IMFはSDR債券を発行し、中国をはじめBRICS諸国が大量に購入した。IMFにおける中国の発言権は劇的に、突然変異的に肥大した。
G7は形骸化し、おそらくG20体制となって国際政治の中心となる。
新しい時代がくる。その足音が聞こえる。
本書は、日米安保条約を単に日米関係や、日中米の三極関係ら捉えないで、もっと歴史を遡り、同盟の本質論を抑え、近代史を深く比較するという壮大なペースペクティブのなかで、じつに簡潔に、じつに明快に日本を取り巻く危機的状況の本質を分析した好著である。
同時に軽佻浮薄な防衛論議や面妖な安全保障をばっさりと切り捨てる。
戦後日本は自らの歴史を自虐し、進んで歪めて、自尊心を損なった。その結果は「近隣諸国の中には歴史認識なるものを平気で外交に利用して平和を脅かし、露骨に内政干渉をしている」が、要するに「理想を重視して、現実を無視すると国は滅亡する」(本書28p)のである。
ここで筆者の田久保氏は「リムランド」「ハートランド」などの地政学の沿革と発展を簡潔にまとめられ、ついで米英の角逐と保守とリベラルの由来を説かれる。
日米安保は不思議な感受性で日本人に捉えられている。
同盟の本義とはかけ離れて、「日米安保に全面的に寄りかかりながら、平和は祈っていさえすれば維持されるといった空想」がいまも論壇、マスコミ、いやいや国会にさえある。ところが尖閣諸島が日米安保の対象ではないと米国の高官が失言すると「怒り出す」(43p)という奇妙さ。アメリカ人だった、ほとほとあきれているに違いない。
さて、今後どうなるか。
本書の肯綮部分はつぎの箇所である。
「米中関係によって日本の将来も決まってくる(中略)。日本がどれだけ中国に好意を持とうが、悪意を抱こうが、日中関係は米中関係の従属関数なのである」(115p)。
この激甚なる言葉、つい覚えてしまいそう。
ブレジンスキーは日本を「アメリカの被保護者」と定義したが、これは「ごくふつうの米国人が頭に描いている日本像」だ。「このような表現の根元には敗戦、日本国憲法、東京裁判、日米同盟といった一連のキーワードに隠微な秘密が潜んでいる」(122p)
同盟とは「共通の敵の存在、価値観の一致、経済摩擦を最小限にとどめて解決しようとする努力の三条件が要る」のだが、日米同盟は、仇敵ソ連の沈下によって共通の敵を失い、そのご、暫くは「中国の軍事的脅威が日米間の軍事的結びつきを維持した。しかし米中間に『敵でも味方でもない』関係が出現し、G2論が登場すれば、日本としても同盟関係をどうするか」(214p)、真剣に議論しなければならなくなった。
こうした基本認識を欠いた現政権や永田町の面々やマスコミのアホ顔を目撃すると、やっぱり日本は孤独のまま置いてきぼりにされる危険性が強くなる。
日本はどかんと三流国に転落する、いやな予兆。これを回避するには、本当にどうするべきなのか。本書を通じてひとりひとりが考えなければいけない局面に立っている。
|