戦略なき外交――日米・日露首脳会談批判

平成13年4月1日

 退陣表明をした森首相だが、既定の日程通り3月19日に日米首脳会談、ついで翌週の25日には日露首脳会談を行った。退陣が決まっている首相がアメリカ、ロシアのような大国と首脳会談を行うというのは、極めて異例かつ僭越な話で案の定日米、日露それぞれの首脳会談では何ら見るべき成果がなかったばかりか、逆に大国の熾烈な戦略に翻弄されてただ国益を毀損するだけに終わった。亡国派の文字通りの亡国外交その極に達したと言うべきであり、その責は厳しく断罪されねばならない。
 まず19日に行われた日米首脳会談だが、重要なポイントは二つである。まず一つは「日米同盟強化」を再確認した点である。
 日米共同声明は冒頭で日米関係について「友情、相互信頼及び民主主義という共通の価値観に基づくもの」「アジア太平洋地域の平和と安定の礎」などとその重要さを位置づけ、日米安保協力について森首相は会談で「有事法制」の検討に着手したことをアメリカ側に説明した。前のクリントン政権が「中国偏重 日本軽視」の外交戦略を採っていたことを考えれば確かに明らかな違いであり、今後の日米関係を展望するうえで大きな意味を持つことは間違い無いであろう。更に対北朝鮮政策について、日本の首相として初めて「日本人拉致疑惑」に言及し「避けて通れない問題」として両国共通の問題とした点も評価して良いであろう。これもクリントン政権時代、悉く日本の頭越しに対北朝鮮政策が決定されていたことを考えれば一定の前進と言える。
 しかしこれらはいわば瑣末な問題であり、最大の問題はブッシュ共和党政権の戦略転換に即応して、日本側から積極的に「集団的自衛権の行使」の問題を持ち出さなかったことである。
 前号、前々号でも述べた様に、我が国は今岐路に立っているのである。戦後これまで積み上げてきた日本外交は、東西冷戦の終焉という世界史的激動を受けて日米関係、日中関係そして日露関係も悉く破産に逢着し、冷戦終焉という新たな世界史的局面に対応した新たな外交戦略の構築を要請されているのである。冷戦終焉とほぼ軌を一にして発足したクリントン政権は覇権国アメリカ自身の将来展望を自ら描くことが出来ず、ほぼこの十年世界を混乱の極に陥れてきたが、新たに登場したブッシュ共和党政権は冷戦崩壊後の世界史的世界に一つの明確な解を出そうとしているのである。
 ブッシュ共和党政権の戦略転換のテキストとなっている「アーミテージ報告」に謳われているように、アメリカが我が国に対し「日米同盟強化」という命題の下、我が国に「憲法改正」「集団的自衛権の行使」を要請するということは、戦勝国自らが封印してきた「ポツダム的弱体化」を解くということであり、我が国にとっては戦後的呪縛からの解放を意味するのである。敗戦国の一般的命運に照らしてこれが何を意味するか、国家の指導者なら当然知悉すべきことであろう。だとするならば、ブッシュ政権の発足に合わせて初めて行われた今回の日米首脳会談では日本自らアメリカの戦略転換に積極的に応諾し、冷戦崩壊後の世界史的世界における日本自らの将来展望を戦略的に確立すべきであったのである。それを「有事法制」の検討着手なんぞでお茶を濁すとは全く戦略眼を欠いた場当たり外交としか言えようがない。そもそも「有事法制」は当たり前のことで、北朝鮮工作船事件から二年も経ってやっと法制化に着手というのはあまりにも能天気という他ないのである。
 もう一つ、経済問題でアメリカから「不良債権問題の処理」「構造改革」を国際公約として突きつけられた点であるが、これもまさに我が国の恥を満天下に曝したも同然の罪で、外交以前の問題であろう。この十年、正に「失われた十年」と言われてきたように、我が国は経済という純然たる内政問題を自ら解決出来ず、世界から指弾を浴び続けついには笑い者になってきたのである。「不良債権問題の処理」「構造改革」も本来日本自らが血を流してでも解決すべき純然たる国内問題で、それを首脳会談でアメリカ側から国際公約として突きつけられるというのはまさに国家の屈辱以外の何物でもない。この十年、政治は混乱に次ぐ混乱を極め一度として実効的な経済対策を打ち出すことができなかった。政治の混乱が経済の混迷の原因をなしてきたのであり、経済混迷の責は挙げて政治の混乱に帰すのである。
 さて、森首相は「半年で不良債権問題の処理」を国際公約したが、後継総理さえ決定できない現状で果たしてこんな国際公約の実現が可能なのか。「不良債権問題の処理」「構造改革」はこれまでの自民党の「利益誘導政治」と真っ向衝突することになるし、「緊急経済対策」のような小手先の対応では「不良債権問題の処理」「構造改革」も実現しよう筈がないのである。そしてもし半年後具体的な成果がでなかった時、日本経済はもう一段の泥沼的不況に喘ぐことになるばかりか、アメリカの期待は失望へと反転し日本は国際的窮地に追い込まれることになるのである。「経済敗戦」の現状を招来した原因も畢竟一時のバブル景況に有頂天になり、世界史的世界経営の戦略眼を欠落した戦後日本の「小日本主義」の姑息な心根にあるのである。結局、問題は「小日本主義」の呪縛から脱却出来ない我が国の内政問題に帰着する。退陣必至の死に体の首相が首脳会談に出ること自体国家の恥辱に他ならないうえ、後継総理さえ決定できない連立政権の無能が全ての悪因をなしていることを肝に銘じなければならない。「小日本主義」との対決はいよいよ喫緊の課題になっているのである。
 一方、イルクーツクで行われた日露首脳会談はプーチンにいいように手玉にとられ、惨憺たる結果に終わった。「2000年までに平和条約締結」というクラスノヤルスク合意を達成出来ないどころか、半世紀も前の「日ソ共同宣言」を領土交渉の出発点に設定することを確認してしまったのである。とんでもない大失態で、外務当局の罪責は厳しく糾弾されなければならない。
 大失態を演じたそもそもの原因は、外務当局がこれまでの「四島一括返還論」の原則を取り下げ、最初から「二島先行返還論」で対ソ交渉に臨んだ点である。政府は今回の首脳会談にあたり、歯舞、色丹二島の返還を明記した「日ソ共同宣言」の有効性を確認することで二島の返還を先行し、今後の領土交渉の対象を択捉、国後二島に絞るという「二島先行返還論」をもちだして交渉にあたった。
 この背景には、「強いロシア」の復権を掲げるプーチン相手に「四島一括返還」を真っ向から主張しても土台無理とふんで、自ら要求を引き下げ「まず、取れる島から取っていく」という方針転換があった。そして「四島一括返還論」というこれまでの日本側の基本路線を強引にねじ曲げた張本人こそ誰あらぬ鈴木宗男に他ならなかった。鈴木宗男はロシアに足繁く通いロシア利権の独占に狂奔する一方、外務当局の「四島一括返還論」派をパージして「二島先行返還論」派を主導し、今回の首脳会談でも森に同伴し実質的に日ソ交渉を背後で取り仕切っていたのである。

 その結果、この日本側の足並みの乱れがロシアにつけ込まれることになり、逆に「日ソ共同宣言」を今後の交渉の出発点に設定することを確認させられる羽目になったのである。昭和32年の「日ソ共同宣言」はすでに両国が批准して法的に発効している公式文書であり、これを今後の交渉の出発点とすることは半世紀近くも前の段階に交渉を逆戻りさせることを意味する。ロシア側は早くも「日ソ共同宣言の有効性確認がただちに歯舞、色丹二島の返還にはつながらない」との従来の立場を頑なに主張して日本を牽制している。更に「2000年までに平和条約締結に全力を尽くす」としたクラスノヤルスク合意に替わる新たな交渉期限を設定することも出来なかったことから交渉の長期化も避けられなくなった。そうなると今後は「四島」どころか「二島」返還を巡って、延々と無益な交渉を強いられることになるのは必至となろう。
 「二島先行返還論」をウラで画策した鈴木宗男、それを容認し二重外交を招いた河野外相、そして実質上退陣に追い込まれ死に体状態にあるなかでのこのことあえて交渉に臨んだ森、全てはこの売国奴三人が責めを負わなければならないのである。そもそも大分解し経済再建もままならず弱体化の著しいロシアを相手にどうして日本自ら要求を引き下げなければならないのか?プーチンの「強い大国」復活もソ連往時への単なる郷愁でしかなく、国内向けの虚勢でしかないことは最早国際政治の常識ではないか。「まず、取れる島から取っていく」という方針転換は結局「一つも取れない」という振り出しに戻ったのである。 弱体化したロシアは日本からの経済支援をのどから手が出るほど欲しがっており、また大国の矜持をかけてアジア・太平洋における発言力強化に躍起となっている。先の韓国訪問、今回の日露首脳会談、そして7月の中露首脳会談はすべてこのラインに位置している。しかし、プーチンが如何に願望しようとも、ロシアが「強い大国」として復活する可能性は絶無に等しい。それどころか弱体化したロシアは、いずれ軍事増強を推進する中国の脅威に直面することになるであろう。今ロシアはヨーロッパ部でドイツとの連携強化に動いているが、将来中国の脅威に直面するとき必ずバランス上日本に急接近してくる筈である。こうした戦略眼があれば、二島や四島の返還に汲々とする必要はないのである。何よりも領土交渉においては原則論が重要である。我が国の北方領土はあくまで「全千島・南樺太」であり、この原則を貫くことが重要なのである。
 日米関係で論述したように、日露関係においても「小日本主義」派の跋扈が国益を決定的に毀損しているのである。日米関係で「集団的自衛権の行使」を決断出来ない骨絡みの「小日本主義」が、日露関係においては領土返還要求を自ら切り下げる「二島先行返還論」となって表れるのである。国家の権を執って国を滅ぼす「小日本主義」派を打倒しなければ、国歩国運はますますじり貧となるばかりである。「小日本主義」派打倒へ今こそ決起しなければならない。


混迷する政局――何が問題か?

 相次ぐ失態続きで窮地に追い込まれていた森首相は3月10日、ついに事実上の退陣を表明するに至った。これを受けて政局は俄に激動を開始し始めた。しかし、退陣表明から早や三週間をも経過しようとしているのに、肝腎の自民党では後継総裁の選出が混迷を極めいまだに決まっていない。
 二月の「今月の主張」で、不人気の森連立政権は今年年央の都議選、参議院選挙をにらんで必ずやデッドロックに乗り上げ政変は必至と指摘しておいたが、それが早くも現実のものとなったのである。
 それでは、錯綜と混迷を極める政局の何を問題とすべきなのか?詳細は次の機会に譲るとして、今は取り敢えず重要な点を摘記して諸兄の注意を喚起することにしたい。
 まず第一は、森降ろしの山場で露呈したように野党提出の不信任案を連立与党が一致団結して否決しておきながら、野中や神崎がいみじくも「必ずしも信任を意味しない」と言い放ったように、政党自らが政党政治の大前提を蹂躙した点である。
 政党政治は議会の第一党が政権を組織することを公理とし、それが過半数に達しない場合理念や政策の近い他の政党と連合して連立政権を組織する。そして連立与党に失策があれば、主権者国民の意思を問う前提として野党に不信任案提出権が保証されているのである。しかし今度のように、野党提出の不信任案を連立与党が一致して否決しておきながら、「必ずしも信任を意味しない」というのは議会制民主主義の公理を政党自ら公然と蹂躙するもので、しかもその直後に神崎のように森降ろしに狂奔するというのは主権者国民を愚弄する以外の何物でもないのである。
 第二に、森の辞任表明から三週間を過ぎても次の総裁が決まらないことをみても明らかなように、自民党が政権担当能力を完全に喪失してしまっていることである。
 目下自民党は揺れに揺れている。過去の政変に徴すれば、田中政権崩壊後の椎名裁定による三木選出、もっと近くは竹下内閣崩壊後の海部選出の様に、最も権力からかけ離れた弱小派閥の出身者でかつ国民受けの良い者を表紙の顔に選んで危機を乗り越えてきた。ところが今回はこの伝統的にして最も姑息な手法が初めから作動しようとしていないのである。当初想定された「野中VS小泉」対決のシナリオは派利派略の錯綜から早くも消え、全党員参加の開かれた総裁選挙による公平な決着という正論に至っては真っ先に葬り去られている。株価の暴落、物価の続落に明かな空前のデフレ危機を目前にしても眉一つ動かすことなく、国民の困苦をよそに派利派略の暗闘に狂奔しているのである。最早完全に統治能力を失っていると断じてよく、参議院選挙の惨敗も確実と言えるのである。
 第三に看過してならないのは、公明党=創価学会の暗躍である。
 昔、田中支配、竹下支配などと首相の背後で真の権力を操る権力の二重構造が自民党政治の悪弊としてよく指弾された。しかし連立政権の時代に入り特に公明党が政権に参加してからは、かつての「ボス支配」に代わって「公明党=創価学会支配」が極めて顕著になっている。この二年、教育基本法の改正、有事法制の立法化など国家喫緊の重要法案がいずれも公明党=創価学会の暗躍によって日の目を見なかったばかりでなく、今度の森降ろしの政局を主導したのも都議選、参議院選挙に危機感をもつ公明党=創価学会であった。選挙の度に数が足りなくなる自民党は権力を維持するためにますます公明党=創価学会への傾斜を深め、そして公明党=創価学会は表紙の顔の背後で恣に権力を壟断しているのである。理念も基本政策も異なる野合政権がこの間如何に国家を残賊してきたか、改めて留意する必要がある。そして今、公明党=創価学会が野中と手をくんで画策しているのが中選挙区制の復活である。これが実現すれば、公明党=創価学会の支配は更に強まることになるのである。
 しかし第四に、現在の連立与党に代わる政権の受け皿がないのも峻厳な事実である。
 野党第一党の民主党は昨年の党首選で明かになったように、保守・左翼が混在同居して基本政策すら決定できない有様である。それ故連立与党の失策という追い風にもかかわらず、党勢は一向に伸びていないのである。というよりも、鳩・管の掲げる「リベラリズム」が憲法改正が60%にも達する国民の政治的要求と完全に乖離しているからである。現在、日本国家が要求し国民が渇望するところの政治は「小日本主義」ではなく「中日本主義」だからである。同じことは、連立与党の要をなす野中、公明党=創価学会の池田、神崎にも言えるのである。これら大東亜戦争の大道議と日本の世界史的使命を理解できない戦中派は今に至っても「小日本主義」こそ正しいと文字通り曲解し続けており、その点左翼全盛時代に育ち骨がらみの「小日本主義」である鳩・管ら全共闘世代と全く同じなのである。 しかし国家の要求と国民の渇望は、「中日本主義」から「大日本主義」へ、なのである。今回の政変もこれを正しく解釈すれば、政治的に「中日本主義」である森を、朝日等の偏向マスコミ、野中、池田=神崎、鳩・管等の「小日本主義」が共同して引きずり降ろしたと見るのが正しい。平成五年の「平成政変」以来今も続く政治の混迷は、国家が要求し国民が渇望する「中日本主義」と「小日本主義」に固執する政党政治のミスマッチに一切の原因があるのである。
 その点、かつて「中日本主義」の輝ける旗手で「保守革命」の主唱者であった小沢=自由党が不遇をかこっているのは一見奇異に見えるであろう。しかし小沢の失敗は理念や基本政策の誤りではなく、人格的欠陥、指導力欠如に求められるのであり、自由党の目指す「中日本主義」は必ずや新たな人格に指導力を求めて近い将来の大勢となるであろう。
 第五に、無党派層の激増について一言しなければならないであろう。
 無党派旋風の勢いは正に止まるところを知らず、昨年の長野、栃木に続きこの前の千葉県知事選挙では、またも何の準備も実績もない候補が無党派旋風にのって既成政党に圧勝した。混迷する政治、政治の腐敗を忌避した結果であり、第四で述べた政権の受け皿がないということと表裏の関係にあることはいうまでもない。また、冷戦崩壊後イデオロギー対立が消滅して政党間の差異が極小化した結果でもある。
 しかし根源的に考えるならば、そもそも我が国において党派性が成り立ちうるのかという問題を考えなければならない。政党政治発祥の地の欧米はその歴史を見て明らかなように、古代は民族大移動、近世は凄惨な宗教戦争、そして近代は激烈な階級闘争を経ており、民族性、宗派性、階級性がコミュニティーの根源をなしている。欧米の政党はいずれもこのいずれかに立脚して成立しており、それゆえに組織的帰属性も堅固で政党政治が成り立ちうるのである。これに反し我が国は十七条憲法の「和を以て貴しとなす」以来、不断に国家的国民的融合統一に努めてきたのであり、宗派性も党派性も一切無縁であった。ナショナリティーの完成こそ目的でむしろ党派性は排除されてきたのである。こうした政治文化風土では党派性=政党政治は成り立ちようがないのである。
 そして最後に、混迷する政治に対する不満として「首相公選論」が俄に急浮上してきたことに注目しなければならない。しかし、この問題については次に述べることとする。

 以上、総じて言うなら戦後デモクラシー=政党政治は完全に破産したと断言できるのであり、戦後デモクラシー=政党政治の打倒はいよいよ急務となっているのである。


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