国家存亡の危機

平成13年2月11日

今こそ興国派の奔流を!

 新しい年が明けて1か月、日本内外の情勢は早くも激動の様相を呈している。即ち、世界ではアメリカにおいて8年ぶりに民主党から共和党への政権交代が実現、先月発足したブッシュ新政権はクリントン宥和外交を全否定して全面的な戦略転換に着手、このアメリカの戦略転換に対抗するかの様に北朝鮮=金正日は極秘に訪中、中朝首脳会談ではアメリカの対アジア政策に全面対決する姿勢を誇示し、我が国を取り巻く東アジア情勢は俄に緊迫の度合いを加え始めた。
 一方国内では、泥沼的不況が更に一段の悪化を辿り異常な犯罪が次から次へと起こり人倫道徳の退廃が極みに達するなか、KSD、外務省機密費と次々に疑惑が発覚、年明け早々国会議員の逮捕、現役大臣の辞任が相次ぎ、年央の参議院選挙をにらんで早くも政変の様相が必至の形勢となって来た。
 この様に新世紀第一年の本年、内外の今一段の激動は不可避的であり、内国の困迫に加え外事の危殆もますます激化しようとしている。正に、「混迷から亡国へ―危機に瀕する日本」としか形容の仕様がない危機的な局面を迎えているのである。過去幾多の国難に際して偉人英雄が立ち上がり、回瀾を既倒に反し危局を収拾した様に、今や我々新民族主義派が眦を決して起ち上がらなければならない。
 合い言葉は「疾風怒濤の10年」。救国維新興国派の奔流を創出すべく、今こそ不惜身命の聖戦に赴むく秋である。


アメリカの戦略転換に抗し、世界新秩序の建設を

 クリントン政権の8年は正に我が国にとっては害悪以外の何物でもなかった。この8年、クリントン=アメリカは「経済安全保障」なる戦略をもちだして安全保障及び経済で日米関係をズタズタにしたのである。
 まず経済において、クリントンはアメリカの経済再生を徹底的に追求し、当時一人当たりGDPでアメリカを追い抜いていた我が国をはっきり「ライバル」と規定し、日本の経済を締め上げる政策を徹底して貫いた。規制緩和、市場開放、金融ビッグバンの要求から始まって、通商提訴、特許戦争、極めつけは一時1ドル=80円を割り込んだ空前の円高戦略を発動し、その結果日本経済は急速にファンダメンタルスを悪化させ、ついに「日米再逆転」を許し、今日の未曾有の大不況の元をつくったのである。
 さらに、矢次早に過剰な財政出動を要求し続け、その結果我が国はこの8年間だけで約200兆の赤字国債発行を強いられ、今日の国家財政破綻の憂き目を見るに至ったのである。また、アジアの経済・金融危機を意図的に作り出し、我が国のバッググランドをズタズタに破壊し、日本及びアジアの富を収奪し尽くしたことも忘れてはならない。
 安全保障においてもクリントンは、同盟国の日本よりも、我が国に対抗してアジアに覇を称える中国を「パートナー」と呼んで、徹底的に「日本軽視・中国偏重」のアジア政策を貫き通した。我が国を封殺するためには中国と手を結ぶというアメリカの伝統的外交手段を採り、その結果中国をつけあがらせ台湾海峡危機を激成させた。同じく朝鮮半島でも、北朝鮮を増長させる結果となり核・ミサイル開発を許し、 逆に我が国が抱える拉致疑惑には一顧だにせず、無原則な「日朝国交正常化」を促し経済・コメ支援を要請し続けた。さすが、内外からの非難で政権後半では「日米同盟再定義」で一定の変更はしたが、しかし同盟国日本より中国、北朝鮮に対する宥和政策は本質的に一貫して変わらなかったのである。
 さて、そのクリントンが退陣し、代わって共和党のブッシュが登場した。ブッシュ新大統領はクリントン外交を全否定し、対外戦略の全面的転換を明確に打ち出している。

ブッシュの手腕、いかに……

ブッシュの手腕、いかに……

 即ち、まず第一にクリントンが「戦略的パートナー」と呼んで偏重した中国を「ライバル」と規定し、逆にクリントンが「ライバル」と規定し軽視した日本を「パートナー」と再定義し、第二にパートナーとしての日本を対アジア戦略の要に据えて、徹底的な「日米同盟強化」の路線を打ち出し、そして第三にそのパートナーとしての日本に対してこれまでの「バードンシュアリング」の枠組みを大きく超えて「パワーシュアリング」の役割を求めているのである。
 これは新政権の布陣を見ても明らかで、国防長官のラムズフェルド、副長官のウォルフォウイッツ、更にアーミテージ等の日本専門家や知日派がずらりと並び、逆に新政権には必ず当初から出る中国専門家の名がまだ全く出ず、新政権の日本重視をはっきりしめしている。
 こうした戦略転換の背景には、経済高度成長をバックに近代軍備を急拡大し続ける中国が台湾海峡や朝鮮半島の不安定で不確実な情勢の策源地になっているという認識、及びその中国が遠くない将来必ずやアメリカに対して禍根を及ぼすことになるという危惧の認識がある。そしてこれに対処するため、日本との同盟関係を全面的に強化し、強力な日米同盟を以て急膨張する中国に対峙するという力のバランスを重視する共和党伝統の現実外交があることは言うまでもない。
 そして特に注目すべきは、新政権の対日政策のテキストになることが確実な「アーミテージ報告」である。この報告は、安保同盟強化の為日本に対して 「集団的自衛権の行使」「憲法改正」まで要求しているのである。従来アメリカの歴代政権は、こうした動きを軍国主義復活、超ナショナリズムとして警戒するのが常で、歓迎したり要求するということは一度としてなかったのである。これがこれまでの「バードンシュアリング」の枠組みを大きく超えた新政権の「パワーシュアリング」 ということに他ならず、「対等な同盟関係の再構築」という力強い言葉で述べられている。アワー元国防総省日本部長はこれを更に敷衍して「対日同盟を対英同盟のように強化し、日本をアジアでの眞の戦略的パートナーにする」とまで言い切っているのである。
 こうしたアメリカの180度ともいうべき世界戦略の転換に対して、早くもリアクションが起こっている。即ち、北朝鮮=金正日はアメリカ大統領の就任式をにらんで1月下旬、極秘に中国を訪問し江沢民と首脳会談を行い、アメリカの戦略転換に共同で対抗する姿勢を誇示した。
 北朝鮮=金正日は昨年6月電撃的な南北首脳会談で歴史的な外交デビューを果たすや、ロシアのプーチンを平壌に招いて首脳会談を行い、更にアジア、欧州の主要国と次々と国交を樹立し、一躍朝鮮半島緊張緩和の立役者になった。更に11月にはオルブライト国務長官を平壌に招請し、クリントンの歴史的な訪朝をも画策し、米朝関係を一挙に改善し朝鮮統一のヘゲモニーを握ろうと図ったのである。幸い、クリントンの歴史的な訪朝は大統領選挙で民主党が敗北したため日の目を見ることはなかったが、アメリカの政権交代に世界で一番困惑狼狽しているのは北朝鮮=金正日であることは間違いないのである。
 一方、中国も北朝鮮と同じように狼狽の極にあることは言うまでもない。中国はクリントン政権の8年間「パートナー」と位置づけられ、アメリカ資本の流入、最恵国待遇付与、WTO加盟など様々な面で破格なそれこそ同盟国並の恩恵に浴してきた。しかしそれが一転して「ライバル」と規定され、再び対抗的敵として戦略的に位置づけられることになったのである。
 アメリカの対アジア戦略が日米同盟を以て中国の急膨張に対抗するというものである以上、今後少なくとも共和党政権の4年間、我が国を取り巻く東アジア情勢の再激動は必至の形勢となるであろう。とりわけ中国を策源地とする朝鮮半島、台湾海峡情勢は過去の和平ムードなど一挙に吹き飛び、さながら冷戦の再来のごとき様相を呈することは避けられない。朝鮮半島も台湾海峡も冷戦の遺物として冷戦崩壊後も世界でただ二つ残っている地域で、アメリカが日本と組んで中国に対抗することになれば、米中の最前線として緊張の激化は避けられなくなるのである。正に我が国を取り巻く東アジア情勢は風雲急を告げ始めたのである。
ブッシュ共和党政権の発足は、我が国に対しても深甚な影響を及ぼすことになるであろう。前述した様に、ブッシュ共和党政権の戦略転換は我が国をアジアで唯一信頼可能な死活的な同盟国と位置づけ、「日米安保同盟強化」をうたいあげているからである。しかもその「日米安保同盟強化」の内容もこれまで歴代アメリカ政権が要求してきた「バードンシュアリング」ではなく、それを遙かに超える「パワーシュアリング」まで要求しているのである。即ち単なる軍事的役割分担ではなく、更に一歩も二歩も踏み込んで、我が国に「集団的自衛権の行使」を要求し、そのための「憲法改正」まで要求している。
 「集団的自衛権の行使」も 「憲法改正」も我が国の現段階にあっては、「護憲・安保反対」の小日本主義と「改憲・安保強化」の中日本主義の激しい綱引きが続いており、国論の完整を見るに至っていない。そうゆう分裂した国情に対して、アメリカがはっきり「集団的自衛権の行使」と「憲法改正」を公然と要求し始めるのであるから、今後安全保障をめぐる激しい国論の沸騰は避けられなくなるであろう。
 冷戦崩壊とそれと踵を接して起こった湾岸戦争以降のこの10年、我が国の政治は小日本主義か中日本主義かを対抗軸として激しく揺れ動いてきた。しかし、政党の離合集散、連立政権の組み替えにもかかわらず、一度として理念や基本政策に基づく政界再編が実現されることなく、全くの混迷に終始してきた。国民世論は大きく中日本主義に傾き、中日本主義の圧倒的優位は今や揺るがない形勢であるにもかかわらず、政治は依然小日本主義か中日本主義か混然として不分明で、それが国運混迷の根因となってきたのである。
 ブッシュ政権の発足とともに、中日本主義派が俄に活気付き論壇も中日本主義の合唱で沸騰しているが、こうした世論が果たして政治に正しく反映されるかが、今後日本の国運を決して行くことになるであろう。中日本主義派が早くも危惧する様に、もし我が国がアメリカの戦略転換に沿った国策の形成に失敗するようなら、これまでの比ではない深刻な日米摩擦が惹起し、ついにアメリカにも見放されて国運の深刻な停頓を招来することになるであろう。我が国は小日本主義の戦後的呪縛を脱却して、中日本主義へ国家的蝉脱を成し遂げ得るか、正に剣が峰にたたされているのである。
 しかし、小日本主義から中日本主義への蝉脱は世界史的かつ歴史的要請であるとしても、それが我が国の国策の行き着く終着点ではないことも改めて強調されなければならない。我が国は「百姓昭明 万邦協和」の確乎不動の建国理想を有し、その世界史的形成のため大東亜戦争を戦い、日本敗れたりと雖も白人覇権500年の世界史を覆した世界史的民族なのである。敗戦―占領―マカッサー憲法によって国運の停頓を来しているとはいえ、日本が日本である限り、必ずや国祖の理想の世界史的顕現は追求され続けなければならない民族的使命なのである。だとするならば、我々は今こそ「大日本主義」の旗幟を鮮明にしなければならず、アメリカのアジア戦略転換及びその驥尾に付いて勢い付く中日本主義派との戦いを今こそ開始しなければならないのである。当然その旗幟は「中日本主義を打倒しアジア国家連合の建設へ」でなければならないのである。


混迷から亡国へ―危機に頻する日本

 良く言い募られる様にこの10年間、我が国は経済を始め政治は勿論人倫道徳の退廃に至るまで正に「失われた10年」と言われる惨状を呈してきた。
 まず経済はこの10年間、平成不況と言われる塗炭の苦しみに呻吟してきた。バブル経済崩壊以降、不良債権をヤマと抱えてきた銀行、証券、保険等の金融機関はバタバタと倒産し、あるいは金融機関の幾つかは政府の時期尚早なビッグバン導入の拙策もあって、次々と外資の傘下に買収されていった。かつて隆盛を誇った製造業も落ち込んだ消費マインドのため、次々と欧米資本の後塵を拝するに至っている。かつて10年前、一人当たりのGDPでアメリカを追い抜き、破竹の進撃で覇権国アメリを追いつめた世界に冠たる日本資本主義は今や再び「日米再逆転」を許し、今やアメリカの景気後退に一喜一憂しながら青息吐息の状態である。
 平成不況の原因はアメリカ=クリントンの熾烈な対日経済戦略の発動ということもさりながら、やはり戦略の欠如に求めなければならない。大東亜戦争と同じく、またしても戦術に勝て戦略に敗れたのである。そして戦略の敗北という点では挙げてその責任は政治の混迷に帰さなければならない。
 アメリカの成功を見ても分かる様に、市場主義ということも国家の政治的決定の結果に他ならない。世界を再制覇したアメリカの市場万能主義はあくまで経済プロパーの結果ではなく、国家の政治的戦略的決断の結果によって生まれたものなのである。我が国はバブル経済絶頂の時、次の一手、次の世界戦略を構築することを怠り、札束の乱舞に官民共に踊ってアメリカに敗れ去ったのである。その原因は偏に 政治の無策に帰されるのである。丁度バブル経済の崩壊と軌を一にして自民党一党優位体制が崩壊し、経済の抜本的建て直しを主導すべき最も大切な時、我が国の政治は経済をそっちのけにして狂騒の輪舞に明け暮れしていたのであった。
 あれから既に8年、政治の狂騒は止むどころかいまやますます狂乱の度を深めている。この間、細川連立政権に始まって自社さ、自自、自自公、自公保と、共産党を除く全ての政党が一度は政権に参加したが、しかし一度として政治が安定した試しがないのである。議会政党は内訌・分裂を次々に繰り返し、そしてつぎつぎに新党が誕生しては消え、政党の離合集散は続き、連立政権の枠組みも猫の目の様にクルクルと変わったが、しかしついぞ政局の安定はもたらされなかったのである。正に、政治の混迷が経済の悪化に拍車をかけてきたのである。
そして現在、3月危機説が囁かれ日本経済が今や奈落の底に落ちようとしている時、またしても政治はKSDや機密費などの疑惑の発覚によって、三再び混乱の極みを現出しようとしている。本年政治の焦点は夏に予定されている参議院選挙であるが、このままでは自公保連立政権の惨敗は早くも必至の形勢となっている。参議院選挙であるから政変につながる可能性はないといわれているが、しかし惨敗の結果次第では連立の枠組みが吹っ飛ぶ可能性のほうがむしろ大きいと言えよう。そうなると再び政党の離合集散が繰り返され、党争が激化することになる。つまり、これまでの8年間イヤと言うほど見せつけられた醜劇が再びキャストを変えて果てしもなく演じられるのである。
 問題は次の三点に要約される。
 まず第一に、政局混迷の原因は一にかかって理念無き野合に帰すということである。新党が次々と生まれあれだけ離合集散を繰り返しながら、現在の政党は基本的な理念において全く整頓されていないのである。例えば自民党は右派の森、亀井と左派の加藤、河野とでは水と油ほどの差があるにもかかわらず、同じ政党に所属して政争を繰り返しているし、政権を狙う野党第一党の民主党もかつての自民党から社会党まで同居して安全保障政策一つきめられないのである。連立の枠組みをめぐっても同様で、例えば自由党の小沢は自らの政策が実現されないとハードルを上げて置いて連立を離脱したかと思えば、今度の参議院選挙は理念も政策も正反対の社民党と共闘するというのである。一事が万事、こんな様では馬鹿らしくて投票に行く気にならないのは当たり前である。
 第二に、噴出する政治不信が如実に示す様に、今や戦後デモクラシーは完全に破産したということである。議会政党が基本政策や理念を二の次にして、個人の旧怨宿恨を専らにして内訌党争に狂奔すれば、それは最早政党政治の自滅を意味する。こんな狂騒を見せつけられれば、国民の政治不信が極点に達するのは当然で、選挙の度毎に事実投票率は低下の一途を辿っているのである。各種の世論調査では無党派層が常に全体の過半数を上回っており、最近の知事選挙に顕著な様に経歴も実績もない無党派の新人候補が、旋風を巻き起こして党派推薦の現職を破って当選しているのである。更に着目すべきは投票率の著しい低下である。首長選挙では30〜40%の投票率は当たり前で、国政選挙でも前回の参議院選挙はついに過半数の50%を割り込んでいる。これは何を意味するのか? 代表制や議会政治が成り立つためには、少なくとも有権者の過半数が選挙に参加していなければならないのは子供でも知る公理である。もしそうでなければ多数の代表と言う前提を欠くことになり、また議会の多数の決定は国民の多数を代表していると言う擬制が崩壊するからである。したがってもし7月の参議院選挙で再び投票率が過半数を割り込むならば、その結果は正当性を調達できず無効と言う他ないのである。
 第三にそしてこれが一番重要なことだが、戦後デモクラシーは伝来固有の政治制度を全否定して成立したもので、そもそも権威も正当性も全くなく、それ故無様な狂態を現出しているのである。近代立憲制度はそれぞれの政治風土や政治文化に応じて各々の形態があり、アメリカの大統領制が万能ということもなければイギリスの議会制が模範ということもない。我が国は三千年の歴史に徴し伝来固有の天皇統治の観念を近代立憲的に再確立して、大権統治の立憲制度を明治維新において確立したのである。しかしこれが敗戦―占領によって全否定され、今日の戦後デモクラシー=象徴天皇制を押しつけられることになった。戦後デモクラシー=象徴天皇制は最高と揚言され万能と称賛されたが、しかし根無し草故に忽ち馬脚を現し既に述べた通り今や腐臭ただよう醜状を逞しくしているのである。選挙をやればやるほど政治はだんだん良くなると言う戦後デモクラシーの理想は今や完全な幻想と化し、この10年を見ても明らかな様に選挙のたびごとに政治はだんだん悪化の一途を辿り、戦後デモクラシーを信じた報いは禍いとなって国を滅ぼそうとしているのである。
 我が国はこれまでの「失われた10年」の混迷から、もしこのまま現状をもって推移するならば、これからの10年は間違いなく亡国への道行きとなるのは必定である。すでに経済財政組織の破綻、政治家・公務員の退廃と亡国の兆しは歴然鮮明になっている。加えて亡国の決定的兆しとして歴史家が挙って指を折る人倫道徳の荒廃も今や極みに達している。異常な猟奇的犯罪の多発、異様な少年犯罪の頻発、家庭崩壊、学校崩壊、不倫の流行、そして年々低下する出生率と数えれば、我が民族が今や衰亡にむかっていることは断じて間違いないであろう。正に我が国は国家存亡の岐路に立っているのである。
 混迷から亡国へ―傾いた回瀾を既倒に反すためには、戦後諸悪の根源である戦後占領憲法体制を打倒する以外にはない。戦後占領憲法体制打倒の核心は占領憲法に拝跪し国体を蹂躙してきた亡国派の打倒である。護憲を唱える小日本主義、及び改憲を唱導しながら日本国体の理想に覚醒しない中日本主義をともに打倒しなければならない。小日本主義と中日本主義は小と中の差異はあるが、共に国体の理想と威烈を一顧だにしない点で同根であり、その意味で正しく党閥・党賊に他ならないのである。
 国家存亡の危機の今、大日本主義の旗幟を翻し興国派の奔流創出へ全力を傾注しなければならない。


「疾風怒濤の10年」へ興国派の奔流を

 さて、国家主義運動のこの10年を総括するならば「沈黙の10年」と言う他ない。冷戦が崩壊し国内においても55年体制が瓦解し、「失われた10年」と呼ばれる今日にまで及ぶ大激動、大混乱が始まったが、しかし戦後国家主義運動はこの大情勢に全く歯牙もかけえなかったのである。何故か? 戦後国家主義運動の主流をなした「反共主義」も「同伴主義」も共に破産し、その歴史的使命を終えていたからである。
 戦後国家主義運動の主流をなしたのは、「反共主義」と「同伴主義」であった。まず「反共主義」は、戦後間もなく始まった冷戦に対応して産まれたもので、文字通り反共産主義運動をもって国家主義運動の主柱とするものであった。共産主義が国内において猖獗を極め、対外的にもソ連、中国、北朝鮮が同盟して日本侵略を狙う危機的状況下では有効だったとしても、しかし冷戦がソ連崩壊をもって終焉し、国内の共産主義運動が水をひくように凋落していくなかで、歴史的使命を完全に終えていたのである。しかるにこの間も牢固として残滓を留め、結局大情勢に歯牙をかけることができなかったのである。
 同じように、「同伴主義」も左右が鋭く対立していた55年体制下で、自民党が保守統一戦線党として一手に左翼を引き受けていた時代では有効だったとしても、しかし55年体制が崩壊し保守統一戦線党としての自民党が大分裂した時から全く破産を宣告されていたのである。自民党は最早唯一の保守党でもなければ況や国体党でもない。党内に河野や加藤の様な民主党ばりのリベラル派が蟠踞し、その他の過半はカネとポストに汲々とする理想も信念もない猟官と利権の党閥・党賊でしかない。まして自民党が単独過半数を割り、連立相手の公明党の言いなりになっている現状では、陳情も請願も意味をなさないのである。
 今や破産した「反共主義」「同伴主義」に代わって、「維新革命主義」が国家主義運動の主流とならなければならない。「維新革命主義」とは伝来固有の国体に立脚し、戦後占領体制打倒を目指す立場である。即ち、国家主義運動が立脚すべき主軸は国体思想、国体原理であり、打倒すべきは戦後国家なのである。戦後デモクラシーを奉戴し戦後占領体制の主柱をなす戦後議会政党こそ眞の敵なのである。この敵と手を取り合って同伴してきたから戦後国家主義運動はその持てる戦闘力を発揮できず「沈黙の10年」を強いられてきたのである。 既に述べた様にこの10年で政治、経済、財政、社会道徳の悉くが崩壊し、今や祖国日本は存亡の岐路に立っている。とりわけ政治の混迷は甚だしく、最早議会政党に国家救済の大使命を託することが全くの無理難題であることは何人も否定しないであろう。 だとするならば救国の道は唯一つ、自ら墓穴を掘った戦後デモクラシーを弔鐘とともに埋葬してやることである。つまり「維新革命主義」しかないのである。
 議会政治は党争に狂奔して混沌の極みにあるが、しかし祖国の危機の深まりとともに「国危うし」の声は議会の外で次第に高まりつつある。例えば、マスコミでは読売が夙に「憲法改正試案」を発表し国民に改憲への自覚を促して来たし、産経も無節操な土下座外交、朝貢外交に警鐘を乱打し国民意識の高揚を説いてきた。その他国家の危機を訴え政治の危局を説く書物はそれこそ汗牛充棟の観さえある。政治家でも石原都知事は歯に衣を着せぬナショナリックな発言で大喝采を博している。そして各種の世論調査では常に改憲派が過半数を超えており、特に目立つのは若年層ほど改憲に積極的だという結果である。
 国家の危機の深まりとともに、ナショナリズムは確実に急台頭しているのである。そしてこの急台頭するナショナリズムには三つの特徴点があるのである。第一に議会の外、第二に既成政党とは全く無縁だということ、そして第三は若年層ほど顕著だということである。つまり台頭している新しいナショナリズムは、議会政党政治に明らさまな拒否・嫌悪を示しているのである。
これは何を意味しているのか? その意味するところは極めて明瞭であろう。台頭している新しいナショナリズムは議会政党政治を全否定し、かつ議会内の小日本主義、中日本主義をも完全に乗り越えているのである。これは正に大日本主義そのものではないか。だとするならば我々の任務は、台頭している新しいナショナリズムに向かうべき正しい方向即ち大日本主義の旗幟を鮮明に指示することでなければならない。今や祖国存亡の危機を救う路は大日本主義以外にないのである。今こそ大日本主義の旗幟を翻し、祖国再建に向け興国派の奔流を創り出さなければならない。
 それでは大日本主義の旗幟は何か?
 まず大日本主義の旗幟の第一は、「奉勅維新世界新秩序建設」である。戦後占領体制を全否定し維新変革をめざす際、根基となるものは「終戦の詔勅」以
外にない。これを拝読すれば明らかな様に、その趣意は大東亜戦争に敗れたとは云えそれは最終の決着ではなく、一時的に干戈を収めるが民族道義を温め必ずや将来国家を再建して失地を回復せよというものである。決して「敗北宣言」ではなく「国体回復?祖国再建?世界新秩序建設」への大号令なのである。我が国はアメリカの覇権の風下に立つ国柄ではなく、白人覇権500年の世界史を転換し「百姓昭明 万邦協和」の民族理想を世界に実現すべき使命を負っているのである。大東亜戦争の本義を明らかにし、世界第二位の経済大国の地位に甘んじることなく、白人優位の世界史と世界文明の一大転換者とならなければならない。アメリカ追随を専らとする中日本主義とは根本的に異なる大日本主義の真骨頂はここにあるのである。
 大日本主義の旗幟の第二は、亡国派の「三大亡国路線」を打倒し、興国派の「三大改新―三大興国路線」を確定せよ、ということである。
 亡国派=政権党の「三大亡国路線」即ち「国体破壊―国史否定―国益放棄」の政策に対して、「国体破壊」に対し「国体再建」を「国史否定」に対し「国史肯定」を、「国益放棄」に対して「国益擁護」の旗を揚げ、亡国派と真正面から対決しかつ打倒にむかって突き進まなければならない。亡国派=戦後議会政党は単独政権時代の自民党から現在の連立政権に至るまで一貫して「国体破壊?国史否定?国益放棄」の三大亡国路線を邁進してきた。国体を否定して象徴天皇を賛美し、大東亜戦争を侵略戦争と言い募って英霊を冒涜し国史の栄光を汚辱し、国益を放棄して対米従属外交、対中土下座外交に終始してきたのはその最たるものである。これに対し、国体を再建し国祖建国の大義を連綿継承し給う天皇を「明御神=天皇」として再び政治、経済、外交、文化のあらゆる国家生活の中心としなければならない。つぎに、天皇を三千年の国家生命と一億二千万人の国民生命の徴表者として奉戴し、敗戦によって戦前戦後に分断された国史を一貫して連続せしめなければならない。とりわけ神武建国理想に回帰した明治維新の意義を復権し、その世界的顕現として戦われた大東亜戦争の本義を復活し、「大東亜戦争=侵略戦争」「日本=悪玉」の「東京裁判史観」を打破することが最も重要である。さらに「国益」を断固擁護しなければならない。国益とは、日本民族の国家的理想の対外的展開を図りその成果を守護していくことである。重ねて言えば、我が国は世界史的世界の中心であり、アメリカやシナに屈する国柄ではないのである。
 そして大日本主義の旗幟の第三は、「亡国派=ポツダム綱領総翼賛体制打倒−興国派の党=民族民主党建設」の旗幟が掲げられなければならない。 既成議会政党は挙って戦後占領憲法即ちポツダム綱領に拝跪し、さながら議会はポツダム綱領翼賛会と化している。マッカサーが日本弱体化のためにこしらえて押しつけた憲法に拝跪してきたから亡国の危機を迎えたのであり、亡国憲法に拝跪して日本の再建が可能となるはずがないのである。議会政党が憲法改正を決断せず亡国路線をなおもばく進するならば、我々自身が自ら憲法制定権力となって亡国議会を飛びこえて憲法改正を決断しなければならないのである。
 この10年は正に「失われた10年」であった。このまま拱手傍観すれば次の10年は間違いなく亡国への道行きの10年となるであろう。「失われた10年」からこれからの10年を、眞の祖国変革へ向けた「疾風怒濤の10年」と化さねばならない。
「疾風怒濤の10年」へ、今こそ大日本主義の旗幟を翻し不惜身命の戦いに赴かなければならない。三千年の歴史が我々の戦いを見ているのである。


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