新民族主義運動の
綱領的諸問題の再整理のために

平成14年02月

 昨年は内外とも激しく揺れたまさに激動の一年であった。即ち、アメリカで政経のど真ん中を襲う同時テロが勃発、報復に立ち上がったアメリカは年末までにアフガニスタンを攻略してタリバン政権を崩壊させたが、しかし一方このテロ事件の根因をなすとも言うべき中東パレスチナではイスラエルとアラブの積年の紛争がこれに触発されて再び火を吹き上げ、またアフガニスタンの隣のカシミールでもインドとパキスタンが一触即発の戦争状態に突入するなど、世界は宗教と民族を巡って冷戦崩壊以降かつてない大きな規模で大混乱に陥る様相を見せ始めた。
 国内においても政治の閉塞感がいやが上にも高まるなか異様な国民的人気に支えられて小泉政権が誕生して政変が惹起、しかし小泉の華々しい登場にも拘わらずその掲げる構造改革の是非を巡って日本支配層は真っ二つに分裂、かつてない政治の危機的状況のなかで日本経済は企業の倒産が相次ぎ失業率は記録的高率に達してデフレ色を一挙に深め文字通り第二次世界恐慌の引き金を引こうとしている。竹下退陣に始まるバブル崩壊・平成政変は十数余年の大混乱を閲して今や破滅の終章に向かって突き進んでいるとしか思いないのである。
 西紀21世紀の初年に刻印されたかかる世界大に於ける戦争と国内に於ける内乱は一体何を暗示するのか? その意味するところは極めて明瞭である。内外とも既成の秩序が腐乱して桎梏と化し、世界秩序も国内秩序も新たな発展を求めているからに他ならない。そこで今年巻頭の「今月の主張」掲載に当たり、三浦重周重遠社代表に新民族主義運動の綱領に関わる諸問題について一問一答形式でインタビューし、日本及び世界の抱える問題点とその真に進むべき方向性について聞いてみた。(重遠社総務 井上正義)


イデオロギー対立から文明の衝突へ

 1) 昨年9月11日アメリカの中枢を襲うイスラム過激派の同時テロが起こったが、あのテロ事件の本質は何だったのか。また何がどう変わったのか。
 ――――あの同時テロが世界に与えた衝撃はブッシュがいみじくも「今回のテロは戦争行為だ」と叫んだ一言に集約される。従来テロは「戦争」という概念で捉えられることはなかった。従来戦争と言えば国家がその主体であり、宣戦布告を行い戦いは戦場で行われかつその主体は国家の正規軍であった。しかし今度の同時テロの主体は国家に非らざる一過激団体で、宣戦布告もなく突然無辜の市民が暮らす都市のど真ん中に入り込んで、第二次大戦中の日本や冷戦中のソ連でも出来なかった全面戦争に匹敵する大規模破壊を行い、超大国の政治経済を瞬時に麻痺させることに成功した。国家でなくとも国家が行う正規の戦争に匹敵する大被害を与えることが出来る、これがあの同時テロの本質であろう。戦争の概念が根底から覆ったこと、その意味ではまさにブッシュが言った様に「ニューウォー」と言って良い。
 しかしテロにしろ「ニューウォー」にしろそれは飽く迄惹起した現象であって、アメリカのブッシュが言う様に「自由民主主義への挑戦」「文明への挑戦」と言って良いかとなるとそうはいえないであろう。アメリカが真犯人と名指しするイスラム原理主義者ビンラーディンは同時テロの目的をはっきりと「ユダヤ・キリスト教連合の新十字軍に対するイスラム教の聖戦」と断言しているのである。そしてこのビンラーディンの主張に共鳴するイスラム教徒がアラブを中心として世界に渦巻いている。だとするならば、アメリカの言う様にテロリズム一般に捨象化・抽象化することは決して出来ないのである。今度の事件の背景に半世紀以上に亘る中東パレスチナ紛争におけるアメリカの永年に亘る「ダブルスタンダード」が厳然としてあることは否定出来ない。
 またアメリカ自身の国家的理念と来歴がプロテスタント的価値観である「自由・平等・博愛」に立脚する世界でも特異のキリスト教原理主義であることを勘案するならば、むしろ「ユダヤ・キリスト教VSイスラム教」という構図で今度の戦争を理解しておく必要があり正解でもある。欧州、豪州のキリスト教国家がいち早くアメリカに同調し参戦の意向を明らかにし、一方アラブ・イスラム世界で一時熱狂的なテロ支持のデモンストレーションが高揚した事実こそ、このテロ・戦争が真に意味するところを如実に表している。つまりキリスト教徒、イスラム教徒の双方ともが今度のテロ・戦争を「ユダヤ・キリスト教VSイスラム教」という構図で理解したのであり、ユダヤ・キリスト教・イスラム教の二千年にも亘る過酷な戦争の歴史に鑑みれば今度のテロ・戦争の記憶は間欠的に間違いなく蘇り今後世界を揺るがして行くことになろう。「文明の衝突」という一面を忘れてはならないのである。
 2) その「文明の衝突」ですが、21世紀世界の基調となっていくのでしょうか。
 ――――周知の様に米ソ冷戦終焉とともに様々な論考が提出されてきた。まずこの問題に解を出したのが「大国の興亡」を著したP・ケネディーであった。P・ケネディーはアメリカは冷戦に勝ったが永年の過剰負担で疲弊しており、かつてイギリスが第二次世界大戦後勝つには勝ったが疲弊して覇権国の地位から転落した様に、アメリカも同様の運命を辿って行くであろうと説いた。この考えはその後のアメリカの再隆盛をみれば誤りであったことは明白である。次にF・フクヤマが「歴史の終焉」を書いて、冷戦に勝利したアメリカはイデオロギー上無敵の地位を築き、アメリカの国家理念であるリベラル・デモクラシーは世界の公論になったと説いた。これは現在のアメリカ一極主義、アメリカン・グローバリズムの隆昌をみればその通りとも言える。しかしこの楽観を戒めて最後に登場したのがアメリカの S・ハンチントンであった。
 S・ハンチントンは冷戦終焉後の世界を周知の様に「文明の衝突」として描き出した。S・ハンチントンは世界文明を西欧、中国、日本、イスラム、ヒンドゥー、スラブ、ラテンアメリカ、アフリカの八つに分類する。そして世界に「普遍的な文明」が生まれつつあるという考え方に反論し、西欧のリベラルな民主主義を普遍的なものとするのは西欧の考え方であって、他の文明圏から見ればそれは帝国主義と映るという。やがて東アジアの経済成長とイスラムの人口急増によって今後中国文明とイスラム文明の勢力が拡大し、「儒教―イスラム・コネクション」を形成して西欧に敵対する。西欧がなすべきことは、まず西欧の軍事的優位を保つこと、人権尊重と西欧的な民主主義を他の社会に強制して西欧流の政治的価値観と制度を促進すること、非西欧人の移民や難民の数を制限し西欧社会の文化的社会的民族的な優位性を守ることである、というのがその論旨である。
 アメリカのブッシュ政権はこれを下敷きにクリントン政権時代の戦略を180度転換し、中国を最大のライバルとし日本を最大の同盟国とする大胆な世界戦略転換を打ち出した。その矢先の今度の同時テロの勃発である。今度の同時テロでは中国は反テロのアメリカの立場に同調したが、それは分離独立を目指す新彊ウイグルのイスラム教徒を封殺するためのものであり、アメリカに対抗する中東・イスラムに対する接近・援助などコネクション形成の動きは今後次第に顕在化していくであろう。またビンラーディンが今度の戦争を「ユダヤ・キリスト教対イスラム教」の戦いと位置づけたことも極めて象徴的である。周知の様にハンチントンは「21世紀最初に起こるかも知れない異文明間の大規模な戦争の原因は一つの文明の中核をなす国が他の文明内の衝突に介入したためである」と言っている。
 冷戦後十年の世界を改めて鳥瞰してみると、イデオロギー的な米ソ二大陣営が大分解し各国家は自らのアイデンティティーの探求・確立に熱中する一方、旧ユーゴ紛争や今度の同時テロを含めて民族紛争・宗教紛争が頻発し、また米中対立や米露蜜月やEU拡大の様にかつての同盟関係が大胆な再編過程に入って来ていることが分かる。これは「相互依存」の世界と言うよりもむしろ「文明の衝突」の世界現象と言ってよく、世界は「文明の衝突」を繰り返しながらアメリカの衰退を睨んでやがて「ポスト覇権」の世界へ入って行くであろう。


世界史の転換へアジア共同体の建設を

 3) 欧州連合(EU)は今年から共通通貨ユーロを導入し経済統合を一層強化した。この動きを受けてアメリカは北米自由貿易協定(NAFTA)を南北アメリカに跨る米州自由貿易圏(FTAA)へ拡大しようとしており、アジアでも中国は東南アジア諸国連合(ASEAN)との自由貿易協定(FTA)締結へ向けて動き、日本もこれに対抗して通商政策を転換しこの程シンガポールと2国間の自由貿易協定を締結し更にASEANとの「包括的経済連携構想」を打ち出した。アメリカ一極主義・アメリカングローバリズムが喧伝される一方、これと裏腹な地域主義・ブロック化の動きをどう見るべきでしょうか。
 ――――自由貿易が経済学的に理想であることは言うまでもない。アメリカは戦前の排他的ブロック経済圏が戦争の引き金になったことを反省し、戦後自由貿易主義の旗印を掲げIMFーGATTO体制を主導し現在はそのあとを受けて自由貿易の守護神として世界貿易機関(WTO)がある。中国も昨年やっと加盟が認められこれから空前の中国投資ブームが起ころうとしている。しかし世界貿易機関(WTO)は規模の拡大に伴い合意形成が難しくなっており、世界はすでに世界貿易機関(WTO)での協議を待たず自由貿易協定(FTA)を多用して二国・地域間協定を締結し、自国や域内の貿易ルールをデファクト・スタンダード(世界標準)に広げることにしのぎを削っている。これが欧州連合(EU)や北米自由貿易協定(NAFTA)の結成に繋がっている最大の理由である。アジアにはこうした地域主義の動きはなかったが、昨年中国が東南アジア諸国連合(ASEAN)と自由貿易協定(FTA)締結へ向けて動き、日本もこれに対抗して通商政策を転換しこの程シンガポールと2国間の自由貿易協定を締結し、更に小泉首相は年始のASEAN訪問で「包括的経済連携構想」を打ち出した。日本、中国がそれぞれASEANとの経済連携を模索し始めたことで、中長期的には世界は欧州連合(EU)??米州自由貿易圏(FTAA)??日本・中国・韓国・ASEANを中心とする東アジア経済圏――の3つの地域経済統合が鼎立する可能性が強まってきた。
 経済的理由からはそうであるのだが、政治的にはこの地域主義の動きが先に述べた「文明の衝突」の世界観と奇妙に一致していることに注意しなければならない。各国は自らのアイデンティティーの探求に熱中する一方、同類・同型のアイデンティティーの範囲で纏まろうとしているのである。これはアメリカグローバリズムに対する反発であると同時に一面将来のアメリカ覇権の衰弱を睨んだ同盟の再編の動きでもある。その意味でまさに「文明の衝突」のメタルの裏側の現象とも言える。また人類発展史的にみると情報・交通手段の発達に伴い近代民族国家はその固有の主権を制限し敷居が段々と低くなり、必然の趨勢としてより高次の超民族的な「種的共同体」的団結へ向かおうとしており、これは「民族??種族??人類」という人類発展史段階とも論理的に整合性を持っている。だとするならこの地域主義の動き即ち民族国家を超えた「種的共同体」への世界史的動勢は不可避的であり、今後アメリカ覇権の衰弱を睨んで更なる同盟の大再編は必至となるであろう。
 我々は25年も前に重遠社創建に当たり綱領に「亜細亜種的国家連合の建設」を掲げたが、その理想が今や現実の課題となろうとしているのである。北米自由貿易協定(NAFTA)??米州自由貿易圏(FTAA)を主導しているのはアメリカ、欧州連合(EU)を主導しているのはドイツだが、問題は東アジアにおいて日本と中国の歴史的な主導権争いに決着が付いていないことである。急膨張する中国は昨年東南アジア諸国連合(ASEAN)に対し自由貿易協定(FTA)締結を提案し、将来的にはこれに日本・韓国を加えて「東アジア協力機構」の結成を企図している。所謂「元経済圏」の創出である。更に中国は長期戦略として最終的には日米同盟に楔を打ち込み、アメリカから離反した日本を従属させてアジアに軍事的経済的覇権を確立することを狙っている。これに対して日本は中国に対抗してこの程小泉が「包括的経済連携構想」を提唱したが、単なる構想に留まり戦略もそれを担保する軍事力も情報力も何もない。また国民的合意が形成されている訳ではなく、国策は親アメリカと親中国の間を揺れ動いている。このままではやがて中国の後塵を拝し、日本は世界史的民族としての歴史的使命を終えて没落しかねない。これが最大の問題である。
 4) 日本がアジア統合の牛耳を執るための戦略を伺う前に、東アジアの政治情勢について簡単に話しを伺っておきたい。
 ――――まず朝鮮半島危機の策源地である北朝鮮であるが、昨年一年を通じて一層の窮地に追い込まれた。北朝鮮はこれまで核兵器やミサイルをちらつかせながら日本を始め西側諸国から経済援助を引き出し、それを更なる軍事力の強化に転用することを常套手段としてきた。しかしアメリカでブッシュ政権が発足しこうした脅迫路線は最早通用しなくなった。特に9月11日の同時テロ以降アメリカの北朝鮮政策はますます厳しくなった。昨年11月ブッシュ政権は北朝鮮を名指しで「ならず者国家」と呼び、無条件の全面核査察を要求した。このアメリカの余りにも強硬な姿勢に驚いた北朝鮮は11月に入って大慌てで「テロ資金供与防止条約」と「人質反対国際協約」に署名し、「テロ支援国家リスト」から外すように要求したがアメリカは日本赤軍や拉致疑惑を楯に頑として拒否している。さらに下手をするとアフガニスタンの次の攻撃の標的にもされかねない情勢である。
 北朝鮮の唯一の頼みはロシアと中国だが、ロシアは同時テロを機にアメリカに擦り寄り中国もアメリカの反テロへの協調を余儀なくされとても北朝鮮への支援や協力に踏み出せる状況ではなくなっている。日本もこのアメリカの戦略転換に乗る形で北朝鮮政策を大きく変え始めた。朝鮮総連への捜索、不審船へのかつてない毅然とした対応がそれである。韓国の太陽政策はブッシュ政権の発足とともにデッドロックに乗り上げたままであるし、今年は韓国大統領選挙の年で政権交代は必至であり、太陽政策は最後的に破棄もされる。また今年は日韓共催のサッカーが開催されて再び韓国に世界の目を集まる。北朝鮮の選択し得る路はますます限られてきており、孤立を深める北朝鮮はまさに窮地に追い込まれたと言って過言ではない。
 一方中国であるが、今年は中国にとって一大転換の一年となるであろう。昨年末中国は宿願のWTO加盟を果たした。13億の市場が世界に開放される訳であるが、これによって世界のカネが中国に流れ空前の中国投資ブームが起こることは間違いない。これは中国経済の更なる飛躍へのチャンスとなる一方、一層の市場経済化・グローバル化を余儀なくされることでもあり、国有企業改革を混乱なく断行し都市部と地方の経済格差を是正し更にIT化、ハイテク化など経済構造の質的な転換に成功するか否かまずここに注視しなければならない。
 この経済の大改革が成功するか否かは政治の安定と指導力に懸かっているが、今年は秋に共産党大会が開催され指導部が一新されることになっている。江沢民が引退しその後釜に胡錦濤が昇格するというのが衆目の一致するところだが、この胡錦濤政権が安定するか否かが次の注目点である。一昨年來江沢民は「三つの代表論」を提唱し、労農の階級政党から資本家・企業家の入党も許容する国民政党への転換を唱導し政権交代に備えて来た。江沢民は胡錦濤新政権の後見人となって10年くらいは院政を敷く構えだが、問題はこの「江沢民理論・モデル」が急激に市場経済化する中国の国民に総意的に受け入れられるかであろう。イデオロギー的に相反する社会主義と市場経済を接木した「社会主義市場経済」というのは余りにも自己矛盾的なのである。
 台湾問題もこれからますます中国にとって重しとなっていくであろう。台湾併合は中国にとって国共内戦以来の政権の正統性に関わる大問題であるが、その台湾は総統選挙そして国会議員選挙を通じてますます独立化の趨勢を強めている。アメリカ始め国際社会も武力併合は断じて容認するつもりもなく、2008年には宿願であった北京五輪が開催されそれまでは実質的に武力行使は選択出来ない。中国の選択肢は一段と限られているのである。ブッシュ政権はインド、ロシアと連携を強め更にアフガン戦争を機に中央アジアにも軍事プレゼンスを置き、実質的に中国包囲網を形成し中国を取り巻く戦略環境もますます中国に不利になっている。ナショナリズムや愛国心を煽れば対外摩擦が激化し逆に何もしなければナショナリズムや愛国心は内攻化する、中国指導部は内外多事の中で政権交代を迎えることになりその舵取りはますます難しくなっているのである。
 5) では日本が中国との歴史的な主導権争いに決着が付いて東アジア経済圏の中心として、更に世界的史民族として再登場するためにはどう戦略を構築すべきか。
 ――――戦略構築の要点となるべきものは三つであろう。まず「国益」という観点である。中国とアメリカの戦略的対決がますます鮮明となる中、日本はそのどちらを選択するのか早晩決断を迫られることになる。日本は丁度30年前日中友好条約を結んで国交を正常化したが、この選択は当時強大を誇ったソ連の脅威に対抗するための両国一致の戦略的なものであった。中国はアメリカを後ろ盾と頼み日米安保同盟を容認し、日本の援助を喉から手が出るほど欲していた。しかしそのソ連が崩壊するや否や中国は明らかに反米・反日に転換し、アジアの覇権を追求し始めた。海洋戦略がそれで、日中友好はそれ以降形骸化し中国は嵩に懸かって居丈高になってきた。歴史教科書・靖国参拝・南京虐殺問題が毎年日本脅しの材料に使われ、その都度日本は中国に屈服しカネを巻き上げられてきた。到底友好国の取る態度ではない。中国の急膨張に脅威を感じ始めたアメリカはついに中国をパートナーからライバルへ戦略転換し、中国シフトを周到に敷き始めた。同盟関係にあるアメリカのこの選択は当然日本にも影響することになろう。一方日米同盟関係は純然たる防衛同盟という面と共に、旧敵国の軍事的封殺という一面も有する。純然たる防衛同盟という点も双務的ではなく片務的である。戦勝国・敗戦国という戦後固有の優劣関係もあり、また占領政策に対する恨みもある。しかしアメリカは冷戦時代を通じて一貫して憲法9条の改正を要求し、ブッシュ政権の戦略転換では日本に対して更なる軍事的貢献を求めている。憲法9条の改正を拒否し片務的同盟に甘んじ「小日本主義」に固執して来たのはむしろ日本の歴代政権の方である。同盟が当面する敵に対する国家利害の一致に基づくものであるならば、米中対決の趨勢がますます鮮明となる中日本がどちらを選択すべきかは多言を要しないのである。
 次に日本の将来の戦略を語る時、この「国益」の他に「国史」の一貫性ということにも留意しなければならない。我が国は明治維新でアジアで唯一独立主権を維持するや、爾来自国の自存自衛と共に欧米の植民地支配に呻吟するアジア諸国の解放を立国の国是として来た。日露戦争は北から南下侵略するロシアに対するアジア防衛の戦争であり、大東亜戦争は欧米の植民地支配に対するアジア諸国解放の聖戦であったのである。そのため日本は300万余の尊い犠牲者を出し、その鮮血はアジアの至る所の山河に滲んでいるのである。将来の戦略は当然こうした正しき歴史的過去を全面継承したものでなければならない。東南アジア諸国を巡って中国との確執が高まっているが、日本は歴史的正義を賭けて断じて中国の後塵を拝する様なことがあってはならない。
 第三に日本の戦略を考える場合、その要諦をなすものは「国体」であるということである。戦略は国家が生きんがための、そして正統な国際的位置を占めんがための方策である。だとするなら国家立脚の大義を礎としたものでなければならない。日本は「八紘一宇」を建国の大義とし、昭和の大戦争も「八紘一宇」の大義に立脚して「百姓昭明 万邦協和」の理想のために戦った。国家が世界史に於いて歴史を一貫する生命体であるのなら、その理想も永劫に亘って顕現されるのでなければならない。近代は西欧キリスト教文明と白人覇権五百年の歴史であったが、これを大転換せしめ諸人種と諸文明共存の現代新世界を切り開いていくことこそ日本に課せられた使命なのである。


戦後政党――小・中日本主義打倒へ

 6) 昨年小泉政権が誕生し構造改革の旗印を掲げてもうすぐ一年になろうとしていますが、改革は一向に進まず日本経済は奈落の底に落ちようとしている。また所謂抵抗勢力も頑強に抵抗している。今年は政権側と抵抗勢力の激突が政局の焦点になろうとしていますが、小泉改革の何が問題点でしょうか。
 ――――まず今叫ばれている構造改革であるが、その歴史的位置付けを明確にしておかなければならない。周知の様に1930年代の所謂資本主義の全般的危機の中、三つの改革思想が競争した。一つはニューデールでこれは自由放任主義を是正し社会国家への転換を図った。後の二つは国家社会主義と共産主義であった。国家社会主義は第二次世界大戦で敗北を喫し、共産主義も冷戦に敗れて姿を消した。一方勝ち残ったニューデール・社会国家の思想も経済の成熟と共に各国とも軒並み財政難に陥り、最早ニューデール・社会国家を維持することが困難になってきた。経済ではニューデールを否定する新古典派が、政治では小さな政府・自己責任を強調する新自由主義国家論が台頭してきた。つまりこれまでのニューデール・社会国家は経済のみならず政治論に於いても根本的な自己改革を迫られている。こうした歴史的トレンドに立脚し且つアメリカを始め構造改革に成功した国々のみが蘇生復活している現状に徴するならば、構造改革は日本に於いても不可避的となっている。したがって小泉が構造改革の旗印を掲げて登場したことには歴史的必然がある。
 しかし今叫ばれている構造改革がアメリカの実験を経たと同じものであるなら断固反対せざるを得ない。アメリカ経済はクリントンの市場主義改革によって確かに立ち直った。しかし「分裂するアメリカ」といわれる深刻な社会分裂を呈してしまったのである。国家は利益共同体ではなく民族の運命共同体である。野放図な自由競争によって運命を共同にする成員の経済生活が貧富の隔絶に引き裂かれるならば、国家は分裂し破綻に瀕してしまうことになる。自由を保障するとともに国家的統制は当然不可欠である。また国家が文化的共同体で国によって企業文化、経済風土が異なる以上、構造改革という原理、主義の導入に当たっても当然それに合致したものでなければならない。小泉の構造改革は竹中財経相の主導に見られる様に、徹頭徹尾アメリカ流の原理主義的な改革を目指し日本の企業文化、経済風土を破壊するもので断固反対しなければならない。
 それから構造改革が単に経済・財政・社会保障のみならず政治の改革を含む以上、戦後体制の抜本的改革という視点も当然不可避的である。小泉は自民党歴代政権がこれまで一貫してうやむやにしてきた憲法改正、外国人参政権付与、集団的自衛権の行使、靖国神社公式参拝などについて、いずれもはっきりとした転換姿勢を明確にした。ここに小泉政権の際立った「中日本主義」的特徴があるが、だが「首相公選制」や「女性天皇」など日本国体の根本に抵触する改革も掲げている。我が国は今広く喧伝されている様に明治維新、戦後改革に匹敵する大改革を必要としているが、明治維新は「大日本主義」的改革であるのに対し戦後改革は国体の否定を本旨とした「小日本主義」的改革であり政治的には同列に論じられないのである。小泉の政治改革が「中日本主義」的改革であるならば、その不徹底に当然断固反対していかなければならない。
 以上の様に論点を截然区別すれば小泉改革の何を問題としなければならないかが見えて来ると思う。
 7) 小泉構造改革の成否の鍵を握るのはもう一つ政界再編の行方であると思われますが、政界再編の展望についてお伺いします。
 ――――昨年小泉の登場によって自民党は存亡の危機を救われ、夏の都議選並びに参議院選挙を圧勝した。もし小泉が登場しなかったならば間違いなく自民党は政権を失っていたであろう。小泉の登場を分水嶺として二つのことが起こった。一つは窮地を脱して息を吹き返した自民党内にまたぞろ派閥という永田町の論理が復活し、小泉改革に反対する所謂抵抗勢力が蠢動し始めたこと。派閥という永田町の論理に従えば当選するはずもない小泉が総理大臣に就任し、しかも既成の利権構造に大胆に切り込む「聖域なき構造改革」の旗を掲げたため田中、竹下以来政権を壟断してきた旧勢力は恐慌状態に陥っているのである。特殊法人改革にしろ道路財源の問題にしろこれまでの政・財・官の構造的癒着を剔抉するもので、自民党の族議員どもにとっては政治生命に関わる大問題である。それ故改革論議が次第に煮詰まるとともに改革反対の狼煙を上げている。もう一つは鳩山=民主党、小沢=自由党など自民党から離党し政治改革の旗を掲げてきた野党勢力が存亡の危機に追い込まれたことである。なぜなら小泉改革政権の誕生によって、鳩山=民主党、小沢=自由党のこれまでの「改革」の大義名分が瞬時に吹き飛び、しかも「改革」の中身においても小泉改革は鳩山=民主党、小沢=自由党の「改革」を遙かに凌駕しているからである。そして存亡の根底的危機に直面するが故に、今鳩山=民主党も小沢=自由党は嵩にかかって小泉改革路線との対決を叫び出しているのである。
 これが理念や基本政策が合致した政党本来の党争であるならば政党政治の常道とも言えるが、しかしこの10年政党政治は理念無き野合に終始し到底政党としての態をなしていないのである。現在の政党はどの政党も基本的な理念において全く整頓されていない。例えば自民党は旧自由党系の「小日本主義」と旧民主党系の「中日本主義」とでは水と油ほどの差があるにもかかわらず、同じ政党に所属して政争を繰り返しているし、政権を狙う野党第一党の民主党もかつての自民党から社会党まで同居して安全保障政策一つきめられないのである。連立の枠組みをめぐっても同様で、政策的にもっとも近い小泉=自民党と小沢=自由党が敵対し、もっとも政策的に隔たっている自民党と公明党が手を組んでいるのである。その結果細川連立政権に始まって自社さ、自自、自自公、自公保と、共産党を除く全ての政党が一度は政権に参加したが、しかし一度として政治が安定した試しがないのである。議会政党は内訌・分裂を次々に繰り返し、そしてつぎつぎに新党が誕生しては消え、政党の離合集散は続き、連立政権の枠組みも猫の目の様にクルクルと変わったが、しかしついぞ政局の安定はもたらされなかったのである。
 したがって理念・基本政策の一致による政界再編が実現するか否か、今後ともここに注目しなければならない。しかし結論を先取りして言えばこれは到底無理であろう。所謂「ねじれ現象」の解消は自民党の大分裂以来すでに10余年に亘って課題となってきたが、現実の政治は派利派略、党利党略の醜態に終始しついに今日に至るも実現することがなかった。また今現在世界が要請し日本そのものの渇望が「大日本主義」的変革であるにも拘わらず、議会では相も変わらず「小日本主義」が跋扈し「中日本主義」と相争って国運の発展を妨害している様は最早政党政治が時代の桎梏と化していることの何よりの証拠と言わざるを得ない。政党の名を冠して実は派利派略、党利党略に踊る党賊どもを打倒しなければこの日本の未来は拓けないのである。
 8) 昨年アメリカで同時テロが発生、また年末に北朝鮮による不審船事件が起こり、有事法制の整備が国家喫緊の課題となっています。この問題で考えなければならないことに何があるのでしょうか。
 ――――昨年末の不審船事件を受け、政府はやっと腰を上げて今の通常国会で有事法制の整備を図ることになった。有事の基本理念や法整備の全体像を定めた「安全保障基本法」(仮称)と、防衛出動発令時に自衛隊が円滑に行動するための自衛隊法改正など関連法案の一部を一括して今国会に提出し、与党との調整を急ぎ平成14年度政府予算成立後できるだけ早い段階での成立を目指すという。また有事法制は所管が複数省庁にまたがるため、国会に特別委員会が設置される見通しである。
 これでやっと懸案の有事法制が国会審議の俎上に上ることになった。しかし国家存亡の一大事に関わる有事法制整備が何故これ程までに 迷走しなければならないのか。有事法制整備は三年も前に今の連立与党三党の政策合意で決まっていた。だが有事法制の取り扱いを巡って政府・与党は真っ二つに分裂していた。一つは日本の安全保障政策の基本理念などを明記した「安全保障基本法」制定を先行し、具体的な対応を定める「個別法」については先送りしようという立場である。もう一つは総論の安全保障基本法は先送りにして出来るところから個別に具体的な有事法制を確立して行く立場である。
 今回総論的な安全保障基本法と具体的な有事法制を一括して提出する方向となったのは、謂わば両者の中間的な立場に立った妥協の結果であるが、こうなったのも公明党が頑強に抵抗しそれに配慮した結果であった。周知の様に有事法制については自衛隊法など防衛庁所管法令の第1分類、道路法など他省庁所管の第2分類、戦争捕虜の扱いなど所管省庁が不明の第3分類があるが、公明党は  このうちの第3分類に踏み込む議論に一貫して強硬に反対している。有事法制の適用条件についても公明党は日本が侵略された場合の「防衛出動」を前提に法案審議を行うことを頑強に主張し、そのため今回は「防衛出動」時に限定して有事法制論議を行うことになった。このため結局今回の有事法制も直接憲法問題に踏み込まないことで決着が図られることになりそうなのである。
 しかしこれでは有事法制整備は全くの骨抜きとなるであろう。周知の様に現行憲法には有事・緊急事態に関する規定がない。憲法の欠缺であり欠陥憲法の見本のようなものだが、内外の安全保障が国家第一義の存立理由であるため、どこの国家も詳細な非常時規定を置き国家元首の立憲的独裁を認めている。日本の場合憲法に非常時規定がなくその憲法の欠缺を有事法制整備で埋め合わせしようとする以上、まず国家の安全保障政策の基本理念を明確にしそのうえで万般に亘る体系的で具体的な法制の整備でなければとても有事法制とは言えずいざという時に全く役に立たないであろう。
 そうすると問題は立法府の怠慢ということになる。現在政党はいくつもあるが、国家存立の基本中の基本である外交・安全保障政策を巡っては各党間の一致が全然ない。如何に戦後政党が売国的亡国的であり、戦後政党政治が分裂しているかがわかろう。政党政治がそうであるならば、最早「非常は法を知らず」の法諺通りに行動するより他はないであろう。


台頭するナショナリズムを大日本主義へ

 9) 鳴り物入りで憲法調査会が設置されてからもう三年になりますが、議論だけで一向に改正への具体的動きがありません。国家の大本とも言うべき憲法問題に対する考え方をお教え下さい。
 ――――確かに言われた様に議会に憲法調査会が設置されてからもう三年になるが、議論ばかりで一向に改正への具体的動きがない。しかし議会の外に目を移すと各種の世論調査では常に改憲派が過半数を超えて最近では6、7割を優に超えており、特に目立つのは若年層ほど改憲に積極的だという結果である。国家の危機の深まりとともに、ナショナリズムは確実に急台頭しているのである。そしてこの急台頭するナショナリズムには三つの特徴点がある。第一に議会の外、第二に既成政党とは全く無縁だということ、そして第三は若年層ほど顕著だということである。これは何を意味しているのか。大要すれば次の二つであろう。一つは急台頭している新しいナショナリズムは、戦後デモクラシーに明らさまな不信と嫌悪を示しているということ。もう一つは議会政党の不作為に対する明確なプロテストということである。
 まず前者だが、現行憲法の骨格を為すのは言うまでもなく戦後デモクラシーである。憲法の要件として第一に挙げられるのはその憲法がその国の歴史・伝統・文化に立脚しているかということがある。もしその国の歴史・伝統・文化に立脚していないならば、その憲法は権威も正当性も持ち得ずやがて廃絶を免れないからである。この点我が国は三千年の歴史に徴し伝来固有の天皇統治の観念を近代立憲的に再確立して、「大権統治」という立憲制度を明治維新において確立した。しかしこれが敗戦―占領によって全否定され、天皇を統治から疎外したアメリカ流の共和憲法を押し付けられた。この戦後デモクラシー=象徴天皇制は最高と揚言され万能と称賛された来たが、しかしその現実的結果はどうであったか。選挙をやればやるほど政治はだんだん良くなると言う戦後デモクラシーの理想は今や完全な幻想と化し、この10年を見ても明らかな様に選挙のたびごとに政治はだんだん悪化の一途を辿り、戦後デモクラシーを信じた報いは禍いとなって今や国は滅びようとしているのである。戦後デモクラシーの理想が幻想と化すとともに、現実の政治が腐敗を深める度に若者を中心として改憲派が急増してきているのである。
 次に議会政党の不作為ということだが、これは急増する改憲派に何を教えるのか。そもそも憲法が元来予定する改正権者は議会と国民である。憲法96条は「三分の二以上の多数で国会が発議し、国民投票の過半数で承認」と定めている。しかし現在の様に国民の大多数が憲法改正を圧倒的に支持しているのに、発議権を持つ議会がサボタージュしている場合どうなるのか。正常な立憲国の場合なら議会が民意を反映していないという結論で片付くであろう。しかし我が国の戦後憲法の場合、国際的に禁止された占領期間中に憲法改正されかつ新憲法は旧憲法の改正可能範囲を逸脱しており、国際法的にも国内法的にも全く正当性をもたないのである。だとするならば不正な憲法つまり悪法を改変するのに、そもそも憲法九六条の改正手続規定を踏む必要があるのか?そんなことはないのである。不正な憲法を改変するのに、その不正な憲法が定めた改正手続規定によらなければならないというのは明らかに背理と言わざるを得ない。議会が亡国政党の跋扈する所と化しそのサボタージュによって最早立憲的改憲が不可能となっている今日、超憲法的改憲によってしかこの日本の惨状を救う路はないのである。全ての憲法は何者かの政治的決断行為をもって制定される。現行占領憲法はマッカサーの政治的決断行為によって制定され、明治憲法といえども七〇〇年に亘る幕府武力専権体制を打倒した明治大帝の決断行為の所産による。ならば国家が危急存亡の危機にある今、有意者は自ら起って国家と民族の新しい未来の為新しい憲法を決断しなければならないのである。
 10) 最後にもう一つ伺います。若者を中心にナショナリズムが急台頭して来ているなか、国家主義運動は何を旗印として進むべきでしょうか。
 ――――まず冷戦崩壊以降のこの10年の国家主義運動を総括するならば「沈黙の10年」と言う他ない。冷戦が崩壊し国内においても55年体制が瓦解し、「失われた10年」と呼ばれる今日にまで及ぶ大激動、大混乱が始まったが、しかし戦後国家主義運動はこの大情勢に全く歯牙もかけえなかった。何故か。戦後国家主義運動の主流をなした「反共主義」も「同伴主義」も共に破産し、その歴史的使命を終えていたからである。「反共主義」は東西冷戦時代は確かに有効であった。共産主義が国内において猖獗を極め、対外的にもソ連、中国、北朝鮮が同盟して日本侵略を狙う危機的状況下ではこれしかなかったとも言えよう。しかし冷戦がソ連崩壊をもって終焉し、国内の共産主義運動が水をひくように凋落していくなかで最早歴史的使命を完全に終えたのである。同じ様に「同伴主義」も左右が鋭く対立していた55年体制下で、自民党が保守統一戦線党として一手に左翼を引き受けていた時代では有効であった。しかし55年体制が崩壊し保守統一戦線党としての自民党が大分裂した時から破産を宣告されたのである。自民党は最早唯一の保守党でもなければ況や国体党でもない。党内にはリベラル派が蟠踞し、その他の過半はカネとポストに汲々とする理想も信念もない猟官と利権の党閥・党賊でしかない。まして公明党と連立を組みその言いなりになっている現状では、陳情も請願も意味をなさないのである。
 だとするならば国家主義運動の新しい旗印は何か。それは「維新革命主義」以外にはないのである。「維新革命主義」とは伝来固有の国体に立脚し、腐敗議会政党をも含む戦後占領体制打倒を目指す立場である。拠って起つべき思想は国体思想、国体原理であり、打倒すべきは戦後国家なのである。戦後デモクラシーを奉戴し戦後占領体制の主柱をなす戦後議会政党こそ眞の敵なのである。この打倒すべき敵と手を取り合って「同伴」してきたから戦後国家主義運動はその持てる戦闘力を発揮できず「沈黙の10年」を強いられてきたのである。この10年で政治、経済、財政、社会道徳の悉くが崩壊し、今や祖国日本は存亡の岐路に立っている。その一切の根因は議会政党が占領憲法を改正せず、国家の向かうべき大道を指し示さなかったからである。だとするならば救国の道は唯一つ、議会政党を打倒し占領憲法を改正すること以外にはないのである。
 先程も述べた様に、各種の世論調査では常に改憲派が過半数を超えておりとりわけ若者を中心にナショナリズムが急台頭して来ている。国家の危機の深まりとともに国家的自覚が芽生えてナショナリズムは巨大なうねりとなっている。これは今や議会政党政治を全否定し、かつ議会内の「小日本主義」「中日本主義」をも完全に乗り越えているのである。この急台頭する新しいナショナリズムに向かうべき正しい方向を与えなければならない。正しい方向とは「大日本主義」であり、その手段は「維新革命主義」である。今こそ「大日本主義」「維新革命主義」の旗幟を翻し、祖国再建に向け興国派の大奔流を創り出さなければならないのである。


「新民族主義」は三浦重周氏の師弟によって運営されております。