憲法改正の大綱を論ず

平成16年2月1日

相次ぐ憲法改正発言

 新年に入って憲法改正発言が相次いでいる。まず1月8日に行われた某通信社の新年会で民主党の菅代表は挨拶で「責任を持った政党としてこの問題(憲法改正)に真正面から取り組む」と挨拶。同席していてこれを聞いた小泉首相はすかさず菅代表を捕まえて「自民党と民主党で憲法改正できるな。自民・民主連立政権。民主党の賛成を得ないような憲法改正は良くない」と憲法改正での連携を持ちかけた。すると菅は「憲法で連立してはだめだ。自民党は自民党の案を出せばいい。民主党は民主党の案を出す。連立すると国民の目から見えない議論になる」と混ぜっ返したという。これに対し首相はなおも「両党が修正協議をすればいい。有事法制みたいに第1党と第2党が協議すればいい」となおも両党連携による憲法改正を持ちかけた。

 次いで13日開かれた民主党大会で菅代表は冒頭の挨拶で、(1)06年までに「国民主権」を柱に党独自の憲法改正案の策定を目指す(2)自衛隊と別組織の「国連待機部隊」を創設し国連による平和協力活動にあたる――などを提起し、党内での議論を促した。これを受け民主党憲法調査会は29日の役員会で、06年までにまとめる党の憲法改正案のたたき台として「憲法提案」を年末までに作成する方針を決定。また、役員会では調査会に「総論」「統治機構」「人権保障」「分権自治」「安保国際」の五つの小委員会をつくることも決めた。これまで「論憲」に終始して来た民主党は「創憲」へと明確に舵を切ったのである。

 一方小泉首相は14日内閣記者会のインタビューに応じ、「憲法改正問題が現実的な課題になってきたと受け止めている」とこうした民主党の動きを高く評価。その上で「自民、民主両党が協力して現実のものにしていきたい」と語り、与野党の協力で憲法改正を実現することに改めて強い期待感を示した。ただ、具体的な改憲日程については「まず各政党が案を纏め、各党と協議し国会に案を出すということは2年や3年では出来ない。少なくとも5年はかかる」とも述べ、首相在任中に国会で改憲を発議するのは困難との見通しを示した。周知の様に自民党は既に昨秋の総選挙で、結党50周年の節目となる再来年に憲法改正案を纏める方針を明らかにしている。

 この小泉の発言に続き自民党NO2の安倍幹事長は朝日新聞社の月刊誌「論座」2月号のインタビューに応じ、「現行憲法の字句修正ではなく、白紙から書くのがふさわしい」と全面改正を目指す考えを明らかにした。この中で安倍は9条を改正し自衛隊の存在を明記すべきだとする一方、集団的自衛権については「自衛権の行使は常識的にはわざわざ書く必要はない」とする持論を展開。

 だがその一方で、肝腎の改憲の時期については小泉同様「機は熟していない」と慎重な見通しを表明、民主党との連携についても否定的な見方を示した。安倍幹事長は次いで27日産経新聞のインタビューにも答え、集団的自衛権の扱いについて「行使は許されない」とする政府解釈を変更すべきだとの考えを改めて強調、将来の見直しの手順について、政府に懇談会を設けて「行使出来る」との結論を出した上で首相がこれを表明、国会の多数によって認めるという一歩更に踏み込んで発言をしている。「集団的自衛権」見直しへ向けた具体論としては初めての提起である。

 自民党、民主党が相次いで憲法改正へ歩一歩踏み出す中、これまで護憲を標榜し続けて来た公明党も28日党憲法調査会を開き、9条改正を含めて「タブーを設けない」で全党論議を行う方針を決定した。周知の様に公明党は占領弱体化憲法に拝跪し続け、辛うじて環境権やプライバシー権など新しい人権を「加憲」するという方針に終始して来たからこれは大変身への予兆とも言えるのである。

憲法改正で大同団結はあるのか?

 昨年秋行われた総選挙は戦後政治の分水嶺となるものであった。選挙前小泉=自民党は2005年に憲法改正草案を創ることを公約に掲げ、これを受け「論憲」に留まってていた民主党も「創憲」を公約に打ち出した。特に「論憲」の立場だった民主党が「創憲」に踏み出したことは、戦後の総選挙で初めて野党第一党が改憲を掲げた点で画期的意義を持っていた。
 そして総選挙の結果は、憲法改正を全面に掲げた自民党が勝利し民主党も大躍進し、頑迷な「護憲」を掲げて総選挙を戦った社民党や共産党は議席を半減し、護憲勢力は衆院でわずか3%の議席にまで凋落した。国会に憲法調査会が設置されて4年、過去二度総選挙が行われ改憲派と護憲派の論戦が行われて来たが、選挙の度に護憲政党は連敗を重ね、護憲か改憲かという戦後政治の最大争点に決着が付けたと言えるのである。

 これは選ばれた側の国会議員の意識に如実に反映している。総選挙直後に読売新聞が行った新議員に対するアンケート調査によると、憲法改正に賛成の議員は何と73%にも達し、一方改憲反対派はたった14%に過ぎない。この数字だけ見れば、憲法改正の発議に必要な「総議員の3分の2」に優に達している。したがって改憲派が大同団結すれば、今すぐにでも憲法改正は可能となるのである。かつて55体制下で護憲勢力が議会の3分の1以上を占め、国民悲願の憲法改正が政治の俎上にさえ上らなかったことを思えば正に隔世の感があると言わざるを得ない。

 では憲法改正を巡って政党の大同団結が果たしてあるのか? 周知の様に憲法改正の手手続きを定める96条は「総議員の3分の2以上による発議」を規定している。改憲派は総体として勝利したとは言え、自民党は勿論、大躍進した民主党も3分の2どころか過半数に遙かに及ばない。当然憲法改正のためには改憲派の大同団結が必要となるのである。だが上に見た様に小泉が改憲派の大同団結に積極的なのに対し、民主党の管や自民党の安倍はいずれも消極的である。剰えその小泉さえも「首相在任中に憲法改正を発議しない」ことを繰り返し明らかにし、安倍に至っては政治日程に乗るのは「5年後」の話だとしている。そうすると自民党は来年、民主党は再来年までに党の憲法改正案をまとめる方針を打ち出しているが、今の政党状況では各党の改正案だけがなって、肝腎の憲法改正は行われないという事態になりかねない。

 同じ様なことが戦後政党史において現実にあったのである。今の自民党は保守合同で昭和30年に発足したが、その前は自由党と民主党に分裂していた。民主党は更にその前改進党と名乗っていたが、その「保守二大政党制」の時代、いずれの保守党もマッカーサァー占領押し付け憲法の改正を党是に掲げていた。そしてマッカーサァーが去って占領解除後に行われた総選挙、特に昭和28年の「バカヤロー解散」それから昭和30年に行われた「天の声解散」ではこれらの二大保守党が総計で憲法改正の発議に必要な「総議員の3分の2」に優に達していて、両党が大同団結しさえすれば悲願の憲法改正は実現していたのである。

 だが両党は吉田、鳩山等の指導者を巡るつまらない足の引っ張り合いやヘゲモニー争いに終始うつつを抜かし、遂に両党が大同団結して憲法改正という国家的悲願を達成するということはなかったのである。そして漸く実現した保守合同で自民党が発足した時は、時すでに遅く護憲派が議会に蟠踞して遂に憲法改正が不可能となるのは周知の通りである。

 今度の総選挙の結果、二大政党制への趨勢が鮮明となった。だが自民党も民主党もその内実はと言えば、基本理念に於いて水と油ほどの違いがある「小日本主義」と「中日本主義」が混在しているのである。その結果両党とも基本政策の意思決定すら出来ず、国家喫緊の課題の解決は何一つとして解決されず先送りされて来た。例えば今なら、日米同盟に基づくイラク派兵、北朝鮮の瀬戸際政策に対応する集団的自衛権の行使、道徳・思想の紊乱に対処する教育改革が目下の国家喫緊の課題だが、政党政治と言いながら両党の党内の意見は真っ二つの割れ、何一つとして意思決定出来ないでいるのである。

 本来なら理念・基本政策が合致する、例えば自民党=小泉と民主党=小沢、自民党=経世会と民主党=鳩・菅が手を握って連携すべきなのに、政策的にもっとも近い両者が最も激しく対立しているのである。こんな有様で最も国家の基本理念に関わる憲法改正問題で到底両党の大同団結が可能とは思われない。このまま行くとかつての保守二大政党制の轍を踏むこと必至と言わざるを得ないのである。国益を無視し党利党略に固執して徒らな対立を旨とする政党政治の悪弊と言わざるを得ない。 


憲法改正の要諦ー手続き面及び実体面について

 だとするとまたしても国民大多数が憲法改正を熱望しているにも拘わらず、議会政党の不作為によって現実に憲法改正が達成されないという最悪の事態になりかねない。これは急増する改憲派に何を教えるのか?

 そもそも憲法が元来予定する改正権者は議会と国民である。憲法96条は「3分の2以上の多数で国会が発議し、国民投票の過半数で承認」と定めている。しかし我が国の戦後憲法の場合、国際的に禁止された占領期間中に憲法改正されかつ新憲法は旧憲法の改正可能範囲を逸脱しており、国際法的にも国内法的にも全く正当性をもたないのである。要するに憲法として一片の正当性もない「悪法」なのである。だとするならば不正な憲法つまり悪法を改変するのに、そもそも憲法96条の定める改正手続規定を踏む必要があるのか? 

 そんなことはないのである。不正な憲法を改変するのに、その不正な憲法が定めた改正手続規定によらなければならないというのは明らかに背理と言わざるを得ない。つまり議会の過半数の議決があれば、法理上今直ぐにでも「憲法」の「改正」は可能なのである。

 更に現在の様に国民の大多数が憲法改正を圧倒的に支持しているのに、発議権を持つ議会がサボタージュしている場合は一体どうなるのか? つまりこの場合は議会が民意を反映していないということになる。代議制を採用する場合、議会が民意を如実に反映していないという場面は幾らでも有り得る。だが法律や政策の場合と異なって、事が国家国民の安危存亡に関わる憲法の場合は主権者たる国民が自ら直接主権を発動し国家国民を救済し得ることは当然の法理として認められるのである。全ての憲法は何者かの政治的決断行為をもって制定される。現行占領憲法はマッカサーの政治的決断行為によって制定され、明治憲法といえども700年に亘る幕府武力専権体制を打倒した明治大帝の決断行為の所産による。だとするならば議会が国民大多数の意思を裏切って亡国政党の跋扈する所と化し、そのサボタージュによって最早立憲的改憲が不可能となっている今日、有権者は自ら起って国家と民族の新しい未来の為「超憲法的」決断を以て新しい憲法を制定しなければならないのである。

 手続き面だけではない。実体面においても自民、民主両党の目指す改憲論は9条改正、首相公選制、一院制そして皇室典範を改悪した女帝実現などでいずれも「中日本主義」と断ぜざるを得ないものばかりである。9条改正、一院制はそもそもが「中日本主義」の範疇に属することであるから我々「大日本主義」も全く異論がないとして、首相公選制や皇室典範を改悪した女帝実現などはどうか? これらはいずれも伝来固有の日本国体の根幹に抵触する一大問題であり、敢えて言うなら前者は共和革命を、後者は天皇制の無化を画策するものであり、その根は通底一致しているのである。

 まず首相公選制だが、君主制の国家で首相公選制を導入すれば、公選の首相は実質的に大統領と同じ権威と権能を担うことにならざるを得ず、天皇の御存在は今以上に希薄化し究極的には無用論が台頭することになること必至である。また、天皇と大統領の併存はかつての朝・幕関係が正にそうであったように、必ず対立・摩擦を招来し伝来固有の国体を毀損するに至る。首相公選制は実質的な大統領制=共和制を日本に持ち込もうとするもので、必ず国体の変革に繋がるのである。

 それから女帝論である。導入の理由として「男女参画社会」「男女同権」を挙げているが万世一系三千年の日本国体の本義を全く弁えない暴論で、日本天皇を諸外国の「キング」と同列にしか見ていないのである。敢えて揚言するなら、日本天皇の本義は「明御神(あきつかみ)天皇( すめらみこと)」、即ち国祖の直系であり国祖の精神を如実に現在まで護持し賜う天皇を神として仰ぎ国家の不易の中心として奉るということにある。この本旨を踏まえないで「男女参画社会」だから、「男女同権」だからという理由で「改正」を安易に議論することには断じて組みする訳にはいかないのである。

 更に首相公選制と「女帝」論が結び付けば一体どうなる? 公選の首相は天皇と並び立つ権威と権力を独占するだけに止まらず、更に政権党の都合で自ら御し易い天皇を自由自在に作り出すことが可能となるのである。戦後占領憲法によって「象徴」にまで無化された天皇制はその「象徴」の実体すら公選の首相に握られることになるのである。

 そうではなく憲法改正の実体的眼目はその全く逆でなければならないのである。敗戦―占領によって伝来固有の天皇統治の観念は全否定され、天皇を統治から疎外したアメリカ流の共和憲法を押し付けられた。所謂「象徴天皇」であり、現行憲法の1.4,20条である。しかし我が国は明治維新において、三千年の歴史に徴し伝来固有の天皇統治の観念を近代立憲的に再確立して「大権統治」という独特の立憲制度を確立したのである。従って憲法改正というならば、国家の基軸中の基軸を為す天皇の「統治大権」「祭祀大権」の復権がまずいの一番とならなければならないのである。これに違背する憲法改正は如何なるものであっても断じて容認出来ないのである。



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