青木繁

 青木繁は、明治15年福岡県久留米市に旧有馬藩士青木廉吉の長男として生まれた。「大穴牟知命」は、昭和3年(1928)に栃木県の福田家から発見された青木繁の大傑作。

 現在の作品は板による裏打ちが丁寧に施されているが、発見当時は画布の裏に青木自身の註記がみえ、「(右)宇牟起比女(左)執虫貝比女(中下)大穴牟知命、拠古事記本文」 と書かれていたことが報告されている。

 この註記からもわかるように、この作品は『古事記』上巻にあるオホナムチノミコト(大穴牟知命、大国主命)の受難の物語を題材としている。

 オホナムチが兄弟の神々に欺かれて焼けた石をつかまされ焼け死んでしまうが、オホナムチの母神の願いを聞いたカミムスビノ カミがキサガイヒメ(蚶貝比売)とウムギヒメ(蛤貝比売)を 遣わし、キサガイヒメが貝殻を削ってその粉をあつめ、ウムギヒメがその粉を溶かして母の乳汁のようにして体に塗りつける とオホナムチは命をよびかえしたという物語である。

 画面には 青木の註記どおり、向かって右に乳房をあらわにしたウムギヒメ、左にキサガイヒメ、中央に仰向けに横たわるオホナムチが 描かれている。

 画面はいくぶん灰色がかった青緑色の色調で統一され、背景の鬱蒼とした樹木や樹々の間にのぞむ遠山の描写とあいまって 神話世界の雰囲気をよく醸している。また、絵を見るものへと視線をむけたウムギヒメの顔の描写が作品に生気をそえている ともいえよう。本作品には1905年の年記がある。

 明治38年(1905)の白馬会10周年記念展の出品目録によると、青木は同展覧会に「日子大 穴牟知とウムキキサカイ売女」と題する作品を出品したことが わかる。本作品がこの時の出品作である可能性は十分にあるが確定はできない。(石橋美術館)