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三浦重周 墓参──遺稿集刊行報告 平成一八年 四月八日〜九日


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 三島由紀夫研究会前事務局長の三浦重周が自決して100日以上を経過しました。
 四月に三浦遺稿集『白骨を秋霜に曝すを恐れず』が“突貫工事”で刷り上がり、これを墓前に備えて報告することを兼ね、嘗ての仲間三十数名が参加し、バスをチャーターして新潟へ向かいました。
 新宿の集合場所へは参加できない関係者が四名、差し入れをもって駆けつけました。

 車中では各自が三浦重周との想い出をかたり、歌も飛び出しました。新潟北岸壁の自裁現場に到着すると、曇天がいきなり暴風雨となって、故人の荒御霊の歓迎を受けました。菩提寺で法要を済ませ、もう一度、自決現場へ戻ると暫時雨があがり、全員で何回か黙祷、また暴風雨の一瞬をついての集合写真の撮影にも成功しました。

 新幹線で駆けつけてきた三人と現地参加一組も現場へ加わり、その後、故人の生まれ、そだった西蒲原郡へ南下し、弥彦山付近の宿で追悼会となりました。
  故人が生前愛した歌なども飛び出し、深刻な話題ながら政治論議をかねての追悼供養となりました。

 当日の裡に新幹線などで帰宅する参加者もあり、ついで二次会へ。弥彦の山々にとどろくほどの愛国の歌が響きました。
 翌日は早朝から弥彦神社に参拝、あいにく曇天のため頂上には登らず、寺泊経由で関越道を東京をめざしました。


墓参

墓参

墓参

墓参

墓参

参加者から その1

 新潟北岸壁の三番埠頭(自決現場)に着いた途端、雹混じりの雨嵐。全身びしょ濡れになりながらも默祷。続いての墓參も同様に、嵐状態のまま。

 私自身は、三浦代表に熱烈歓迎…してもらったからこその天候なんだと自分に言い聞かせています。貴重な体験を致しました。
 帰りのバス中、座席でウトウトしつつ、後部座席からの諸先輩方の声を耳にしておりましたが、どなたなのか分かりませんけれど、酔った時の三浦代表の声とそっくりな方がおられ(訛りとハイトーン(?)な声)、今回のバスツアー企画責任者として、三浦代表も參加されているのだな、なんて思いながら聴いておりました。

 これからの行事の準備、出来ることはいくらでもやりたいと思っておりますので、お声がけいただけましたら幸いです。(MT生、足立区)

参加者から その2

 当日の新潟の天気は肌寒く、大変だったと思います。 温度差がひどかったので、風邪ひかれた人も居るかも知れません。
 ところで見本版をお墓にささげて雨でびっしょりになりましたが、乾かした後、何度も読みました。本当に素晴らしい遺稿集となりました。感謝しております。
 いろいろお世話になり、ありがとうごさいました。(KY生、新潟)

参加者から その3

 重苦しい旅も童謡、軍歌大会やら、バスの中での「集会」やらで、結構深刻な問題を幅広く話せたと思います。
 ともかく自裁現場で曇りがちの天気が一瞬嵐となり、荒御霊の出迎えがありました。異様な経験となりました。

 東京からの参加組は翌朝、弥彦神社、寺泊経由で四時四十分に新宿に無事到着しました。バスの中で早くも三浦重周一周忌のはなしが出て、12月10日の命日に「早雪忌」と銘打たれた催しとすべく、準備チームを近く発足させることで合意もありました。

 以上、全国の三島研究会会員および憂国忌賛助会員ならびに日本学生同盟OB諸氏に報告します。(MM生、東京)


 
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