新文明の興隆へ
───「新アジア主義」の牛耳を執れ!───

平成14年10月1日

1 崩壊過程に入った金正日独裁体制

 全世界が注視し日本国民が固唾を呑んで見守った日朝首脳会談が9月17日行われた。その結果はまず日本側が最大の懸案とした拉致事件では、北朝鮮側は日本政府が認定した八件十一人を含む全被害者について安否を伝えてきたが、横田めぐみさんら八人が死亡、生存者はたった五人だった。金正日は拉致事件の非を全面的に認めて遺憾の意を表明、謝罪した。これを受け両首脳は十月中に国交正常化交渉を再開させることで合意、会談後、日朝平壌宣言を発表した。
 宣言では、交渉再開合意のほか(1)日本側は過去の植民地支配で「痛切な反省と心からのおわび」を表明した (2)財産請求権を相互に放棄する (3)正常化交渉で経済協力の具体的規模と内容を協議する (4)ミサイル発射実験凍結を平成十五年以降も延長するーーなどを盛り込んだ。小泉は画期的成果と自画自賛しているが、極めて不満足な結果でありこんな内容では到底国交正常化交渉再開を支持することは出来ない。我々は先に小泉訪朝が発表されるや、「今月の主張」で我々の原則的立場を明らかにした。その内容は(1)何故、今なのか? (2)成算があるのか? (3)金正日は本当に変わったのか? (4)アジア外交の転換を!ーーというものであった。
 今この内容に沿って今回の首脳会談を総括するならば、以下の様に断言出来るのである。まず、上記(1)何故、今なのか? (2)成算があるのか? に関わるもので、何故拙速にも平壌宣言に署名したのかという点である。小泉首相は平壌訪問前「拉致問題の解決なくして国交正常化交渉再開なし」と繰り返してきた。だが結果は八人が死亡、生存者はたった五人だった。しかも死亡した八人を見てみるといずれも北朝鮮の工作員の目撃情報や消息情報が過去に伝えられていた者達で、これでは窮地に陥った北朝鮮が都合が悪くなって「口を封じた」としか思われない。何時何処でどうして亡くなったのかの最終確認、被害者・遺体の帰国、家族との再会も何もなく、拉致の再発防止の具体策も何もないまま、もう今月にも国交正常化交渉再開というのでは到底納得出来るものではない。何故今月からで、何故そんなに急ぐのか、一番肝腎な点について説得的な説明が何もない。また金正日は「謝罪」したというが、二枚舌は金正日の常套手段で口約束はいとも簡単に破られる。もっとゆっくりと時間をかけながらやるのがスジというものであり、これでは「初めに国交正常化交渉再開ありき」で、初めから「国交正常化」そのものを自己目的としていたとしかと断ぜざるを得ないのである。第二は上記(3)金正日は本当に変わったのか? という論点そのものである。
 金正日は今回の首脳会談で様々な「口約束」をした。拉致問題についてはこれまで一切認めようとしなかったが、今回は犠牲者の安否についてほぼ全員明確にしたうえ金正日自身が謝罪した。不審船問題でもいとも簡単にこれからはもういたしませんと謝罪した。核開発疑惑については国際的合意の順守を約束し、ミサイル実験停止についても凍結を表明し、「過去の清算」についても戦争賠償請求権を強く主張してきたが、これもあっさりと自己主張を取り下げ日本の主張に沿って経済協力方式で譲歩した。どれもこれもかつて信じられなかった最大限の譲歩だが、だとするならその譲歩の背景を探って交渉を有利に進めることこそが国家間外交の要諦と言えるのである。
 金正日最大限譲歩の背景は「悪の枢軸」と呼ぶブッシュ米政権への恐れととともに破綻した経済と内部矛盾で崩壊寸前の体制への危機感があることは内外衆目の一致するところである。内外背に腹を変えられなくなって術策として便宜的に「平和攻勢」に出て来ているのである。ならば交渉でカードを握っているのは日本である。口約束が実際の行動を伴うものであるか否かを見極めなければ信用出来ないし、それを検証するのにもっと時間をかかるべきである。
 過去金正日は都合が悪くなると平気でウソをつき、また口約束もいとも簡単に破って来た。二年前の南北首脳会談の合意事項は未だ履行もされていない。金正日の本質は何も変わっていないのであり、上面の微笑に騙されて支援に乗り出そうというのはお人好しもいいところで愚の骨頂というものであろう。結局、小泉は功を焦ったとしか考えられない。今度の訪朝では様々な憶測が飛び交った。最も有力なのはアメリカが絵図を描いたというものだが、ブッシュは訪朝直前の日米首脳会談で小泉の拙速と独走を牽制し、会談中ラムズフェルド国防長官は北朝鮮が核兵器を保有していると指摘し現状に強い警戒感を表明した。してみると今度の訪朝はアメリカの手を離れ、韓国・金大中辺りとの連携乃至は外務官僚の描いた絵図に則った「独自外交」だったことになる。
 独自の軍備と戦略に則った「独自外交」ならいざ知らず、軍事無担保・対米依存のまま「独自外交」を展開すればこれ程危険なことはない。その前にそもそも金正日の「平和攻勢」が術策だと分かり切っているのに何故国交正常化を急ぐ。国家間の交際友誼において「友好一辺倒」「全方位外交」などということがあろう筈がない。
 全ての国と仲良くしようとすれば無原則となり、無原則の友好を第一義とすれば国家の道義性は忽ち堕落してしまう。国家の道義、立国の大理念に立脚して、交際友誼の多寡を選別して国家の利益と目的を冷厳に貫徹して行く、それが国家外交の要諦ではないのか。こうした原則も道義もないまま徒に国交正常化を急ぎ、我が国に一貫敵対してきた金正日の延命に手を貸すなどと言うのはどう考えても正気の沙汰とは言えないのである。
 さてそれでは今後日朝関係はどう展開して行くのか? 考える際の要点は二つである。まず、国内論争の行方である。小泉ら評価派は「初めに正常化ありき」と言わんばっかりの態度だったが、帰国後拙速な交渉に対する猛烈な批判が起こり、今やその批判にいちちち配慮しなければならなくなっている。拉致問題での諸々の批判を受け、小泉は国交正常化交渉の再開の前提として、〈1〉北朝鮮が生存を明らかにした4人の拉致被害者の帰国 〈2〉死亡した被害者8人の拉致から死亡に至る経緯の解明と補償――を北朝鮮に強く要求する方針に転じ、政府調査団が派遣された。結局、この拉致問題が「最終解決」しなければ激高する国民世論は到底納得しないであろう。同じ様に工作船、核・ミサイルそして最大の焦点となる「経済協力」を巡っても、交渉の過程で評価派は批判派の厳しい監視の目に晒され相当の拘束を受け安易な妥協などは出来なくなるであろう。その結果、国交正常化のスケジュールは当初半年の予定が大幅に遅れることは必至となろう。
 この日朝交渉過程にアメリカという外因的要素が絡む。アメリカは当初小泉の先走った「独自外交」を苦々しく思っていた。だが金正日が背に腹変えられず拉致を認め謝罪し大幅譲歩したのを見て取って、ここに来て一気に圧力を強める挙に出て来た。27日アメリカは政府高官を特使として「早期に」北朝鮮へ派遣することを表明。早ければ米朝高官協議が10月3日にも開かれる見通しとなった。この際アメリカは日本と連携する方針を明らかにし、日本も特使訪朝の結果を踏まえミサイル、核問題などでアメリカと連携を余儀なくされることになった。だとすると、日朝交渉と米朝交渉が同時並行して今月から始まることになる。こうなると日本政府の「先走り」はますます掣肘されることになるであろう。日本政府が当初目論んだ韓国・金大中在任中の日朝国交正常化実現という絵図は完全に破綻したと言えるのである。そうなるとどうなるか? 金正日は当初与しやすい日本からまずカネとコメを引き出し、同時にアメリカから体制延命の保証を取り付けることを狙って一大「平和攻勢」に出て来た。
 だが今のままでは日本の拉致問題が「最終解決」しなければ日本からカネもコメも引き出せなくなり、「悪の枢軸」と名指しするアメリカもそう簡単には体制延命のお墨付きを与えないであろうから、金正日は早晩「虻蜂取れず」の絶体絶命の状態に陥ってしまう。金正日が国家犯罪を公式に認めたことで、金蔵の朝鮮総連は完全に浮き足立って分裂の危機に陥ってしまってもいる。金正日のカリスマ性の崩壊は北朝鮮の在外公館を中心に急速に広がり、今後経済改革の失敗と共に国内でも急速にアノミー化していくことは必至の形勢となろう。金正日独裁体制は最後的な崩壊過程に入ったと断ぜざるを得ないのである。


2 破産した友好一辺倒の日中関係

 今年は日本と中国が1972年に共同声明に調印し、国交を正常化してから満30周年に当たる。その記念日の先月29日、日中両国首相は祝賀メッセージを交換。
 小泉首相は「両国は地域のみならず世界の平和と繁栄に重要な責任がある」などと協力関係の強化を呼びかけ、朱鎔基首相は「『歴史を鑑として未来に向かう』精神で、日中共同声明、平和友好条約、共同宣言の原則のもとで発展推進を期待する」などと訴えた。
 友好ムードを演出する様々な行事が両国で行われ、去る22日には北京で国会議員85人を含む1万人以上の日本人が参加した一大交流セレモニーも行われた。だが節目の年にも拘わらず肝腎の小泉首相の訪中は見送られ、事ほど左様に日中関係は今明らかに転機を迎えている。今振り返って過去国交回復30年を総括するならば、完全な失敗であったと言わざるを得ない。
 30年前日中両国は過去一切のわだかまりを捨て、未来に向けて新時代の友好の立脚点に立った筈であった。だが中国はその後掌を翻し歴史教科書、靖国参拝、南京「虐殺」、賠償など解決済みの問題を事ある度に蒸し返し、日本の内政に干渉し謝罪と補償を要求し続けて来た。いずれも時の総理田中角栄が歴史問題と台湾問題できちんと議論を詰めず、無原則の「友好熱」に衝き動かされて徒に国交樹立を急ぎ過ぎ、その後も国益の擁護と貫徹を忘却して来た結果である。その他尖閣諸島の領有を主張して軍事的デモストレーションを繰り返し、あまつさえ近年は犯罪を我が国に公然と「輸出」し日本の治安を攪乱さえしている。
 最も注目すべきは次代を担う中国の青年層の反日感情の突出ぶりである。共産党独裁政権の下反日教育に染め上げられた4500万人ものネットユーザーが日々サイト上で激しい反日言論に打ち興じているのである。相互に信頼感がなければ将来も到底友好関係が立ち行く筈がない。中国がかくまでに非友好的態度に終始し続ければ、日中国交回復は完全は失敗であったと断ぜざるを得ないのである。それだけではない。日中関係はあらゆる面で破綻を来している。
 例えば象徴的な経済関係でも、いびつな関係が拡大再生産される一途である。 両国間の貿易額は世界経済の低迷の中でも伸び続け、昨年は877ドルと過去最高を更新し、日本にとって中国はアメリカに次ぐ第二の貿易相手国であり、中国にとって日本は最大の貿易相手国になろうとしている。 日本企業による中国での工場建設など直接投資も急速に伸び累計額はすでに300億ドルを超え、99年度末の段階で進出企業は1400社、年間売上高は4兆円を超えた。
 量的な拡大とともに、質的な深化も進んでいる。進出業種は当初の繊維加工など労働集約型から家電へ、さらにIT関連、自動車など資本集約型の有力企業に中心が移りつつある。生産拠点だけでなく、更に研究・開発拠点を中国に置こうとする企業も出始めた。だが中国進出企業は契約不履行、投資規則の不遵守などに苛まれ、通商関係は拡大・深化どころか対立と混乱に陥っている。これでは投資の収奪で、このまま行くと日本国内の産業の空洞化が急速に進むだけでなく、対中貿易赤字が雪だるま式に増えて日本の富みが一方的に吸い取られるだけになる。しかも吸い取られた国富は日本恫喝の軍備に使われているのである。同様の問題を抱えるアメリカは安全保障とリンクして無原則の投資規制に乗り出したが、日本はこの点でもまったく無為無策に終始しているのである。こうしたなか、中国の驚異的経済成長とともに中国脅威論が急速に台頭している。2000年における中国のGDPは1兆1000億ドルであり、これは世界第6位の規模でイタリアに匹敵した。すぐ上にはフランス(1兆3000億ドル)、イギリス(1兆4000億ドル)がいるが、これを追い抜くのは最早時間の問題である。ドイツは1兆9000億ドルで、今後中国の計画通り毎年6.5%の成長を続けると2010年までの10年でGDPは倍増しドイツを追い抜く可能性が高い。そうなると世界第三位である。
 現在世界第2位の日本(4兆1000億ドル)と比較すると、日本が今の様にゼロかマイナス成長を続けると2020年頃には日本を完全に追い抜くことになる。中国はこの急速な経済発展を基礎に2025年ー2035年の間に日本を凌駕してアジアの覇権を完全に牛耳り、更に建国100年(2049年)を目途に核開発、宇宙開発、ハイテク、軍事力のあらゆる面でアメリカを追い抜き世界第一の強国になろうと目論んでいる。所謂「富強大国」路線である。そしてこの目標に向かって毎年20%弱の軍事費を注ぎ込む軍備拡張に狂奔している。
 アメリカはこの中国の富強化の趨勢を見て取って、ブッシュ政権はロシア、インドなど周辺国を誘い日米同盟の飛躍的強化による「中国封じ込め」戦略を発動するに至ったのである。にもかかわらず肝腎の日本は「小日本主義」が跋扈したまま無原則の友好一辺倒外交を徒に加速するのみで、何らの戦略も持ち合わせていないのである。確かに上の中国脅威論は統計的な話で、このまま中国が富強化路線を一路突っ走るとは到底首肯出来ない。今、脅威論とは逆に中国崩壊論が現実味を以て根強く囁かれている。周知の様に中国の国家戦略は「富強・統一・永久政権」を柱としている。だが「富強」はやみくもの軍備拡張を意味し、やがて日本を始めロシア、インドなど周辺国の警戒感を呼び起こしついにはアメリカの覇権と正面衝突して破綻に追い込まれる。「統一」は台湾併合を意味するが、台湾併合に固執すれば必ずアメリカと衝突せざるを得ないし、冷戦崩壊後の世界の大勢はむしろ統一より分裂が趨勢となっており、最後の植民地帝国である中国はやがて国内大分裂に追い込まれる。「永久政権」は共産党一党独裁の継続を意味するが、これに固執すればアメリカとの関係が悪化の一途を辿るばかりか民主化という世界の大勢に逆行して孤児になりかねない。中国自身が民主化へ第一歩を踏み出せば状況は一変するが、その一歩を誰がどう踏み出すかが大問題で、結局共産党一党独裁体制自体の命取りになりかねない、というのである。
 共産党指導部の描く国家戦略が長期的に行き詰まるだけでなく、現在中国は短期的危機に直面している。概括すると、(1)中央と地方の関係悪化 (2)腐敗の蔓延 (3)地域格差の増大 (4)民族・宗教を含む突発事件の発生 (5)社会治安の悪化 である。つまり、外資系企業が先導する活況の裏で赤字国有企業の整理が遅れ、所得格差や地域格差が広がり、失業者の急増、財政赤字膨張などが深刻化し社会治安が急速に悪化しており、一党独裁体制下の資本主義・市場経済化という根本的矛盾がこれからますます内攻化しいずれ大爆発するであろうというのである。長期的な破綻、短期的な矛盾爆発にしろ、今後ますます経済発展する中国の脅威と日本が背中合わせであることは変わりないのである。中国がその様な脅威であるとすれば、破綻と繁栄その両面の戦略を今から準備して行くことが国家喫緊の課題となる。
 過去これまでの無原則で情緒的な友好一辺倒の対中外交は明らかに転機を迎えているのである。


3 「新アジア主義」の大展望を!

 対中友好一辺倒の30年も戦後日韓外交も、そして今まさに始まろうとしている対北朝鮮外交もいずれも錯誤と断ぜざるを得ないのである。抑も国家間の交際友誼において「友好一辺倒」「全方位外交」などということがあろう筈がない。全ての国と仲良くしようとすれば無原則となり、無原則の友好を第一義とすれば国家の道義性は忽ち雲散霧消してしまう。
 国家の道義、立国の大理念に立脚して、交際友誼の多寡を選別して国家の利益と目的を冷厳に貫徹して行く、それが国家外交の要諦というものであろう。戦後アジア外交はこの根本の要諦を忘れ、中国にしろ韓国にしろ「友好のための友好」に終始し今またその愚を北朝鮮外交で繰り返そうとしているのである。戦後日本のアジア外交が無定見の友好一辺倒に終始したのは敗戦の結果自己の来歴を全部抹殺し、国家が自ら依って起つところの建国の大道義、立国の大理念を滅却したからである。代わって戦後対アジア外交の指針となったのは対米追随であった。田中角栄の対中国交回復もニクソン訪中の跡を追って日本独自に先走ったものであり、日本自らの定見や経綸があったからではない。勿論その背景には当時強大を誇るソ連に対抗するため、中ソ対立を利用し中国を抱き込んで対ソ包囲網を形成しようというアメリカの冷厳な戦略転換があったことは言うまでもない。そのアメリカは今再び世界戦略を大転換し、北朝鮮を「悪の枢軸」と位置付けイラクの次の打倒目標に掲げ、富国強兵の道をひた走る中国に対しては「封じ込め」戦略を発動し体制の転覆を指向し始め、我が国に対して日米同盟の飛躍的強化を要請して来ている。ブッシュ政権の誕生とともに対米戦略上、北朝鮮にしろ中国にしろ友好一辺倒の外交は既に底割れし破産してしまっていたのである。
 翻って明治維新以来の我が国のアジア外交はアジア諸国の解放独立と共存共栄を不動の国是として来た。そのためまず近隣中国、朝鮮の近代化に全力を傾注した。中国、朝鮮が封建旧守勢力の跋扈したままで近代化の緒に付かなければ、中国、朝鮮はいずれ欧米植民地列強の貪るところになり、ひいては日本そのものの独立も忽ち危殆に瀕するためであった。そのため国力を傾けて日清戦争、日露戦争を戦い、中国保全のためについには国運を賭けて大東亜戦争を戦った。建国の大道義、立国の大理念の赴くところの聖戦で、一点の道義的非もないのである。それだけではない。戦後も我が国はアジア諸国の復興自立に誠心誠意努力し、韓国は日本の経済協力で目覚ましい経済発展を遂げ、中国も日本の援助によって富国化の道を歩み、アセアン諸国は悉くテイクオフを果たし経済発展の緒に付いた。その結果アジア地域は世界の奇跡と称賛される目覚ましい経済発展を遂げているのである。
 我が国は実に戦前はアジアの政治的独立のために奮闘し、戦後は経済的自立のために身を粉にして貢献して来たのである。今年、欧州連合(EU)は共通通貨ユーロを導入し経済統合を一層強化した。この動きを受けてアメリカは北米自由貿易協定(NAFTA)を南北アメリカに跨る米州自由貿易圏(FTAA)へ拡大しようとしている。アジアでも中国は東南アジア諸国連合(ASEAN)との自由貿易協定(FTA)締結へ向けて動き、「失われた10年」に苦悶する日本を尻目に「元経済圏」構想を露骨に打ち出し始めた。これに慌てた日本はシンガポールと2国間の自由貿易協定を締結し、小泉首相は年始のASEAN訪問で「包括的経済連携構想」を打ち出した。日本、中国がそれぞれASEANとの経済連携を模索し始めたことで、中長期的には世界は欧州連合(EU)ーー米州自由貿易圏(FTAA)ーー日本・中国・韓国・ASEANを中心とする東アジア経済圏――の3つの地域経済統合が鼎立する可能性が強まってきた。この地域統合の巨大なトレンドは経済的理由ばかりではなく、政治的には所謂「文明の衝突」の世界観と奇妙に一致していることに注意しなければならない。つまり各国は自らのアイデンティティーの探求に熱中する一方、同類・同型のアイデンティティーの範囲で纏まろうとしているのである。これはアメリカグローバリズムに対する反発であると同時に、一面将来のアメリカ覇権の衰弱を睨んだ同盟の再編の動きでもある。その意味でまさに「文明の衝突」のメタルの裏側の現象とも言えるのである。
 さらに巨視的人類発展史的にみると情報・交通手段の発達に伴い近代民族国家はその固有の主権を制限し敷居が段々と低くなり、必然の趨勢としてより高次の超民族的な「種的共同体」的団結へ向かおうとしており、これは「民族ーー種族ーー人類」という人類発展史段階とも論理的に整合性を持っている。だとするならアジアでの地域主義の動き即ち民族国家を超えた「種的共同体」への世界史的動勢は不可避的であり、今後アメリカ覇権の衰弱を睨んで更なる同盟の大再編は必至となるであろう。
 我々が25年も前に重遠社創建に当たり綱領に掲げた「亜細亜種的国家連合の建設」の理想は今や現実の課題となろうとしているのである。問題は東アジアにおいて日本と中国の歴史的な主導権争いに決着が付いていないことである。急膨張する中国は長期戦略として最終的には日米同盟に楔を打ち込み、アメリカから離反した日本を従属させてアジアに軍事的経済的覇権を確立することを狙っている。これに対して日本は中国に対抗して今年小泉が「包括的経済連携構想」を提唱したが、単なる構想に留まり戦略もそれを担保する軍事力も情報力も何も持っていない。また国民的合意が形成されている訳ではなく、国論は親アメリカと親中国の間を揺れ動いている。
 このままではやがて中国の後塵を拝し、日本は世界史的民族としての歴史的使命を終えて没落しかねない。だがアメリカは中国の急台頭を睨んで「中国封じ込め」戦略へ一大転換し、日本にその同盟的助力を求めて来ている。先に述べた様に北朝鮮が始めた経済改革しろ中国の「開放・改革」政策にしろ、共産主義一党独裁体制下の資本主義化・市場経済化は背理であり、北朝鮮や中国の長期的崩壊が必至とするなら我が国はアジア外交を今こそ大転換する絶好の好機であるのである。敵対的な中国よりも友好的なアメリカが日本の国益に合致するのは言うまでもない。しかし一方日米同盟関係は純然たる防衛同盟という面と共に、旧敵国の軍事的封殺という一面も有する。純然たる防衛同盟という点も双務的ではなく片務的である。戦勝国・敗戦国という戦後固有の優劣関係もあり、また占領政策に対する恨みもある。しかしアメリカは冷戦時代を通じて一貫して憲法9条の改正を要求し、ブッシュ政権の戦略転換では日本に対して更なる軍事的貢献を求めている。
 憲法9条の改正を拒否し片務的同盟に甘んじ「小日本主義」に固執して来たのはむしろ日本の歴代政権の方である。国家間の同盟が当面する敵に対する国家利害の一致に基づくものであるならば、米中対決の趨勢がますます鮮明となるなか日本がどちらを選択すべきかは多言を要しないのである。結局アジアの興隆とそのなかにおける日本永遠の繁栄は中国の体制変更と日本の「大日本主義」への転換を不可欠の二要素とすることになる。新世紀のアジアが日本の経済展や中国の軍事的覇権の追求を唯一の誇りとして良い訳がない。それはかつて隆盛を誇った欧米帝国主義の一周遅れのランナーが丸で先頭を走って自慢している様に見えるだけのことである。
 我が国が「大日本主義」に転じ同時に中国・朝鮮半島の旧守体制が変更される時、アジアは真の歴史の曙光を迎えることになるのである。かつて明治の岡倉天心は「アジアは一つなり」と喝破した。「文明の衝突」が日々に険しくなりユダヤ、キリスト教、イスラム教の一神教文明の限界がますます露呈されるなか、これに代わる人類新文明の興隆が望まれて久しい。精神の内面的深化を通じて豊かな精神文明を育んで来たアジア文明は世界救済の道標たり得る可能性をますます秘めているのである。
インドの文明、中国の文明もかの地で絶滅し却って日本に流れ来たってかつて悠遠な日本文明を形成した。そのうえ近代に入って流れ来る欧米文明をも摂取して日本文明は世界文明となった。だとするなら世界文明を如実に体現する日本は世界文明の向かうべき方向を指示し、世界発展の牛耳を執るのでなければならない。近代は西欧キリスト教文明と白人覇権五百年の歴史であったが、これを大転換せしめ諸人種と諸文明共存の現代新世界を切り開いていくことは世界文明を如実に体現する日本に課せられた使命なのである。遙か未来の一点に中国の崩壊とアメリカの衰退を同時に凝視し、その彼方に日本永遠の使命を見据えなければならない。戦前はアジアの政治的独立のために奮闘し、戦後はアジアの経済的自立のために貢献して来た。これから未来はアジアの文明的興隆のために、世界人類の発展のために日本は働かなければならないのである。



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