沿革・歴史
新民族主義運動

 新民族主義運動(NIPPON NEW NATIONALISM)の歴史は、昭和41年秋の日本学生同盟結成にさかのぼる。前年の学費値上げ反対に端を発した早大紛争は、新左翼の党派的介入と革命的扇動によって泥沼化していた。こうした中、学園正常化を目指す良識派学生が広く結集して「早学連」を結成、「ストライキ解除、学園正常化」の運動に立ち上がる。

 この運動は大勝利を収め、やがて早学連は反左翼の旗幟を鮮明しながら、全国で学園紛争が渦巻くなか、広く全国の同憂同志に一大結集を呼びかけ、昭和41年11月14日、日本学生同盟が結成される。こうして誕生した日本学生同盟は、一、ヤルタ・ポツダム体制打倒 一、自主憲法制定 一、自主防衛体制確立 一、北方領土奪還 一、全学連打倒 の五大スローガンを掲げ、祖国日本の再建運動に乗り出していく。この新しい学生運動は燎原の火の様に忽ち全国を席巻し、戦後国家主義運動の歴史に一大転換を画す。

 そして昭和45年11月25日、創建以来日本学生同盟の理論的指導者でもあった三島由紀夫氏が森田必勝同志とともに市ヶ谷台で決起し、激越な檄文を撒いて憂国の諫死を遂げる。日本学生同盟は三島・森田両烈士の遺志継承の闘いを直ちに開始し、12月11日東京・池袋の豊島公会堂で万余の参加者を結集して「追悼の夕べ」を開催。

 この遺志継承運動が更に発展し、日本学生同盟を母胎に翌年2月林房雄氏を会長に、両烈士の遺志継承を目指す「三島由紀夫研究会」が発足する。三島由紀夫研究会は毎年11月25日に「憂国忌」を開催し、昨秋の「30年祭憂国忌」は1200名の参会者を数える。また、三島由紀夫研究会の「公開講座」は延べ開催200回にも及び、双方併せた累積総参加者は優に6万人を超える。

憂国忌
三島・森田両烈士を偲び、多くの愛国者が集う憂国忌。

 一方、日本学生同盟は順調に全国に地歩を拡大し、卒業生を多数輩出し始めた昭和52年4月29日の天長の佳節、新たな青年運動への更なる飛躍を期して、日本学生同盟の上部団体として、三浦重周を代表に「「重遠社」が創建される。重遠社の名は昭和20年8月14日の所謂終戦の詔勅の一文「任重クシテ道遠キ」に由来する。

 こうして更に地歩を拡大した新民族主義運動は、昭和56年6月三島由紀夫研究会を母胎に、国防、安全保障、国家戦略に関する大衆運動団体として「国防問題研究会」を結成する。更に、日本学生同盟結成20周年の節目の昭和61年11月14日、本格的な青年運動への一大飛躍を期して「新民族主義青年同盟」を結成し、一挙に戦線の拡大を図る。そして平成12年5月、漸く国会で憲法調査会が活動を開始したのを受けて、三島由紀夫研究会から憲法研究部門を分離し「憲法問題研究会」を結成、両烈士の遺志継承を目指す独自の憲法草案の本格的策定に乗り出す。

 ここに「重遠社」を中核に、学生戦線を担う「日本学生同盟」、青年戦線を担う「新民族主義青年同盟」、そして思想・文化部門を担う「三島由紀夫研究会」、国防・安全保障部門を担う「国防問題研究会」、新たな憲法草案策定を目指す「憲法問題研究会」が整頓され、以上の諸活動を総称して新民族主義運動と呼ぶのである。

 以下は戦後国家主義運動に一大転換を画した「重遠社」の創建宣言及び誓盟の全文である。


創建宣言

 今や祖国日本の混迷と頽廃は極限にまで達した。
 大東亜戦争後三十有余年、今日内憂外患は極まり、有史未曽有の危機に立ち到らんとしている。
 民族の自存、建国の理想を一顧だにしない敗戦日本の指導層、ひとつは米国に、またひとつはソ連、中国に叩頭阿諛して国患屈辱を顧みず、売国的実利の追求に窮々として国民を欺瞞し、またヤルタ・ポツダムの虜囚は軽率浮薄として日々の物質的満足と利己的幸福に酔いて国辱を顧みず、ここに只管バビロン―ユダヤ亡国の道にうち続かんとする。

 国家天下、百年の大計と目標と進路を定めえぬその日暮しの日本は、それ故米国、ソ連、中国の世界争覇の歴史的現実に全く歯牙をかけえないまま疾風怒濤の渦中に翻弄されて国難を激成せしめ、かつ父祖が血涙の義戦百年をもって按撫したる亜細亜の諸国家、諸民族よりすら軽侮排日の屈辱をしばらく受けるに至っている。

 国家、民族の真個の危機まさしく眼前に在り。現情況の腐敗的蔓延を放置し、根本の禍因を一掃廃絶するのでなければまことに幕末維新の内憂外患を我々の時代に再現せしめることは必定である。
 近代日本の歴史的因果とは何か。

 ひとつは明治維新、そして他のひとつは大東亜戦争である。この二つの難関を貫く固有の宿運は、しかし敗戦国家のデマゴーグが揚言するように決して全一の解決を与えられたものではない。否、それは今日なお我々の民族生活のもっとも深刻な呪縛でさえある。

 西欧列強の亜細亜―日本への侵寇、それに対する民族の自存と自衛の確保とは、すなわち独自的世界形成に向かう聖戦として絶対の血路であった。
 しかし、国家編成をめぐって、ひとつは脱亜入欧=資本主義路線へ、ひとつは亜細亜解放―社会革命路線へと分岐し、両者の拮抗のうちに思想的戦略的対決は根本的解決をみることなく混沌としたままで眼前の戦争に突入し、そこで物量戦に敗退した。第二の近代化=文明開化ともいうべき戦後には、だが一纏の抵抗の精神と苦悩なく全一の屈服と拝脆のうちに今日の「理想国」は憤激すべき腐敗を現出せしめている。

新民族主義運動

 国家―民族の根本的革新を決意するもの、この近代百年の祖国の変転状況より眼を転じてはならない。自由民権―大正―昭和維新運動の痛苦に満ちた思想的実践的営為の内実と本質を何よりも共有することから出発しなければならない。それによってのみ、奴隷的精神の極まれるところの頽廃と迷妄の一切の現状打破を可能ならしめることができるのである。
 また、時代の根本的変革を志向する者は、世界史の変転を直視して、しかるのち民族生活の苦闘の営為と理想へ遡行せよ。

 戦後三十年、近時十年の世界、戦勝国米ソは同盟より忽ち一転訣別し、イデオロギー対立の瞞着のもと世界を軍事的経済的に二分割し、今また大国主義的野合を完成して「解放者」から「圧制者」に妖変し、またマルクス主義世界革命の血盟中ソは転じて不倶戴天の仇敵となる。更には、米中ソことごとく牙をむいて東海の平和国家に理不尽な圧迫と恫喝を加えて侵奪を策謀する。戦勝国史観を奉戴し平和憲法を金科玉条とするもの、レーニン、毛沢東を信奉し露国革命、中国革命に随順範とするもの、ともにこの現実を如何に見るか。

 また、ベトナム革命に深遠なる意義を見出すもの、明治維新―日露戦争に歴史の教師を見出すことはできないか。
 速やかに国史三千年へ思い到れ。すなわち、人類世界は旧態依然の国家競争、民族競争の弱肉強食の修羅場である。であるがゆえにヤルタ・ポツダムの空虚な「理想国家」に幻惑されて、自由主義―社会主義史観に全身不随の敗戦国家を溺死させる訳には断じていかないのである。加えていま、戦後国内史も一変して保革接近の逆倒したイデオロギー的喧騒のなかで既成議会は深刻な地殻変動を惹起してきている。それ自体は全く歓迎すべきことである。しかし、既成党派そして相次ぐ新生党派の一切が、混迷の深まりの中でますます媚態を露わに「自由主義と民主主義」の旗印を一層鮮明に掲げてポツダム綱領へと歴史的退行の愚を犯している。国家、民族の世界史的浮上を決定的に妨害し敵対するに至った今日の状況にあって、時代の良心たる我々青年は満腔の義憤を発する。

三島・森田両烈士を称える立て看板
三島・森田両烈士を称える立て看。昭和45年。

 重遠社創建に至らしむるもの、ここにおいてしか断じて有りえない。
 創建重遠社は、決して民族生活と国家的安全の現実と遊離無縁な独善的恣意的思想の結果として生じたものではない。逆にそれは何よりも歴史的危機状況の坩堝のなかで時代的良心がもっとも鋭く結実した所産であり、すなわちもっとも尖端的矛盾課題に真剣に対決しかつ実践的回答をなそうとする民族の呻吟そのものの叫声である。
 日本そのものの変革は、もっとも深遠な歴史的民族的理想そのものより発して完遂されなければならない。過去十年、日本学生同盟創成以来一貫して祖国の変革を志向し、新民族主義運動の最先頭で闘い抜き国史の新たな展開を画してきた我々は、今や迷妄ますます極まり亡国的危機ますます激昂しているなか、自らの限界を突破して百尺竿頭歩一歩を更に進める重大な使命と決意に立脚して重遠社創建を宣言する。新民族主義運動十年の苦闘の歴史その一切を継承し得て更に民族革命―国家再建の盤石の橋頭堡となしうることこそ創建の意義の一切のものである。

 過去国史において、時代の激動期―国難に際会して多くの青年が決起し、たゆまず血を流し歴史の頁を大胆に塗り変えてきた。国家と民族の危機に滅私の公憤を発して先頭に立ち、身を挺して自らを主張してきた。大化改新―明治維新の回瀾既倒の必死の大聖業、また近くは近代日本の西南役―自由民権運動―大正、昭和維新運動の困苦の事業はひとしく新時代の良心たる青年の血涙の事業そのものであった。
 そして、いま我々は重遠社創建をもって先烈の遺志を継承して国史第三の革新、近代日本第三の維新回天の聖業を完遂し抜くことを厳粛に決意する。
 我々の思想的根拠は、外来移入思想の直訳でなく、全く三千年民族生活そのものの信仰と思想よりの飛躍であり一言で尽くせば「神代在今、莫謂往昔」、「天地非外、開闢在己」の絶対信念である。そして保塁は、昭和二十年八月十五日の詔勅一文である。ここに拠って、ヤルタ・ポツダムの「理想国家」否!混濁する植民地!を完膚なきまでに破砕掃滅し尽くして、さらに新たな世界形成へ転じ一切の地上の不合理を撃滅するまで闘い抜く。

「……神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ……」とは、創建重遠社の必死の聖戦の絶対当為である。
 国家、民族の混迷と頽廃に憤激するもの、憂国の熱誠と愛国の至情に燃えたぎるもの、そして世界一切の矛盾と不合理の根本的改変を企図志向するもの、創建重遠社に結集せよ!そして、全国民は暫く創建重遠社の所業終り至らんところを瞠目せよ!

皇紀二六三七年四月二九日 天長節


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