小泉政権が発足してから早一ヶ月が経過した。発足時の記録的な支持率は一月経った現在もなお続いており、いずれも90パーセントに迫る人気を保持している。5月の「今月の主張」で述べた様に、小泉政権の本質は戦後初の「中日本主義」政権であり、「中日本主義」が目下世界の要請であり日本そのものの渇望である以上、一定の大衆的支持と熱狂はむしろ当然のことなのである。そして小泉政権が「中日本主義」のポピョリズムに流れる中、「大日本主義」の立場に立つ我々は「中日本主義」派の路線と政策との差異、特に構造改革、日米同盟、首相公選制の三点でその違いを明らかにしてゆく必要性を指摘し強調しておいた。政権発足から一月でまだ何らの見るべき成果はないが、それでもその相貌 らしきものが次第に見えてきた。「首相公選制」の問題点については後で詳述するとして、まず看板の「構造改革」は特定道路財源に切り込み特殊法人の見直しに着手し、予算も国債30兆の枠内で編成しようとするなど公約の実現に取り組み始めた。しかしそれが更に進んでアメリカ流の原理主義的構造改革に邁進するならば断固反対しなければならないのである。「日米同盟」でも歴代政権で初めて集団的自衛権の「公海上」での行使を容認する姿勢を明確にし、そのため憲法解釈変更を示唆している。しかしそれが更に進んでアメリカの世界戦略に一方的に奉仕する従属同盟であるならば同じく断固反対しなければならないのである。
一方、懸念された通り真紀子外相は就任以来「親中反米」の姿勢を特化しており、内閣の「日米同盟基軸」とは早くも乖離を露呈し始め様々な問題を惹起し始めている。田中真紀子の確信犯的な「小日本主義」的思想傾向はいずれ必ず閣内不一致を惹起することになろうから、新政権の命運を占う上でこのところに引き続き注目してゆく必要がある。
さて小泉「中日本主義」政権は就任以来「首相公選制」を唱え、この一点に限った憲法改正を提唱している。またこれと連動するかの様に、ここに来て「女性天皇」を認める皇室典範改正が与党内で急浮上してもいる。既に「行雲流水」で注意を喚起しておいた様に、これらは日本国体の根幹に抵触する一大問題であり、小泉「中日本主義」政権が何を目指そうとしているのか、その本質を余す所なく如実に明らかにしつつある。敢えて言うなら前者は共和革命を、後者は天皇制の無化を画策するものであり、その根は通底一致しているのである。「普通の国」を目指す「中日本主義」と「偉大なる日本」を目標とする我々「大日本主義」との決定的な差は早くも明らかになったのである。
首相公選制に反対する
昨今政治不信の高まりとともに、首相公選論の導入を求める声が急速に高まっている。小泉も首相就任の第一声で首相公選制導入の一点に限った憲法改正を提唱している。政界では中曽根がその首唱者として夙に有名である。いずれも伝統的保守派であり、そのため「伝統的保守派=首相公選制賛成」の世論すら形成されようとしているのである。しかしこの問題こそ「普通の国」を目指す中曽根、小泉の「中日本主義」と「偉大なる日本」を目指す我々「大日本主義」の差異が最も鮮明になる訣別点なのである。
首相公選制賛成の論者はその理由を次のように列挙する。
まず第一に、最早国会を通じた民意の統合は不可能であり、新しい民意統合のための制度としては首相公選制しかない。つまり、かつて民意統合の機能をはたした国会は大衆民主主義の進展とともに多様な民意を統合出来なくなり、議員も利益集団の利害調整の役割を果たすだけになり、国会は最早国民の意思を統合する場ではなくなった。これに代わるものとしては国民一人一人が直接国政上のリーダーを選ぶ選挙に参加する方法しかない。首相公選制によって国民の意思が直接反映されるだけでなく、参加する国民も政治への参加意識や責任意識が高まり政治的無関心や疎外意識も解消される。
第二に、これまでの派閥政治や族議員政治の悪しき弊害が解消される。即ち首相を国民が直接選ぶことになるため、今までの様に党内の派閥力学に通じ派閥抗争に勝ち抜いた者だけが首相になるという弊害が除かれる。首相になるためには国民の信託を受け得る政治家であることが第一の要件になるから、その結果派閥もその使命を徐徐に終えてなくなる。また政治家と官僚の癒着もなくなるから、族議員が跋扈することもなくなり利権の独占から生ずる政治腐敗もなくなる。
第三に、公選の首相は強力な政治的リーダーシップを発揮することが出来る。現在の議院内閣制では首相が派閥の均衡の上に立っていることによって、その地位が不安定であり長期的な計画を立案したり遂行することが出来ない。首相が国民投票によって選ばれ一定の任期を保証された安定した地位を確保できるならば、首相はこれまでのように派閥間の利害調整にとらわれることなく国家全体に対する政策を断行できるようになる。
第四に、首相公選制になれば野党も国政に対する責任意識を持つようになる。現在の議院内閣制では首相を選出する余地が野党になく、その結果野党には国政に対する責任意識がなくなっている。しかし首相公選制になればある一定の推薦人が集まれば野党でも立候補が可能になり、国民にその政策を問うチャンスが生まれ政権獲得の可能性も出てくるから、必然的に国民に対する責任意識も昂揚することになる。
最後に国民の間から広く有為な人材が発掘される。議院内閣制においては首相は国会議員の中からしか選ばれないが、首相公選制を採用すれば立候補者は国会議員に限られず県知事、県会議員その他民間の中からも立候補出来ることになり有能有為の人材が発掘される。
このように良いことずくめなのだが、果たして首相公選制は現在の行き詰まった議院内閣制に代替する万能の妙策なのであろう? その答えははっきり否と言わなければならないのである。
まず第一に、君主制の国家で首相公選制を導入すれば、公選の首相は実質的に大統領と同じ機能と権能を担うことにならざるを得ず、天皇の御存在は今以上に希薄化し究極的には無用論が台頭することになる。また、天皇と大統領の併存はかつての朝・幕関係が正にそうであったように、必ず対立・摩擦を招来し伝来固有の国体を毀損するに至る。首相公選制は実質的な大統領制=共和制を日本に持ち込もうとするもので、必ず国体の変革に繋がるのである。現に首相公選制の首唱者の中曽根は「天皇は歴史、文化、伝統の権威の保持者で首相は権力の保持者。かつての天皇と幕府との関係と同じで、天皇制との矛盾はない」と言っているではないか。「天皇は歴史、文化、伝統の権威の保持者で首相は権力の保持者」というのは現在の制度が議院内閣制だからであって、これを首相公選制に転換すれば公選の首相は必ず実質的に大統領と同じ機能と権能を担うことにならざるを得ず、天皇制との間に必ず根本的な矛盾をきたすことになる。日本史を見ても明らかな様に、鎌倉幕府が出来るまでは武士と雖も天皇の統帥権に服従していたが、一旦政権を奪取し幕府を創った後は天皇の命に服せず、事ごとに朝廷を圧迫して自由自在に皇位を動かして大統領として振る舞ったではないか。「天皇制との矛盾はない」どころか、幕府政治700年は承久、元弘の変、南北朝、幕末維新運動と対立・摩擦の連続だったではないか。
第二に、首相公選制は首相と議会の衝突を惹起し、国政の混乱や停頓をもたらす危険がある。首相を当選させた政党が必ずしも国会において多数を占めるとは限らず、その場合は首相と国会が常に対立し国政の重大な停頓を招来する危険がある。例えば首相公選制を導入したイスラエルは首相と国会が常に対立して国政の混乱を惹起しているし、台湾の陳政権は少数与党の悲哀をかこってこの一年何らの政績をも挙げられず、これまた国政の混乱を惹起している。首相公選制が必ずしも対外的な強力なリーダーシップを保証するとは限らないのである。むしろアメリカも一時苦悩したように、首相と議会の対立による国政の混乱の危険は大統領制に固有の固疾とさえ言えるのである。
第三に首相公選制が派閥の弊害を解消できるというのは、純然たる幻想に過ぎない。首相公選制も結局政党を基盤として選挙が行われる訳だから、候補者の選定選出にあたっては必然的に派閥の影響力が生ずる。むしろ所属政党からは一名しか候補者を出せず、例えば今の自民党を考えてみれば分かる様に自民党の候補者=当選となる訳だから、その指名を獲得するため派利派略、派閥抗争が激化し却って派閥の弊害が拡張するおそれさえあるのである。
第四に、首相公選制になれば国民の参加意識が高まり政治不信が解消され、強力なリーダーシップを発揮できるというのは正に本末転倒という他ない。国会が最早国民の意思を統合する場ではなくなり、単に利益集団の利害調整の役割を果たすだけになったのは、政治家に国家意識が欠如し理念や基本政策もないまま私利私欲に走って、派利派略、党利党略に狂奔してきた結果ではないか。今日の政治不信、政治的無関心もここに根本の原因があり、その根本のところを政治家や政党が何らの反省もしないで、制度だけを変えても結果は同じことになろう。公選制に参加する国民も政治への参加意識や責任意識が高まり政治的無関心や疎外意識も解消される。
第五に、首相公選制は人格不適任が選出される可能性があり、首相独裁化の危険と隣合わせだということを指摘しなければならない。国民が直接首相を選出する場合、単なる人気投票に陥り一国の宰相としてふさわしくない人物が選出される可能性が非常に高い。首相公選論者はその歯止めとして一定数の推薦人制度を提唱している。かつての「ノック・青島旋風」のような衆愚政治にはならないということを言いたいのだろうが、果たしてそうか。これまでの自民党の総裁選でも一定数の推薦人を必要としているが、選出される総裁=首相は過去の例をみても明らかなように、みんな暗愚の凡相ばかりだったではないか。またワイマール憲法下のヒットラーの例や南米諸国の直接選挙制度下の大統領独裁化などにみられるように、首相公選制は独裁制をもたらす危険がある。しかもこれには何の歯止めがないのである。
こうみてきて明らかなように、首相公選制は導入論者が大騒ぎするほどには何らのメリットもないのである。結局、首相公選論はアメリカの制度の模倣であり、制度信仰の愚策でしかない。国家はそれぞれ依って立つ政治文化を異にしており、他国の制度を模倣導入したからといって忽ち政績が挙がるというものではない。伝来固有の政治文化に立脚した政治制度であって、初めて地に着いた政治が可能となり政績が挙がるのである。むしろ戦後デモクラシーが今みるように惨状を呈し破産したのは、この伝来固有の政治文化を全否定して欧米の政党政治を模倣した結果に他ならない。それを再び本末転倒して首相公選制を導入しようというのは狂気の沙汰という他ない。総じて言うなら、首相公選制は破産した戦後デモクラシーを彌縫するために天皇制の一層の無化を画策するものであり、特に首相公選制反対の第一の理由は強調されなければならない。
我々「大日本主義」の首相公選制に対する回答は、首相公選制による破産した戦後デモクラシーの彌縫を断固許さず、戦後デモクラシーを打倒し近代立憲政治の原点=君民共治の日本国体の本則にもう一度返ることなのである。
皇室典範の改悪に反対する
自民党は先月、皇室制度について定めた基本法である皇室典範について、女性の皇位継承権や本人の意思による天皇の退位を認める方向で改正を検討する方針を固めた。小泉首相(自民党総裁)が総裁直属機関として党内に設置した「国家戦略本部」(本部長=小泉総裁)で近く検討を開始するという。この間の事情を報じた読売新聞の特報は以下の様に報じている。
現在の皇室典範は、一九四七年一月十六日に公布され、同年五月三日に現行憲法と同時に施行された。第一章の「皇位継承」の第一条で「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」と規定し、女性天皇を否定している。また、第四条では「天皇が崩じたときは、皇嗣(こうし)が直ちに即位する」と定め、本人の意思による天皇退位はできないことになっている。これらの規定について、小泉首相は九五年の自民党総裁選に出馬した際、「私は女性が天皇になるのは悪くないと思う。皇室典範はいつ改正してもいい。必ずしも男子直系にはこだわらない」との考えを表明。また、国家戦略本部の本部長代理を務める山崎幹事長は「最近の男女共同参画社会を考えれば女性天皇は認められていい」「基本的人権(職業選択の自由)を天皇にも認めるべきではないか」などと主張しており、同様の考えは党内にも少なくない。山崎氏の主張については、公明党の神崎代表、保守党の扇党首も六日のテレビ番組で「女性天皇を認めるのも男女同権という意味で賛成だ」(神崎氏)と賛同する考えを示した。
野党でも、民主党の鳩山代表が同番組の中で「女性天皇」実現のための皇室典範改正に賛意を表明した。社民党も先月十九日、皇太子妃雅子さまにご懐妊の兆候が確認されたことを契機に、男女平等の見地から「女性天皇」の可能性を探ろうと、皇室典範改正を視野に入れた党内論議を始めた。与野党内に皇室典範改正の機運が出てきたことを踏まえ、自民党は「国家戦略本部で憲法改正を協議する中で、同時に皇室典範の改正も話し合いたい。大切な問題だけに早急に結論を出すよりも、まずは国民的議論に発展させ、改正への機運を高めたい」(幹部)としている。
以上が読売の記事であるが、これは天皇制の根幹を揺るがす極めて重要な問題を孕んでいる。論点を摘記しておきたい。
まず、皇室典範「改正」の理由が余りにも不敬にして無礼千万である点である。「男女参画社会」だから、「男女同権」だからという理由は、万世一系三千年の日本国体の本義を全く弁えない暴論で、日本天皇を諸外国の「キング」と同列にしか見ていないのである。敢えて揚言するなら、日本天皇の本義は「明御神(あきつかみ)天皇( すめらみこと)」、即ち国祖の直系であり国祖の精神を如実に現在まで護持し賜う天皇を神として仰ぎ国家の不易の中心として奉るということにある。この本旨を踏まえないで「男女参画社会」だから、「男女同権」だからという理由で「改正」を安易に議論することには断じて組みする訳にはいかないのである。歴史上確かに10代8人の女性天皇が即位された。しかしその実体は、推古、持統、孝謙朝は日本国体が最も鮮明に光輝した時代であり、その他は逆に幕府全盛で日本国体が最も落とし込められた時代であったのである。戦後占領憲法によって日本国体が最も落とし込められた今の時代に、女性天皇を敢えて認めることは極めて不謹慎な議論と断ぜざるを得ない。
次に、この「改正」の動きが小泉の首相公選論の憲法改正と連動しているのでないかという疑惑である。この「改正」議論の火付け役が小泉であり、その小泉は首相公選論の首唱者でもある。先に述べた様に、首相公選論は破産した戦後デモクラシーを彌縫するため大統領制を導入しようとする企みで、実質的に君主制の全否定に繋がるのである。この首相公選制と「女帝」「自らの退位を認める」という皇室典範「改正」が結び付けば、その結論は極めて明瞭である。公選の首相は天皇と並び立つ権威と権力を独占するだけに止まらず、更に政権党の都合で自ら御し易い天皇を自由自在に作り出すことが可能となるのである。戦後占領憲法によって「象徴」にまで無化された天皇制はその「象徴」の実体すら公選の首相に握られることになる。歴史上「女帝」「自らの退位を認める」天皇が最も多く輩出したのは江戸時代であり、幕府は自らに都合のよい天皇を作り出すため朝廷を脅迫して、「女帝」「自らの退位を認める」天皇を自由自在に作り出したことを断じて忘れてはならない。
第三は、君主制の国体においては皇室典範はそもそも国法とは別の法体系に属する皇室の自律法であるべきで、本来皇室の自律に委ねるのが筋だという点である。明治の法制では「典憲」と称された様に、国務法と宮務法とは厳然と区別され且つ終極において天皇に帰一していた。国民が宮務法に容喙することは僭越とされたのである。しかしここのところが敗戦後の占領軍改革で滅茶苦茶にされたのである。占領憲法上「天皇は統治大権を保有せず、精神的道徳的文化的中心として政治権力作用を超越した地位」に立たれることになったが、しかし一方天皇の地位を定める皇室典範は一般の法律と同じになり、その結果天皇の地位は法律上の地位にまで引き下げられてしまったのである。これは現行憲法の内包する重大な矛盾といわなければならない。そしてこの矛盾をつけ込んで、今皇室典範「改正」が公然と画策されようとしているのである。「皇位継承事項」を憲法改正の手続きによらず、一般法律の改正手続き即ち単純多数決で改変することは、現行憲法それ自体に照らしても「政治を超越した皇位」を政治問題として国会の論議に委ねることであってまさに背理といわねばならない。皇室典範改正を議論する前に、まず国務法と宮務法の分別ははっきりとしなければならず、本来憲法改正で国体規定を復権するとともに皇室の自律をも保証すべきなのである。ここのところを無視した皇室典範の「改正」は時期尚早と言わざるを得ないのである。
第四に、「女性天皇」にまつわる固有の問題についても疑念を払拭できないのである。なぜ「女性天皇」が明治の皇室典範において排除されたのかと言えば、単に男尊女卑の時代風潮だけが理由であった訳ではない。女性天皇が即位され結婚されて皇子が降誕されるとその皇子が次に即位されることになるが、その皇子はどうしても父方の「子」というイメージを払拭しきれないからであった。男女同権の今の世においてもこの固有の問題を果たしてクリアーできるのか? 女性天皇は確かに10代8人いた。しかしそのどの天皇も皇族と結婚されているか、あるいは臨時的なご存在で未婚であったのであり、この固有の問題をクリアーしていたからこそ是認されたのである。
最後に、「万世一系」ということを今一度真剣に吟味すべきである。歴代皇統は代を継いで連綿125代に及んでいるが、決して「万世直系」であった訳ではない。古くは継体天皇の様に皇統断絶の危機に直面し「応神天皇五世の孫」を迎えて即位した例や、南北朝の動乱のように「一天二統」という時代もあった。決して「万世直系」であった訳ではないが、しかし歴代皇統は国祖の直系として国祖の精神を如実に護持されてきたのである。皇位の核心はこの様に「万世一系」なのである。だとするならば、「直系」に固執しこのように問題のある「女性天皇」を無理して即位させるより、男系の世襲を基本とする古くからの伝統を守る方がよいのである。今現在宮家は多く存在し皇男系も多く、決して皇統断絶の危機に直面している訳ではないのである。「開かれた皇室」をスローガンとした国体の変革に対しては、断固たる闘争を貫徹しなければならない。
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