ことし令和六年10月は特攻作戦開始から80年の節目にあたる。
特攻隊記念館は鹿児島県知覧、鹿屋、長崎県佐世保、そして一部展示は靖国神社の遊就館にもあり、とくに知覧を舞台にした映画も作られた。石原慎太郎原作の映画は岸惠子が主演したが、石原自身は草笛光子を臨んだというが、これは余談。
特攻隊記念館はその誕生地マニラ郊外にもあって地元の有志が手作りでたてた。それゆえに誠意が込められ、粗末な建物ではあっても霊魂と祈りがある。評者(宮崎)も十年ほど前に高山正之氏らと一緒に行ってその勇気と愛国精神に感謝し、平和を祈った。
戦後80年も経つと記憶は風化し、あたらしい世代は祖国のために命を捧げた若者のことを知らない。米軍を震え上がらせた特効の戦記をしらない。
1944年10月25日、関行男大尉率いる「敷島隊」の零戦6機は初のカミカゼ攻撃を敢行した。フィリピンをとびたった神風特別攻撃隊は、米空母「セント・ロー」を撃沈し、数隻に損害を与えた。
フィリピン作戦中に650回の体当たり攻撃があり、成功が約27パーセントだった。恐るべき戦果だろう。成功要因は、零戦を使用したことと、初期の特攻隊員はベテランで操縦技術が高かった。
フィリピン作戦で戦果をあげた特別攻撃は、次第に台湾や奄美、石垣、徳之島から出撃して、やがて知覧、鹿屋が主力拠点となった。両基地ばかりか指宿、国分など日本中の飛行場から出撃した。
その後の沖縄戦で組織戦になり、両軍に多大な犠牲が生まれた。
本書は、米軍の戦闘詳報や兵士の証言と、新たに作成した日本側の特攻隊出撃リストを照合して、出撃後の日本軍機の行動とその最期を初めて明らかにする。
照合作業に三年をかけた労作、しかも航空機作戦だけではなく、震洋やマルレなどの水上特攻隊、爆弾を背負っての特攻泳者、回天および計画段階にあった水中特攻隊など陸海軍が実施した特攻作戦の全容に迫る。
著者と訳者のコンビは前作『米軍から見た沖縄特攻作戦』(2021年9月刊)がある。
巻末には「陸軍・海軍特攻隊一覧」がまとめられ原文と細かく照合しながら、適宜「訳注」を追記した。
また基礎訓練しか受けずに沖縄戦に参加したパイロットたちはハンディを背負った。
高性能の機体はベテランパイロットとともに本土防衛用に回され、米艦艇の上空に飛来できた神風は、最新型だが整備不良の機体、旧式機、練習機などだった。ただし一部が木製骨組羽布張りの練習機だったので、敵レーダー探知が困難だったため体当たり攻撃に成功した事例が見られる。
作戦は、航空機だけでなくマルレ(陸軍特攻艇)や震洋(海軍特攻艇)などの水上特攻隊、爆弾を携行した特攻泳者、回天(有人魚雷)および計画段階だった水中特攻隊などもある。
本書は、米軍の戦闘報告と、日本側の出撃リストをもとに、攻撃部隊を特定し、これまで明らかにされることのなかった出撃後の日本軍機の行動と、その最期を明らかにした戦史の第一級資料である。航空機にとどまらず、水上特攻隊、回天などの水中特攻隊についても詳述した決定版となった。近現代史に興味の向きは必読である。
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