世界史の転換と日本の戦略

平成13年10月

戦争の本質は何か

 去る9月11日、アメリカのワシントン並びにニューヨークで起きた同時多発テロは全世界に君臨する唯一の超大国アメリカを文字通り恐慌のどん底に叩き込んだ。アメリカ経済の象徴とも言うべき世界貿易センタービル及びアメリカの世界覇権の権化とも言うべき国防総省ビルがあろうことか乗っ取られた民間航空機によって相次いで特攻自爆テロ攻撃を受け、ニューヨークのシンボルでもあるツイン・タワーはあっけなく崩壊して跡形もなく消え去り、ペンタゴンの一部も大爆発炎上してしまったのである。まさに「アメリカ炎上」とも言うべき光景が現出し、これがテレビを通じて全世界に放映され世界中の人々が固唾を呑んで震撼したのである。その犠牲者は世界各国に亘り優に6千人を超え、しかもその殆どは今現在もなお行方不明のままである。衝撃はこれに止まらない。実はブッシュ大統領自身がテロの第一標的であったことも明らかになり、今度の同時テロ攻撃がアメリカの政治、軍事、経済の中枢壊滅を狙ったもっと大規模なものであったことも明らかになったのである。この衝撃的な同時テロ攻撃はアメリカのみならず全世界をも恐慌に叩き込み、不況に喘ぐ日本でまず株価が一万円の大台をあっさりと割ったのを始め世界中で株価が急落し、アメリカの景気後退と相俟って世界経済は未曾有の同時不況への様相を色濃くし始めたのである。
 今度の同時テロが世界に与えた衝撃はブッシュがいみじくも「今回のテロは戦争行為だ」と叫んだ一言に集約されるであろう。従来テロは3年前のアフリカのアメリカ大使館爆破テロにしても「国際犯罪」と目されることはあっても「戦争」という概念で捉えられることはなかった。従来戦争と言えば国家がその主体であり、戦いは戦場で行われかつそのプレーヤアーは正規軍であった。しかし今度の同時テロの主体はアメリカと交戦状態下にある訳でもなく、宣戦布告もなしに突然無辜の市民が暮らす都市のど真ん中に入り込んで、第二次大戦中の日本や冷戦中のソ連でも出来なかった全面戦争に匹敵する大規模破壊を行い超大国の政治経済を瞬時に麻痺させることに成功したのである。戦争に非らざるして戦争に匹敵する大被害を与える、攻撃を被ったアメリカが戦争と同視せざるを得なかったこと、ここに今度の同時テロの本質があるのである。しかも戦慄すべきは今日の科学技術の発達の程度からみて、だれでもある程度専門的技術に習熟すればいとも簡単に同様なことをやってのけられることである。オウムはいとも簡単にサリンを製造し国家転覆を企てたし、優秀な高校生であれば国家の電脳中枢を麻痺させるサイバーテロくらいはいとも簡単にやれるのである。これが外敵の手によって組織的に行われるならば、もはや一国に対する戦争という他はない。アメリカは大量破壊兵器の拡散に伴いイラクや北朝鮮など「ならず者国家」からの奇襲攻撃を警戒して「ミサイル防衛構想」の完成を急いでいたが、今度のテロはこうした世界最先端の防御兵器がまったく役に立たないばかりか、前近代的な自爆テロがかえって最も有効であることを図らずも証明することとなった。戦争の概念が根底から覆ったこと、「ニューウォー」これがまず今度のテロ事件の本質と言うべきであろう。これを戦争と呼ぶとして、では戦争の本質は何なのか。アメリカ=ブッシュは「自由民主主義への挑戦」「文明への挑戦」であると繰り返して揚言している。アメリカが繰り返し揚言する様に、今度の事件が無辜の市民を無差別に殺戮する「テロリズム」であることは間違いない事実である。アメリカの国家的価値は「自由民主主義」であるから、アメリカが不法なテロ攻撃に対して「自由民主主義に対する挑戦」と受け止めたのもまた当然なのである。しかしこれは飽くまでもアメリカの論理であってアメリカ的価値を共有する国々が同様の反応を抱くとしても、事態の本質では決してあり得ない。普通犯罪一般の場合犯人側の動機の如何が問題となる様に、事件の本質はむしろ犯人側の意図・意思にあるのである。例えば同じ女性への暴行でも猥褻目的と侮辱目的では罪名も異なれば法定刑もまったく異なる。アメリカが真犯人と名指しするイスラム原理主義者ビンラーディンは愉快犯でもなければ劇場型犯人でもなく、その目的をはっきりと「ユダヤ・キリスト教連合の新十字軍に対するイスラム教の聖戦」と断言しているのである。そしてアフガン、パキスタンで同調デモが荒れ狂い、世界最大のイスラム国家インドネシアでもイスラム団体が聖戦を呼び掛け始めた様にこの主張はかなりの支持を以てイスラム教徒に受け止められている。今度のテロは非国家的イスラム原理主義者組織による宗教的政治的テロであることは明白であり、アメリカの言う様にテロリズム一般に捨象化・抽象化することは決して出来ないのである。今度の事件の背景に半世紀以上に亘る中東パレスチナ紛争におけるアメリカの永年に亘る「ダブルスタンダード」に対するアラブ・イスラムの鬱屈した怨念があり、またアメリカ自身の国家的来歴がプロテスタント的価値観である「自由・平等・博愛」に立脚するキリスト教原理主義であることを勘案するならば、一義的には「ユダヤ・キリスト教VSイスラム教」という構図でこの戦争を理解するのが正解なのである。欧州、豪州のキリスト教国家がいち早くアメリカに同調し参戦の意向を明らかにし、一方アフガン、パキスタンで同調デモが荒れ狂い、世界最大のイスラム国家インドネシアでもイスラム団体が聖戦を呼び掛けているのは、キリスト教徒、イスラム教徒双方がこの戦争を「ユダヤ・キリスト教VSイスラム教」という構図で理解しているからに他ならない。間違いなく「文明の衝突」が始まったのである。


うねり始めた文明の衝突

 周知の様にアメリカのハンチントンは冷戦終焉後の世界を「文明の衝突」として描き出した。冷戦時代はイデオロギーの対立の時代であったが、冷戦終焉後は各国家とも自らの文明的出自にアイデンテティーを求める様になり、その結果宗教的民族的対立が世界に起こり「キリスト教VS儒教・イスラム教」の文明の衝突に収斂していくと説いた。具体的にはキリスト教=アメリカ、儒教=中国、イスラム教=中東であり、「アメリカVS中国・中東」の文明間対立が新世紀世界の主題となると予見したのである。アメリカのブッシュ政権はこれを下敷きにクリントン政権時代の戦略を180度転換し、中国を最大のライバルとし日本を最大の同盟国とする大胆な世界戦略転換を打ち出してきた。今度の戦争では、これまでアメリカの最大のライバルであったロシアはいち早くアメリカの戦争政策に全面同調したが、中国はテロ非難の国際決議には加わったもののアメリカの軍事戦略には一歩も二歩も距離を置いている。ロシアはチェチェン独立運動の策源地となっているタリバン・ビンラーディン一派をこの際アメリカとともに根絶して中央アジアの安定を図りたいのに対し、中国はアメリカがタリバン・ビンラーディン一派を殲滅してくれれば新彊ウィグルの独立運動も終息して大助かりだが、まずはアメリカの消耗を待って漁夫の利を占めて次に備える戦略なのである。こうした列国の動向も早くもハンチントンの予見を裏書きするのである。
 さてアメリカは同時テロ事件に対する軍事報復作戦の名称を「限りなき正義」(infinite justice)から「不朽の自由」(enduring freedom)へと唐突に変更した。これは「限りなき」(infinite)という言葉が神の意味も含み、イスラム教関係者の間で「アラーの神」にかかわる言葉を米軍が使うことは冒涜であると猛烈に反発していたのに配慮したためとみられる。しかし「限りなき正義」といい「不朽の自由」といい、軍事報復に賭けるアメリカの意気込みと決意がよく表れている。アメリカは「自由・平等・博愛」という近代特有の価値観に基づいて人工的に建国された国家である。「自由・平等・博愛」はアメリカの国家的価値換言すればアメリカの国家正義であるから、結局「自由」も「正義」と同じ意味になる。戦争になればどこの国も自らの国家的正義を全面に押し出すが、「自由」=「正義」というところにアメリカの特異性があると言える。周知の様に「自由・平等・博愛」を掲げた近代市民革命がプロテスタントの手によって担われた様に、その根拠はキリスト教のプロテスタントの論理に胚胎する極めて原理主義的な思想なのである。「自由・平等」は西欧文明の世界的波及とともに普遍的価値に転化していったが、アメリカンデモクラシーがリベラルデモクラシーと総括される様に、「自由・平等」を原理主義的・自然法的に理解しているのは世界広しといえどもアメリカ以外にはないのである。であるからアメリカが未曾有の国家的危機に当たり、自らの国家的価値である「自由」(freedom)へ回帰しナショナルアイデンテティーを確認するのは当然なことだが、しかしすでにこの執着自体が異文明との衝突を孕んでいることに注意しなければならない。
 詳述すると、アメリカの歴史的特質は「中世、封建制、絶対主義体制」の歴史を持たなかった点にある。正確にはそれらをヨーロッパに置いてきたと言って良いが、そのためアメリカの歴史は植民地時代を含めてもほぼ「近代」とともに始まる。建国に連なるアメリカ革命もフランス革命より以前に起こされたもので、アメリカ革命の理念こそ「自由・平等・博愛」に他ならなかった。アメリカはこうした国の成り立ちから自らの建国の理想、自らが体現する近代的価値に対して絶対的自信を持ち、それを外に向かって不断に拡張しようという欲求が国家的本能となる。有名な「マニフェスト・デスティニー(膨張の運命・明白な使命)」であり、アメリカはこの国家的本能の下西部漸進運動を進め、やがて国内にフロンテァが消滅すると更に太平洋の波濤を超えてアジアへと膨張して行く。この「門戸開放政策」は我が国の大陸政策と衝突して大東亜戦争に発展するが、第二次世界大戦で日本を打破し冷戦を勝ち抜いてソ連を打倒したアメリカは「マニフェスト・デスティニー」の使命感にさらに身を揺さぶる。今や唯一の超大国になったアメリカは文明的価値を独占して世界に君臨し、昨今は「アメリカ一極主義」「グローバリズム」の名の下自らの価値観を他国に強制し「アメリカンワンワールド」の形成を夢見ていたのである。アメリカは大東亜戦争で日本を文明の名で裁いたが、今度もまったく同じ様に「文明」の名でイスラムの悪を退治しようというのである。文明は自分達の専売特許であり異教徒、異民族に文明はあり得ないという「文明」の名に隠されたアメリカの独善と傲岸不遜を見落としてはならないだろう。
 一方イスラム教も一つの世界文明であるが、その立場はキリスト教文明との対比・対決を離れては到底理解が困難である。周知の様にマホメットは最終にして最高の預言者であると自称し、旧約聖書に出てくるモーゼ、キリストなどの前出の預言者の権威を否定して新しい宗教を創唱した。その教理・教義もユダヤ教・キリスト教の教理・教義を継承しながらアラブ的にシンボル操作したものである。イスラム教とキリスト教との関係は分かり易く言うと、日本仏教の浄土宗と浄土真宗の関係或いは日蓮宗と日蓮正宗の様な関係になり、イスラム教の本質はキリスト教「真」宗、キリスト教「正」宗ということになる。ここから両教の激烈な近親憎悪が生まれてくることになる。キリスト教徒からすれば「ふざけるな!」ということになり、イスラム教徒からすれば「ニセ者!」ということにならざるを得ず、烈しい宗教対立が必然となるのである。宗教的にはイスラムはキリスト教より遅れて出発したが、しかしイスラムはキリスト教に匹敵する世界文明の華を咲かせる。世界史で習う様に、中世という時代はイスラム全盛の時代であった。ギリシャ・ローマの古代文明を直接継承したのはイスラムで、今もアラビア語が科学用語に多く残る様にイスラムはユーラシア大陸の中心に世界文明の華を咲かせた。サラセン帝国、セルジューク・オスマン帝国そしてムガール帝国と次々にイスラム帝国が興隆し、この間西欧キリスト教世界はユーラシア大陸の東端に屈曲を余儀なくされたのである。西欧発展の興起となるルネッサンスと雖もイスラム世界を通じてギリシャ・ローマの古典に回帰したのである。ところがこの文明的優位は近代に入って見事に逆転するのである。オスマン帝国の崩壊を最後にイスラム世界は欧米の植民地になる。過去の栄光が燦然たるものであっただけにイスラムの屈辱とコンプレックスは一層激しいものとなり、ここから「イスラム対西洋」の文明の衝突というテーゼが不断に胚胎して来るのである。それからイスラム教とアラブとの関係も見落とすことができない。イスラム教が本源的に言ってアラブの宗教という性格はやはり無視出来ない。周知の様に聖典コーランはアラビア語でのみ書かれまたアラビア語以外で読んでもいけないし、イスラム教徒に巡礼が義務付けられるメッカのカーバ神殿はもともとアラブの最高神アブラハムを祀る神殿であり、イスラム教にはあるゆる点でアラブ的性格が刻印されている。マホメットのイスラム教創唱の理由もアラビア半島で行われていた部族神信仰による度し難い後進性を克服し、アッラー唯一神への服従を説くことによって分裂したアラブの統一を目指すものであった。初期のイスラム教は「コーランか剣か」と言われる様に、征服とともに発展してきた。預言者マホメットの生涯はほとんどが布教というよりはアラブの諸部族との戦闘で、戦闘の勝利とともにアラブの諸部族の帰依を勝ち取り教線を拡大している。こうしてマホメットの目論見通りアラブは世界史に比類なき発展を遂げ、四代正当カリフからウマイヤ朝・アッバース朝の大帝国を建設する。モンゴルに滅ぼされるまでの約600年間アラブ人は文字通り世界の覇者だったのである。しかし世界宗教への発展とともにイスラム世界の担い手はやがてトルコ人(セルジューク、オスマン)、イラン人(ファーティマ)それからインド人(ムガール)の手に握られ、アラブ人が再びイスラム世界および世界に君臨することは二度となくなる。アラブ人のこのコンプレックスはやはり是非押さえておかなければならない。今度のビンラーディンの様に、イスラム原理主義がアラブ人によって繰り返し唱えられるのもここに原因があるのである。
 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教も「唯一絶対神」への熱烈な信仰を共通項とし必然的にその信仰は独善的・破壊的・戦闘的となる。宗教を基礎として発展する文化文明も勢い独善的・破壊的・戦闘的となるざるを得ない。ハンチントンの「文明の衝突」も唯一絶対神教徒ゆえの発想であるが、しかし「文明の衝突」が結果的に何を生み出すのか。我々日本人はどう別の世界像を構想しうるのか。今日本人に問われているのはこのことであろう。ハンチントンは世界で7.8ある文明の中で「日本文明」を一つの型として数えた。そうであるならば我々はユダヤ教・キリスト教・イスラム教文明そしてインド、シナ文明の根底にある根源的なものの考え方を知ると同時に、それらと異なる我々日本人自身の根源的なものの考え方を今こそ知る必要があるのである。我が国はユダヤ教・キリスト教・イスラム教に対して何らの偏見もなければユダヤ人追放・迫害に加担したという歴史もない。世界広しと雖も恐らくこれら三教と何らの歴史的来歴もないのはひとり我が国のみであろう。だとするならば、日本がこれを最大の戦略的資源とするべきは理の当然であろう。「文明の衝突」の時代こそ「大和」を大精神とする日本の出番と言えるのである。


「汚れた手」の再介入を許すな

 今度の戦争はやはり一義的には「ユダヤ・キリスト教VSイスラム教」という構図で理解するのが正解である。その遠景には幾世紀にも亘る「キリスト教VSイスラム教」の争いがあることは勿論である。例えば聖地エルサレムは637年イスラム教のもとに団結したアラブ人が占領して以来、第一次十字軍によるエルサレム王国時代(1099〜1291)を除いてはオスマン帝国領時代を含めてイスラム教徒の支配が続いた。それが第二次大戦後パレスチナの地に人工的にユダヤ国家が建設され第三次中東戦争でイスラエルが聖地エルサレムを占領して以来今日に至るまでユダヤ人に占領されたままである。が、近景とも言うべきものはやはり中東パレスチナ紛争における欧米の永年に亘る「ダブルスタンダード」である。オスマン帝国衰退で中東社会が動揺をきたす19世紀以降中東の戦略的地位の重要性や資源の重要性(とくに石油)をにらむヨーロッパ諸国は、中東社会のもつ宗教的・民族的多様性に着目、それを利用して中東を内部分裂・対立へと扇動していった。その最たるものが第一次大戦中のイギリスのパレスチナ処理に関する相矛盾する二つの宣言〔フサイン‐マクマホン協定(1915)とバルフォア宣言(1917)〕である。イギリスはユダヤ人の支援を取り付けるため戦後パレスチナにユダヤ人国家の建設を約束一方で、オスマン帝国打倒のためアラブ人にも戦後の独立国家建設を約束したのである。第一次大戦後オスマン帝国は解体されアラブ地域は英・仏の委任統治領となった。英仏は今日あるようなイラク、サウジアラビアなどの人工的な民族国家を作ってアラブの統一を妨害する一方、ユダヤ人の帰還を認めてシオニスト国家創りを推し進め、これとアラブを不断に戦わせる戦争状態を恒常的に作り出すことによって石油利権を死守しようとした。
 第二次大戦後は東西冷戦対立が深まるなか弱体化の著しい英・仏にかわってアメリカが強力な軍事・経済援助(トルーマン・ドクトリン、マーシャル・プラン)を発動して中東支配に乗り出して行く。アメリカの基本的戦略は英・仏と殆ど変わらず、中東の一角パレスチナにユダヤ人国家を据えることにより聖地を独占しとアラブとの対決を煽ることによって中東の内部に分裂と対立を助長することであった。こうすることによってアメリカ・西欧は、戦略的・経済的要衝と化した中東の安定的支配を期待したのである。しかしイスラエル国家の成立はパレスチナ・アラブ放逐という新たな中東問題を派生させたばかりか、反アラブ国家の登場による中東の紛争地域化を意味した。イスラエル成立で開始された中東戦争は「ヨーロッパの植民地」イスラエルと、アメリカ・西欧とによるアラブ諸国の民族運動阻止のための干渉戦争としての性格をもっていた。こうして中東戦争が第二次大戦後の中東の恒常的事態となる構造が出来上がったのである。
 アラブは最初ナセルの様にアラブ民族主義を以てユダヤ・欧米に対抗したが四次に亘る中東戦争が連戦連敗に追い込まれ、第五次中東戦争とも言うべき湾岸戦争が欧米に完敗するや、次第にアラブ民族主義は後景に去り代わってイスラムの復興を目指す原理主義運動が各地に蔓延しこれが反欧米闘争の主役として最前線に躍り出てきたのである。湾岸戦争以降はこの傾向が特に顕著で、パレスチナを取り巻くアラブ諸国は悉くイスラム原理主義国家と化し、パレスチナ紛争の主役は今やイスラム原理主義派によって担われアラファト=パレスチナ国家がユダヤ・欧米と妥協しようとすると自爆テロでこれを粉砕する構図が出来上がってしまっているのである。ビンラーディンこそまさにその司令塔で、ビンラーディンがアメリカ攻撃理由の第一にアメリカ中東政策の「ダブルスタンダード」を挙げている様に、イスラム原理主義がイスラエルの背後に控える真の敵アメリカに特攻自爆テロを敢行したとしても何の不思議もないのである。中東紛争の実態は既に「ユダヤ・キリスト教VSイスラム教」の戦いと化しており、事態を客観的に見れば必ずしも的はずれではないのである。今度の同時テロに対する報復として欧米は一斉に団結してイスラム原理主義運動封殺態勢を構築しているが、報復の先頭に立つアメリカ、それを強力に支援し共同の軍事行動に出る英仏、これらは「正義」の体現者でもなければ「自由」の権化でもなく、今日の中東紛争の原因を創りだして来た「汚れた手」そのものなのである。であれば欧米の「汚れた手」の再介入はビンラーディンの思う壺であり、ハンチントンの言う様に本物の「文明の衝突」に発展して行くことは必至となろう。
 アメリカの報復軍事行動の目標は今のところアフガニスタンに絞られている様である。またイスラムそれ自体と原理主義過激派を峻別し、イスラム世界全体を敵に回さない様に細心の注意を払っている。国内では国防総省を中心にしてイラク、シリアなどテロ支援国家すべてをこの際攻撃すべきだという強硬意見と、国務省を中心とするアフガニスタン攻撃中心論が対立していた模様だが、ブッシュは国防総省の強硬意見をひとまず押さえて、まず第一波の攻撃目標をビンラーディンとこれを匿うタリバン政権だけに絞り込んだようである。しかしアメリカはブッシュ大統領が「テロリスト及びそれを匿う者も容赦しない」と言明した様に、まずビンラーディンとこれを匿うタリバン政権を叩き、そのうえでじっくりと時間をかけて湾岸戦争で討ち漏らしたイラクなどを締め上げて行く方針であろう。ブッシュが言った「数年に亘る戦い」とはこのことを意味しているのであり、アメリカの最終的目的はイスラム原理主義とアラブ民族主義の強硬派を共に根絶し、アラブ穏健派を中心にアメリカ主導のパレスチナ和平を実現して中東新秩序を打ち立てることであろう。しかしこの絵図がそんなに上手く行くか、これまでの歴史を振り返れば到底信じられない。一つの動は新たな反動を呼び、その反動がまた別の動を呼び起こす、中東の歴史は常にそうであったからだ。
 アメリカの中東政策は最初の「ダブルスタンダード」が錯誤であっただけでなく、これまで悉く破産の連鎖であったと言える。例えばアメリカはイランに王制国家を樹立しこれを湾岸の憲兵に仕立て上げてアラブ世界と対抗させたが、そのイランにイスラム革命が起こるや今度は隣国イラクのフセインにカネと武器を無尽蔵に与えてアラブ対ペルシャの図式に仕立ててイラン・イラク戦争をけしかけた。その結果増長したフセインがアラブの盟主を任じてクエートに攻め込むや、アメリカはその火消しのために湾岸戦争を発動せざるを得なくなった。その湾岸戦争でサウジ防衛のためにサウジに軍事基地を作ったためビンラーディンの様な原理主義過激派が生まれることになってしまったのである。現在のアフガニスタンもまったく同じである。旧ソ連がアフガニスタンに侵攻するやアメリカは武器とカネを無尽蔵にイスラムゲリラにつぎ込み、ソ連軍が撤退するとイスラムゲリラはこれらの武器を使って内戦を始め結局今日の事態に陥った。タリバン政権を強力に支援したのは他ならぬアメリカ自身で、その飼い犬に手を咬まれるや今度はその退治のためこれまで対立してきた旧敵のイランとも連携しようというのである。しかしタリバン政権が崩壊した後、どうなるのか?アメリカは北部同盟を後継の政権に据えるつもりであろうが、しかし北部同盟は決して一枚岩ではないのである。北部同盟はタジク人、ウズベク人、ハザラ人三派の寄せ集めでこれまで主導権を巡って内戦を繰り返してきたのであり、政権に復帰した途端また分裂し再び内戦を始めることになろう。なによりも北部同盟政権ではアフガニスタンの圧倒的多数を占めるパシュトゥーン人が疎外されることになって、こんな政権が長続きする筈がない。アメリカの場当たり戦略はタリバン崩壊後のアフガニスタンおよび周辺の中央アジア一帯に必ず次の動乱を惹起するのは必至なのである。アメリカの「ダブルスタンダード」に起因する中東政策の失策が、今また西南アジアから中央アジア一帯に新たな動乱を孕み始めたことに大いに注意を喚起しなければならないのである。


世界史の転換へ向けた日本の戦略

 小泉首相は9月19日米軍の報復措置に対する日本の対米支援策を発表した。それによると、まず基本方針として(1)テロリズムとの戦いを自らの安全確保の問題として取り組む (2)米国を強く支持し、世界の国々と一致結束して対応する (3)断固たる決意を内外に明示しうる具体的、効果的措置を迅速に展開するとし、さらに当面の措置として、(1)安保理決議一三六八号で「国際の平和および安全に対する脅威」と認められたテロに措置をとる米軍等に医療、輸送・補給等の支援活動を行う目的で、自衛隊を派遣するための措置を講じる (2)国内の米軍施設・区域、重要施設の警備強化の措置を講じる (3)情報収集のための自衛隊艦艇の速やかな派遣 (4)出入国管理等の情報交換など国際的協力の強化 (5)周辺、関係諸国に人道的・経済的な支援。米国に協力するパキスタン、インドに緊急経済支援 (6)自衛隊による人道支援を含む避難民支援 (7)世界、日本の経済システムに混乱が生じないよう各国と協調する、などの七項目からなる支援策を決定した。その後深夜さらに緊急の記者会見を行い、G8主要八カ国首脳の連名からなる共同声明を発表し日本がこれら先進国と一致協調して国際テロリズムに対決して行くことを強調。そして日本の対米支援策が固まったことを受け24日訪米し、ブッシュ大統領と首脳会談を行い日米同盟の絆を高らかに謳い挙げた。
 しかしこの対米支援策は極めて拙策にして軽躁との批判を逃れないであろう。自衛隊の後方支援活動を決断したのは一応画期的なことだが、しかし一見して明らかなように、「国連安保理決議を踏まえて」という限定を付けることによって日本の対米支援策が「集団的自衛権の行使」でないことを明確にしており、また後方支援活動への自衛隊派遣が日本の「主体的取り組み」であることを強調して湾岸戦争時に目に見える貢献を何もしなかった無為無策に対する米国の批判をかわそうとしている。かつ「新しい事態」を殊更強調することによって今回の措置が飽くまでも一過性のテロ事件に対する緊急時限立法であり永続的なものではないことに念を押している。しかしそうすると「国連安保理決議」と「集団的自衛権の行使」の関係はどうなるのか。「集団的自衛権の行使」に関する憲法解釈を今のまま変えないでも、「国連安保理決議」さえあればいくらでも自衛隊を後方支援のために派遣出来ることになってしまうし、また立法の如何によっては後方支援に留まらず直接戦闘も可能とすることも出来ることになる。いずれにしろアメリカの尻に付いて自衛隊がイスラム世界へ火中の栗を拾いに行くのは拙策にして軽躁と断ぜざるを得ない。
 今度のテロ事件は明らかに二面性を持つ。アメリカに対する攻撃であるとともに同時に人類・国際社会に対する挑戦という面を持つ。アメリカに対する攻撃と見れば日米同盟の信義に基づく義務が発生し当然「集団的自衛権の行使」を決断しなければならない。NATO諸国は事実この論理に従って派兵を決定し、我が国にも読売・産経の様に同様な論理と決断を求める立場がある。しかしこれはイスラムと対立してきた欧米キリスト教国の立場であって、歴史的来歴がない日本は断じて取るべきではない。我が国の選択はブッシュが揚言している「国際社会に対する挑戦」という言葉をむしろ逆手に取って、日米同盟の義務履行ではなく国際社会共同の責任として対応するべきなのである。政府は国連安保理の「テロ非難決議」を根拠に後方支援策を決定したが、国際社会共同の責任としてならもっとハードルを上げて湾岸戦争の時の「武力行使容認決議」を待ってそれを根拠にすべきで、「国連の集団安全保障」の枠組みで「国際社会に対する罪」としてテロリストを裁く道を選ぶべきであったのである。日本はユダヤ・キリスト教・イスラム教の対立と何の歴史的来歴もなく公平に三教の抗争を審判し得る世界唯一の国家なのであるから、これを最大の戦略的資源として日本独自の戦略に基づき世界を領導すべきなのである。アメリカの顔を立てて自衛隊の派遣を決断し、一方アラブ・イスラムの顔も立てて戦闘とは一線を画す後方支援では、アメリカからは貢献不十分としてまたしても感謝されず、アラブ・イスラムからはアメリカの手先としてNATOキリスト教国と同様に敵視されることになりかねない。欧米優位の世界史を転換し対立するユダヤ・キリスト教・イスラム教文明に各々その所を得さしめて新たな秩序を与えること、これこそ新世紀における日本の天啓的使命でなければならないのである。
 アメリカの報復軍事行動は圧倒的勝利を収めることは確実であろう。しかし長期的には正にアメリカ人ハンチントン自身が予見する様に「ユダヤ・キリスト教VSイスラム教」の際限のない長い戦いへと追い込まれて行くことになるであろう。「ユダヤ・キリスト教VSイスラム教」の争いはこれまで性格上主として場所的にはパレスチナ・アラブに限られていたが、3年前ビンラデェーンはアフリカのアメリカ大使館を狙い、今度はアメリカそのものが狙われその報復としてアフガニスタンに飛び火したことによって戦いの戦場は世界大に拡大することになった。わけても一度狙われ主戦場と化したアメリカは今後繰り返しイスラムのテロリストの標的となり、恒常的に「パレスチナ化・アイルランド化」していくことは必至となろう。
 「ユダヤ・キリスト教VSイスラム教」の今後を展望するうえで以下の点が決定的に重要となろう。まず第一に、アメリカという国の性格である。米国の国家性で際立った特徴は、崩壊したソ連同様抽象的理性を国家道義とする人工的国家だという点にある。米国は一〇二人の清教徒がメイフラワー契約を結んで上陸したという国家の成立事実が示す様に、社会契約説にもとづいて建国された国である。理性崇拝の自然法的な社会契約説こそ米国の建国の基礎をなし、自然法的な人権思想こそ米国の国家理由に他ならない。この理性崇拝、社会契約説、自然法的人権思想はいずれも近代・西洋・キリスト教文明の所産であって、その意味でまさに米国こそは近代・西洋・キリスト教文明の正系の嫡子、キリスト教原理主義国家に他ならないのである。しかしここ数年の顕著な特徴として欧米の中から「反グローバリズム」の嵐が荒れ狂い、アメリカニズムに対する猛反発が激高してきている。その最中アメリカが果てしない宗教戦争の主役として足をすくわれ恒常的に「パレスチナ化・アイルランド化」して行けば、その絶対的繁栄に次第に歯止めがかかって行くことにならざるを得ない。それでなくとも既に米国は人権という抽象的理性の崇拝絶対化のため、家庭崩壊に始まって男女人倫の壊乱、エイズ、麻薬、犯罪の蔓延によって内部から腐食し始め到底文明の模範ではあり得なくなっているのである。第二は、イスラムの宗教的寿命とも言うべきものである。周知の様にイスラム教の創唱は7世紀の中葉で、キリスト教から遅れること約650年である。今から約650年前というとキリスト教世界は十字軍の熱狂に包まれ全盛時を現出していた。仏教誕生は紀元前500年であるから、イスラム教に比して創唱1350年と言うと丁度9世紀の中葉になり、その頃仏教は日本を含めて東アジア世界で文明の華を咲かせていた。宗教にも寿命と言うべきものがあり、他宗と比較してもそれ程イスラム教の生命はまだ若いことに注意しなければならないのである。イスラム教徒は全世界に約10億人を数え、国境を越えた独特の信仰共同体を形成している。イスラム世界は今沈滞している様に見えるが、宗教的寿命はまだまだこれからで文明的発展もむしろこれから将来にあることに注意すべきである。第三は、日本との関連である。我が国は近代・西洋・キリスト教文明の行き詰まりを睨んで、興隆するアジアを先頭で牽引して新しい人類新文明創造の旗手とならねばならない。しかしそのためにはアジアにあって日本の世界史的上昇を妨害する隣国中国との対決は不可避的である。今後急膨張する中国に対抗するためにも、中国を取り巻くイスラム諸国とは戦略的友好関係を構築することは是が非でも必須である。東南アジア諸国はインドネシアを中心にイスラム国家が多いが、これらと連携し中国に対抗するためにも「ユダヤ・キリスト教VSイスラム教」の衝突には関わらない方が得策なのである。


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