を最後として継承者は誰もいなくなってしまうのである。この米国の衰退に対し、アジアの興隆もまた世界史的意義を持っている。人類は五〇〇年前の「新大陸発見」とそれを基点とする西方東漸のダイナミズムによって、初めてひとつの世界を形成するに至った。それまで西洋と東洋はそれぞれ独立した閉鎖的完結的世界であって、今日我々が認識し得るようなひとつの世界は存在しなかった。「新大陸発見」によって成立したひとつの世界−世界史的世界はしかし西方東漸の世界に他ならなかった。この五〇〇年間、欧米白人種は圧倒的文明をもって東洋有色人種を侵略支配し、世界の覇者として君臨し続けてきた。覇権の担い手はポルトガルースペインーオランダーイギリスヘ次々と遷移し、戦後は米国がイギリスを継承して「パックス・アメリカーナ」の覇権を構築してきた。しかし西洋と東洋は文明的にも著しい好対照をなしている。近代・西洋・キリスト教文明はルネサンスによる個人主義・利己主義、近代市民革命による自由主義・民主主義、そして産業革命による物質主義・営利主義をその本質としている。これに対し東洋文明は自然との共生調和を重視する世界観、人倫を重視する社会観、倫理的精神主義的な人間観を特質としている。
 近代・西洋・キリス・ト教文明が行き詰まり、人類文明が破たんに瀕している時、これに代って東洋有色人種の永い伝統文明が如何に新しい人類新文明を創造し得るかが問われているのである。そしてアジアに位置し、興隆するアジアを先頭でけん牽引してきた我が日本の世界史的使命も自ずと明らかになるであろう。一度は敗戦で凋落した我が日本の世界史的再上昇は次の諸点で世界史的意義をもっている。第一に第二次世界大戦の敗戦国の再浮上であること、第二に非西欧的世界の出自の興隆であること、第三に大東亜戦争を有色人種解放の聖戦として戦い抜いた世界史的民族の再勃興である点で、戦後的秩序−欧米白人覇権−西方東漸の世界史をその根底から覆滅する根源的な意義を有しているのである。
 即ち、このまま我が国が一途世界史的上昇をとげて行くならば、戦後の戦勝国優位体制は瓦解し、五〇〇年に亘って正系を誇ってきた近代・西洋・キリスト教文明は米国衰退を最後として没落し、代わって、隆盛するアジアが世界史的世界の前面に躍り出る、新世紀がアジアの世紀になり得るかは、一にかかって我が国の双肩にかかっているのある。我が日本は大東亜戦争で白人を駆逐し、東洋有色人種の復権のために戦った。その奮戦によって、白人優越の世界は根底から動揺し今日のアジア興隆の種は植え付けられたのである。そして戦後これまで、アジアの近代化・産業化の牽引者として、NIESーASEANーシナ本部と続く一大成長センターを築き上げてきた。最初は政治的独立を、二度目は経済的自立を、今のアジア興隆の基礎を作ったのは悉く我が日本に他ならない。そして今度日本が為すべきことは、この興隆すアジアを領導し東力西漸のダイナミズムを作り出し、東洋文明を核とする新文明を創造することに他ならない。
 「パックス・アメリカーナ」に代わる「パックス・ジャポニカ」、近代・西洋・キリスト教文明に代る世界文明を表現すべき大日本‘明の創造ーこれが政治と文化に於ける我が国の課題となるのである。そして我が日本が国家的民族から再び世界史を領導する世界史的民族へ上昇しうるかは、全て我が新民族主義派の奮闘の如何にかかっているのである。


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