辛口コラム

書評その20
あの天安門の熱狂と挫折のあと、中国の若者がいかに変節したか
石平さんが『私は毛主席の小戦士だった』につづく赤裸々な衝撃作


石平著 『中国大逆流』(KKベストセラーズ)

『中国大逆流』

 あの人たちはいま、何をしているのか?
 趙紫陽回想記が20年ぶりに、秘密裏に録音テープが西側へ持ち出されて編集され、香港で英語版と中国語版が同時刊行され、世界的な話題を呼んでいる。
往時、西側のスパイとか、「和平演変」の首謀者とか言われたが、趙紫陽の主眼は中国の民主化にあり、当時の守旧派、とくに李鵬とトウ小平への呪詛が綴られていた。

 1989年6月4日、天安門広場は流血に染まり、727名(最近の中国の公式数字)が犠牲になった。民主化運動の若者らを鉄砲で弾圧した中国共産党は、民衆の怨嗟に囲まれ、潰えてしまうのは時間の問題と言われた。
欧米の制裁に日本も加わった。ながく中国は孤立していた。
 天安門の学生指導者の多くはキリスト教の地下組織などに依拠して欧米へ亡命した。魏京生、王丹ら著名活動家は欧米の人道的支援と要求があって、病気療養を目的に米国へ逃れた。方励之博士の場合は、米国が特別機を仕立てた。
学生運動の象徴だったウアルカイシ(吾爾開希)やツァイリン(柴玲)らはそののち、外国での亡命生活で日々の糧を得るうちに精神が沈んだ。前者は台湾で結婚し、後者はヘッジファンド関連の仕事に埋没して、従来からの支援者を失望させた。
初志貫徹の中国民主党主席で『中国之春』の主宰者だった王丙章はベトナムから中国へ潜り込んで民主化運動の拡大を図ろうとしたが、広西チワン自治区で拘束され無期懲役のまま。

 さて本編の主人公らは著者の石平氏とおなじく、あの1989年天安門を闘った同士である。
北京大学で酒を酌み交わしながら、熱っぽく中国の民主化を語った。地方から学生を率いて上京し天安門広場に座り込んだ武闘派を任ずる男たちもいた。『水滸伝』を彷彿とされる仁義にあつい若者がいたのだ。 1989年六月四日。
暴力を用いた血の鎮圧により西側では広範な反中国デモが組織された。日本でも連日のように中国共産党を批判する集会が開かれた。
そして二十年という長い歳月があっという間に流れた。

人間の精神はこうまで荒廃するのか

 石平氏は、ようやく決心して日本国籍を取得し、その報告に伊勢神宮へ参詣したほど。そして今度は日本人パスポートで北京の表玄関から堂々と入り、嘗ての「同士」を訪ねる旅に出た。言ってみれば“天安門センチメンタル・ジャーニー”。
 北京で『同士』たちに出会った。連日、酒宴が設けられ、ホンネを聞き出す。
「あんたたちは、いかなる歳月を送ったのか?」
 だが、結末はあまりにも無惨な精神の荒廃ぶりだった。
 ある者は大学教授、ある者は不動産業者であててベンツを乗り回す財閥になっていた。

 大学教授は研究費を誤魔化して、デジカメの最新鋭を購入し、研究会名目で豪遊を繰り返す身分。そこには嘗て不正と不公平を糾弾し、特権階級の汚職と腐敗に立ち上がった正義がなかった。ニヒリズムでもない。独特な中華の虚無と強がりの空間。
 不動産で成功を収め運転手付きの外車にのり、子供を英国へ留学させている嘗ての同士は「銀弾を共産党幹部に送りつけ、土地買収を容易にして、稼ぎに稼いだ。まもなく中国の不動産バブルは終わる。外国にマンションを買う」と嘯いた。共産党打倒の夢はどうしたのか?と水を向けると「やつらを銀弾で買収している。やつらこそ俺たちのカネの奴隷だ」と切り返した。
 只ひとり、共産主義理論に回帰した友がいた。貧乏長屋にかれを訪ねると、資本主義市場となった中国社会をのろい、これを立て直すには毛沢東思想の再建しかない」と時代遅れの熱弁を振るい、別れ際に日本を殲滅するなどと口走った。
 かくして天安門の同士たちの精神の腐食と沈滞、現実の問題からのすり替え行為、反対に過激な『愛国』の極への逃避行を目撃してきた。中国の未来に絶望を見いだすのだった。
 石さんの叙述も堂に入って、小説家の情感を持ち合わせた文章に迫力がある。本書の奥つけも六月四日。
 ともかく衝撃的な最新作がでた。

waku

表紙

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